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中国語学習者のブログ

これって中国語でどう言うの?様々な中国語表現を紹介します。読者の皆さんと一緒に勉強しましょう。

中国語の修辞: 整句による表現(2) 排比

2011年01月18日 | 中国語
 構造的に整った文、“整句”を使った修辞表現の二回目は“排比”です。

(二) 排比

 “排比”とは、いくつかの構造の似た語句を並列に並べて、関係する意味を畳みかけるように話していくという修辞手法である。

   (10) 戈壁灘依旧那様蒼茫天気依旧那様熾熱風依旧那様猖狂
      可是,在那一塊塊大大小小的緑洲里在那臨風揺曳的青沙帳里
      在那一大片連着一大片的庄稼地里在那枝頭累累的果林里,
      哪儿還能找到一点荒涼的影子呢?

・蒼茫 cang1mang2 見渡す限り青々としたさま
・熾熱 chi4re4 非常に熱い。灼熱の
・猖狂 chang1kuang2 勝手気ままに暴れ狂う
・揺曳 yao2ye4 揺らめく。揺れ動く

  “排比”は語意の上で互いに関連し、それらは一般に同じ範囲、同じ性質の事物である。構造上はよく似たものが並列に並び、一般にある語句が重複している。数量的には、一般に三つ以上の言語成分から成り、言語成分は“詞組”(短語)、或いは句(分句)でなければならないが、場合によっては段落である場合もある。

 “排比”の中の各言語成分は意味上の関係はそれぞれ異なる。あるものは、意味の上では並列である。例えば:
   (11) 老郷們,男女老少仿佛从地底下鑚出来似的活動開了:
      有的幇部隊碾打粮食有的幇部隊焼飯;有的幇戦士們縫補衣服;
      有的扛着槍四処巡邏有的扛着担架,急急地奔走……

・碾 nian3 石臼でひく
・扛 kang2 担ぐ
・巡邏 xun2luo2 巡邏する。パトロールする

   (12) 花花崗,是他們的刑場是他們的戦場也是他們挙行
      那庄厳而高尚的婚礼的礼堂

 ここで時に異なる事物を列挙することがあり、異なる面には説明を加えることで、しばしば一つの事例から全体の概要を理解させる役割を果たしている。例(11)がそうである。時には一つの事物に対して、異なる角度から立て続けに説明することで、テーマを強調し深化させる効果を得ている。例(12)がそうである。どのような状況であっても、これらの間の関係は並列的である。

 あるものは意味の上で順を追って展開(“逓進”)していく。排比句の間には意味の軽重、大小、前後の違いがある。これを“層逓”と呼ぶ人もいる。

   (13) 在他革命的一生中,他是真正做到了有一分熱発一分光,
      永不変色,永遠忠実于党忠実于階級忠実于人民

   (14) 第一個月,咱們娘娘有説有笑第二個月来,咱們娘娘不苟言笑
      第三個月来,咱們娘娘不言不笑

・不苟 bu4gou3 いいかげんにしない。おろそかにしない/不苟言笑:気ままにしゃべったり笑ったりしない

 この時、範囲が次第に拡大したり縮小したりすることがある。例(13)では、範囲が次第に拡大している。また、時間が次第に経過したり前に遡ったりすることがある。例(14)では、時間が次第に経過している。どのような状況であれ、これらの間の関係は、“層逓”、つまり順を追った展開になっている。

 言語形式の上で均整がとれるようにしたり、音声の韻律上、繰り返しの美を追求するため、文のレベルの排比では不十分な場合、段落の単位での排比に拡大させる場合がある。例えば:

   (15) 有時丈夫対她説:“今晩開群衆会,你去参加吧!”她対他笑笑,
      不説什麼,依然坐在灯下,仍然拿起針線来。
       過不久,丈夫又対她説:“明天党支書作報告,你去聴聴!”
      她対他笑笑,不説什麼,第二天照常托着洗衣籃子,照常到井辺去了。
       不久,丈夫又対他説:“村里要辧個婦女識字班,你也去報名吧!”
      她対他笑笑,不説什麼,仍旧低着頭,仍旧去做自己早已安排好的
      三百六十天毎天該做的事。

 段落の単位の排比は、散文や詩歌で多く用いられる。排比は、ことばが整い、話の筋道がはっきりし、読んでみると、色々な内容が入り混じっているようで実は均整がとれており、筋回しがきれいで、ゆらゆらと行きつ戻りつするような味わいがある。段落と段落の間が互いに受け継がれ呼応し、読む人の印象が鮮明となるだけでなく、情趣に満ちあふれているように感じさせる。上の例では段落の排比により、三つの状況を列挙し、良妻、呉淑蘭の善良でやさしい性格をありのまま描き出し、その姿形だけでなく話声まで伝わってきそうである。

 排比の使用範囲は広く、排比と文章の表現力は密接な関係にある。排比は、時にいくつか典型的で代表的な事物を取り上げて用いることがある。典型を取り上げてそれを一般化してまとめることで、強い概括力が備わる。また時に詳しく、こと細かに道理を説くことがあり、道理を明晰かつ漏れなく説明することができる。事柄の叙述に用いると、整然と秩序立って、微に入り細をうがって述べることができる。物の描写に用いると、その声や色まで描き出し、生き生きとして今にも動き出しそうなほどである。もちろん、排比の主な機能は“壮文勢”(文の勢いを強める)[①]ことにある。文の形が整っており、一気呵成に畳みかけてくるので、読んでみると言葉が互いに連なってすらすら流れ、長江の流れのように一瀉千里の勢いがあり、文の格調は勇壮豪放、勇ましく美しい情景を描写するのに適している。

注①:陳騤《文則》


【出典】胡裕樹主編《現代漢語》重訂版・上海教育出版社 1995年


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中国語の修辞: 整句による表現(1) 対偶

2011年01月17日 | 中国語
 中国語は、その漢字による表記の特殊性から、文字の字数を揃え、韻脚を踏ますことにより、文の美を追求してきました。このことは現代漢語にも受け継がれています。意識的に使われる、構造的に整った文を“整句”と言います。反対に、構造的に様々なものが入り混じった文は“散句”と言います。これから、“整句”を使った修辞表現を見ていきたいと思います。一回目は“対偶”です。

                         四 構造の整散

・整句:構造が同じか類似し、形式が揃っていて均整のとれた文
・散句:構造が異なり、形式がまちまちに入り混じった文

 これまで取り上げた三つの形式は何れも“散句”で、文の構造としてはまちまちなものが入り混じっていた。言語中には、構造的に整った文で意味を表す場合もある。“整句”とは、いっしょに配列された一対、或いは一連の構造を同じくする、或いは類似した文である。構造が同じ、或いは類似しているので、形式上は見た感じが整っていて均整がとれている。このような文はしばしば形式美や音声美に富んでいる。

 中国語の書面語の中では、“整句”が比較的好んで使われる。大多数の文では、“整句”と“散句”が入り混じって使われる。文学作品は固より文章の構造美が追及されるが、政治論文や科学技術論文でも同じように構造美を考えて書かれている場合がある。

(一) 対偶

 一対の字数が同じで、構造が同じ語句を用い、同じ、或いは関連した、或いは反対の意味を表すことを“対偶”と言う。例えば:

   (1) 万山逶迤馳奔馬高天坦蕩走飛雲,他永遠永遠像巍巍太行山
     聳立在我們面前。

・逶迤 wei1yi2 道や川がくねくねと続いているさま
・坦蕩 tan3dang4 広くて平坦である
・巍巍 wei1wei1 高くて大きいさま
・聳立 song4li4 そびえ立つ

 ここで“万山”と“高天”は相対する名詞性の偏正詞組である。“逶迤”と“坦蕩”も相対する形容詞で、それぞれ前の名詞詞組のことを形容している。“馳”と“走”は相対する動詞、“奔馬”と“飛雲”は相対する名詞性の偏正詞組で、それぞれ前の動詞の賓語である。これら二つの語句は何れも七文字で、構造関係も完全に同一で、対偶句を構成している。

  「字数が同じで、構造が同じ」というのは“対偶”の基本条件に過ぎない。「品詞がそれぞれ同じ」で「平仄が取れている」ならもっと良い。

  “対偶”は両方の句にことばの重複が無いことが望ましい。多少のことばの重複があっても、「字数が同じで、構造が同じ」であれば、対偶と見做すことができる。例えば:

   (2) 我們這儿也是好地方,牛羊遍野駱駝成群夏天的草原是一片碧琉璃
     冬天的草原是一片銀世界

   (3) 但是他,貝漢廷,驚奇而不泄气慕而不妬忌

・泄气 xie4qi4 へこたれる
・妬忌 du4ji4 嫉妬する

 対偶の一対の語句の表す意味が同じか類似しているものを“正対”と呼ぶ。例えば:

   (4) 心血操碎革命偉業似巍巍泰山振寰宇
       骨灰撤遍総理恩情如滴滴雨露潤人心

・寰宇 huan2yu2 全世界

   (5) 尤其是白族同胞,几乎家家院内是繁花戸戸門外有清流

 例(4)の二つの語句は周恩来総理の生前の功績と死後の願望を称えたもので、周恩来の革命のため、人民のため献身的に力を尽くし、死ぬまで懸命に努力した人柄を描写したものである。例(5)は家の中庭の中と戸外の景色から、白族同胞の住宅の自然の姿を描写している。これらの語句の内容は同じ、或いはよく似ている。

 対偶の一対の語句が表す意味が相対し、反対であるものを“反対”と呼ぶ。例えば:

   (6) 生当為人傑死也作鬼雄
     寧作那筆直拆断的剣不作那弯腰屈存的鈎

・筆直 bi3zhi2 まっすぐな

   (7) 敵人害怕静若懸剣
       人民信頼您穏如磐石

・磐石 pan2shi2 大きな石。盤石(ばんじゃく)。

  “生”と“死”、“人傑”と“鬼雄”、“筆直拆断的剣”と“弯腰屈存的鈎”、“敵人”と“人民”、“害怕”と“信頼”、“静若懸剣”と“穏如磐石”は互いに相対している。“反対”の対比作用はたいへん鮮明である。これはしばしば二種の相反する語句をいっしょに組合せることで、互いに引き立てあい、表現を突出させることができる。“反対”をうまく使うには、反義語をよく理解し、うまく選択しなければならない。

 対偶の一対の語句の表す意味が互いに関連し互いにつながるものを“流水対”と呼ぶ。例えば:

   (8) 只恨人間多疫鬼,遂使中華失棟梁。

・棟梁 dong4liang2 元々は建物の棟木と梁のことであるが、そこから転じ、一国の重任を担って立つ人のことを言う。

   (9) 発展体育運動,増強人民体質。

 上の二つの例の対偶句は前後の句が受け継がれ、互いに連なっている。前句と後句は因果関係にあるか、或いは前句と後句が連貫関係にある。このような対偶句は、ことばの勢いが持続され、構造は均整がとれており、声に出して読んだ時、朗朗とすらすらと読め、耳に快い。

 現代漢語では二音節の詞(意味を表し、文法的に独立して運用できる最小単位)が優勢だが、単音節詞も少なくない。このことは均整のとれた句式を作るための有利な条件となる。中国語はまた声調を有する言語であり、この特徴を活かして文中の平仄を整えることにより、文の組合せのリズムを鮮明にし、耳に快く聞いて感動するものとすることができる。

  対偶は現代漢語の中で幅広く活用されている。[①]

注①:対偶の歴史は古く、《尚書》、《詩経》には多くの対偶句が見られる。後に対偶形式を主とした駢儷体が生まれ、その後の文言文に影響を与えた。中国古代の格律詩も、対偶形式を採っている。

 文学作品のみならず、政治論文の中にも使用され、中には文章の表題に対偶が用いられている。例えば、《関心群衆生活,注意工作方法》、《丢diu1掉幻想,準備斗争》、《放下包袱,開動机器》などがそうである。いくつかの題辞にも対偶が用いられている。例えば、“提高警,保衛祖国”、“発展経済,保障供給”などがそうである。

 多くのことわざ、格言も対偶形式で作られている。例えば、“把困難留給自己,把方便譲給別人”、“霜前冷,雪后寒”、“満招損,謙受益”などがそうである。対聯も対偶句である。新年や節句の度に、或いは冠婚葬祭の際、人々は対聯を貼る習慣がある。

 作家の秦牧はこう言った:
 “現在我們也貼春聯,但是誰想到‘歳月逢春花遍地,人民有党勁衝天’‘躍馬横刀,万衆一心駆窮白;飛花点翠,六億双手綉山河’之類的春聯,和古代的用桃木符辟邪有什麼可以相提并論之処呢!古老的節日在新的時代里是充満着青春的光輝了。”
 (今も私たちは春聯を貼るが、「歳月は春になると花を至る所に咲かせる。人民は共産党があるとその力は天を衝く」「馬を駆け武器を持ち、人々は心を一つに貧困と無知を駆逐する。飛ぶ花は緑を引き立て、六億人民は手ずから山河を縫いあげる」といった春聯が、古代に桃の木で作った護符で邪気を掃うのと同日に論じることができようとは、誰が想像したであろうか!古くからの節句は新しい時代にも青春の輝きが満ちている。)

 ここからも、対偶は今日も斬新な姿形が絶えず発展していることが分かる。


【出典】胡裕樹主編《現代漢語》重訂版・上海教育出版社 1995年


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中国語の修辞: 文の長短を使い分ける

2011年01月13日 | 中国語
 文章の中で、簡潔明瞭な短文と、修飾構造や多層構成で複雑な構造の長文を使い分けることも、一つの修辞技法であるといえます。今回は、長文、短文の使い分けを見ていきましょう。

                           三 文の長短

 同じ意味を、長い文で表現することも、短い文で表現することもでき、異なる文の形式にはそれぞれ異なる修辞効果がある。文の長短を文型の上から言うと、長文は一般に形体が長く、構造の複雑な文である。短文は一般に形体が短く、構造の簡単な文である。文の長短には明確な区分がある訳ではなく、あくまで相対的に言ってのことである。

(一) 長文

 長文は一般に三つの表現形式があり、一つ目は修飾語の多いもの、二つ目は連合構造のもの、三つ目は分句の構造がいくつかの階層に分かれているものである。例えば:
   (1) 魯迅是文化戦線上,代表全民族的大多数,向着敵人衝鋒陷陣的最正確、
     最勇敢、最堅決、最忠実、最熱忱的空前的民族英雄。

・衝鋒陷陣 chong1feng1xian4zhen4 [成語]突撃をかけて敵陣を陥れる。戦いの勇ましいさま。正義のために戦うこと。
・熱忱 re4chen2 真心がこもっている

   (2) 中国的革命的文学家藝術家,有出息的文学家藝術家,必須到群衆中去,
     必須長期地無条件地全心全意地到工農兵群衆中去,到火熱的斗争中去,
     到唯一的最広大最豊富的源泉中去,観察、体験、研究、分析一切人,
     一切階級,一切群衆,一切生動的生活形式和斗争形式,一切文学和
     藝術的原始材料,然后才有可能進入創作過程。

・出息 chu1xi 前途。見込み

   (3) 没有問題,現階段的中国革命既然是為了変更現在的殖民地、半殖民地、
     半封建社会的地位,即為了完成一個新民主主義的革命而奮斗,那麼,
     在革命勝利之后,因為粛清了資本主義発展道路上的障碍物,資本主義
     経済在中国社会中会有一個相当程度的発展,是可以想像得到的,也是
     不足為怪的。

 例(1)の賓語は複雑な修飾語である。例(2)の全文は一連の連合構造で構成されている。例(3)は幾重にも階層の重なる複文である。これらいくつかの状況が時にいっしょに結合することがある。

 これらの長い文は、書面語で多用され、特に通常は政治論文、科学技術論文等の文章で使われる。文中に含まれる成分が比較的複雑であるため、表現上精緻で周密であるという特徴がある。例えば例(1)の中の一連の修飾語は魯迅の特徴を精緻で周密に表現している。これらの文は長いけれども、階層の振り分けが明快で、文の区切りも多いので、長文の中に短文があり、文と文の間隔は異なっているが趣があり、読んでみると文の勢いが流れるようで、読むのに骨が折れるとか言いにくいとかいう感じがしない。

(二) 短文

 短文は一般に次の三つの状況にある。一つ目は簡単明瞭に事物を叙述、描写している。二つ目に口語を如実に記録している。三つ目に緊張して興奮した気持ちや断固として肯定する口ぶりを表す。例えば:
   (4) 我家是佃農。祖籍広東韶关,客籍人,在湖広填四川時,遷移四川
     儀隴県馬鞍場。世代為地主耕種,家境是貧苦的。和我們来往的朋友也
     都是老老実実的貧苦農民。

・佃農 dian4nong2[発音に注意]小作農
・祖籍 zu1ji2 原籍
・客籍 ke4ji2 (“原籍”に対する反対語)寄寓先の戸籍
・湖広填四川 hu2guang3tian2si4chuang1 清代に広東、広西、江西、福建の住民を、戦乱が続き人口が減少していた四川に移住させた政策を言う。“湖広”というのは、当時の行政管轄単位で、広東、広西、湖南の一部、江西を統括。

   (5) 六月十五那天,天熱得発了狂。太陽剛一出来,地上已経像下了火。
     一些似雲非雲似霧非霧的灰气低低地浮在空中,使人覚得憋気。
     一点風也没有。祥子在院子里看了看那灰紅的天,喝了瓢涼水就走出去。

・憋気 bie1qi4 息が詰まる
・瓢 piao2 [量詞](瓢箪を縦二つに割って作った)ひしゃく一杯の

   (6) 剛剛吃過饅頭,小晩来了。艾艾拉住小晩的手,第一句話就是:
     “羅漢銭丢diu1了!”“丢diu1就丢diu1了吧!”“気得我連飯也吃不下去!”
      “那也値得生気?我看那都算不了什麼!在着能抵什麼用?
     聴説你爹你媽跟東院里五奶奶去給你找主儿去了。是不是?”
      “咱哪里知道那老不死的為什麼那麼愛管閑事?”“咱們這算吹了吧?”
     “吹不了!”“要是人家説成了呢?”“成不了!”“為什麼?”“我不干!”
     “由得了你?”“試試看!”正説着,外辺有人進来,両個快停住。

・羅漢銭 清朝康煕年間に鋳造された康煕通宝という銅銭の別称。銅の質が良く、作りが美しいことから、民間ではこれを吉祥、幸福の象徴とし、お年玉や嫁入りする娘に持たせたり、愛の証として男女で交換したりする習慣があった。

   (7) 今天,這里有没有特務?你站出来!是好漢的站出来!你出来講!
     凭什麼要殺死李先生?殺死了人,又不敢承認,還要誣蔑人,説什麼
      “桃色事件”,設什麼共産党殺共産党,無耻啊!無耻啊!這是某集団的
     無耻,恰是李先生的光栄!也是昆明人的光栄!

・誣蔑 wu1mie4 中傷する

 例(4)は簡単明瞭な叙述である。例(5)は簡潔かつ洗練された景色、事物の描写である。例(6)は人物の対話で、全体が明快で、生き生きとした短文である。例(7)は演説のことばで、感情が激昂し、文は剛健で力がある。

 これらの短文は、多くは口語で使われ、特に通常は文学作品の文章で使われる。文中に含まれる成分が比較的簡単であるため、表現は生き生きとし、明快で力強い。

  特に取り上げないといけないのは、政治論文の中に短文を挿入すると、たいへん良い表現効果が期待できることである。例えば:
   (8) 你們是打敗了。你們激怒了人民。人民一斉起来和你們拼命。人民
     不歓喜你們,人們斥責你們,人民起来了,你們孤立了,因此你們打敗了。

   (9) 我們必須向一切内行的人們(不管什麼人)学経済工作。拜他們
     做老師,恭恭敬敬地学,老老実実地学。不懂就是不懂,不要装懂。
     不要擺官僚架子,鑚進去,几個月,一年両年,三年五年,総可以学会的。

・架子 jia4zi 威張った態度。/官僚架子:官僚風
・鑚 zuan1 研鑽する

 政治論文の中で短文を使うと、長い文がもたらす冗長なゆったりしたリズムを打ち消し、読む人に活発で生き生きとしているように感じさせる。文章の力が増し、読む人に結論がはっきりして言葉がてきぱきしている(“斬釘截鉄”zhan3ding1jie2tie3という成語がある)ように感じさせ、読んだ後、気持ちがすっきりする。したがって政治論文では多くの場所で長文と短文が組み合わせて使われる。

(三) 長文と短文の連用

 長文には長文の用途があり、短文には短文の用途がある。どちらの文の形式を使うかは、表現する内容により決定される。短文は簡潔明瞭であるので、多くの人は文章や段落の開始や終わりには短文を用いたがる。なぜなら、開始が明快で分かりやすく書かれている方が、人を引き付けることができるからである。終わりが結論が明快で言葉がてきぱきしている方が、読む人に深い印象を与えることができるからである。一方、長文は含まれる意味が豊富で、叙述が周到で抜けが無く、長編の文章の中心となる内容を叙述するのに適している。一篇の文章、文章の一つの段落が単純に短文や長文ばかりで構成されるケースは稀である。思想が豊かで多彩で、感情が波乱や起伏に富むことをより良く表すため、一般に長文と短文は臨機に入り混じって使われる。例えば:

(10) 這時候,太陽従東山頭上收走了最后一片光亮、西山辺的火焼雲也
   在変着顔色,先是朱紅,后是桔紅,過了一会儿,又変成了杏黄,浅黄,
   最末変成灰白,接着就了。

・杏黄 xing4huang2 だいだい色

 短文を出だしに持ってくると、人眼をひき、中心が突出し、読者の注意を惹き易い。中間には長文を用いると、理論や論証を周密で事細かく説明することができる。最後に短文を使うと、結びが肯定的で力強くなる。もちろんこれは一般的な状況について言っていて、あらゆる文がこうした決まり切った構造が当てはまる訳ではない。


【出典】胡裕樹主編《現代漢語》重訂版・上海教育出版社 1995年


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中国語の修辞: 二重否定、問いかけ、反語

2011年01月10日 | 中国語
 前回は、倒置法を見ましたが、今回は二重否定、及び設問形式(問いかけ、及び反語)による文意の強調です。

                        二 句式(文型)の変化

 前項では、語順の変化を利用し、文の形を変化させることで同様の意味を表すことについて述べた。本項で述べるのは、虚詞や語調を利用し、異なる文型(句式)を作って同様の意味を表すことについてである。今、下記の五つの文を比較してみよう:

     (1) 他看完了這本小説。
     (2) 他把這本小説看完了。
     (3) 這本小説被他看完了。
     (4) 他不得不看完這本小説。
     (5) 誰説他没看完這本小説?

 例(1)は一般の陳述文である。例(2)は例(1)と異なり、その重点は述語動詞の上に置かれ、“看完了”が強調されている。例(3)の重点は動作の受動者である主語の上に置かれ、“這本小説”が強調されている。例(4)、例(5)は、例(1)とは異なり、これらの語気はたいへん強く、否定文の形式は採っているが、強い肯定文である。例(4)は動作の主体者(“施動者”)が受動的で、無理やりやらされているという点が強調されている。例(5)は第三者に対する詰問(“反詰”fan3jie2)という形で主体者の行為を強調している。以下にいくつかの文型について説明したい。

(一) 否定文の形式

 同じ意味でも、肯定文の形式を使うこともできるし、否定文の形式を使うこともできるが、これら二つの文の形式は文のニュアンスが異なる。例えば:
   (6) 這孩子漂亮。
   (7) 這孩子不丑。

 この二つの文は基本的に同じ意味である。例(6)の語気は肯定の意味が強く、例(7)は否定文の形式を用いて、意味は軽い。一般的に、否定文は比較的婉曲で、意味がやわらかく、肯定文のように直截的(“直截了当”zhi2jie2liao3dang4)ではない。例えば心から一人の人を助けたいと思っている時、私たちは“你這様做是不対的”と言う。そうすると“你這様做是錯誤的”と言うよりもやわらかく、婉曲で、相手も受け入れやすい。

 しかし、二重否定を使うと、語気がたいへん強くなることがある。例えば:
   (8) 従前線回来的人説到白求恩,没有一個不佩服没有一個不為他的精神
    所感動。晋察冀辺区的軍民,凡親身受過白求恩医生的治療和親眼看過
    白求恩医生的工作的,無不為之感動。

 例(8)の“没有一個不佩服”は、“毎個人都佩服”ということであり、“没有一個不為他的精神所感動”は、“毎個人都為他的精神所感動”ということである。“無不為之感動”は“人人都為之感動”の意味である。二重否定は語気がたいへん強い。というのは、二重否定は例外が無いことを表し、その他の可能性を排除するという意味であり、語意が重く、一般の肯定文より更に断固として力強い。

  注意する必要があるのは、いくつかの二重否定の文の語気は単純な肯定文に比べ多少婉曲なところがあることである。例えば:
   (9) 人家都説你是個厚道人,你不会不幇忙的

・厚道 温厚である。親切である

   (10) 我不是不借給您,我也実在没有多余的銭。

 例(9)の“你不会不幇忙的”は、単純肯定文では“你会幇忙的”である。例(10)の“我不是不借給您”は、単純肯定文では“我是要借給您”である。このような二重否定文は単純肯定文のように肯定的で力強くはなく、語気はやや婉曲的である。

 もちろん三重否定や、もっと多くの多重否定も存在する。否定文の形式はたいへん表現力があるけれども、否定の回数が多過ぎると、意味の正確な伝達に影響を及ぼし、ひどい時には話の意味を正反対に取られかねない。例えば:
   (11) 別的同学都在為実現四個現代化用功,我怎麼能勧阻孩子別那麼刻苦呢?

 例(11)の“勧阻”は“不譲”の意味である。“不譲孩子別刻苦”はつまり“譲孩子刻苦”ということである。文中に“怎麼能”があり疑問の語気を表しているのに、一方後ろでは反対に“譲孩子刻苦”と言っている。つまり、話している内容が言いたい内容の反対の意味になってしまっている。後段の“阻”を削除するか“別”を削除するかすべきである。

 中国語にはいくつか習慣的な表現方式を形成するものがあり、例えば“好不容易”と“好容易”、“好不熱閙”と“好熱閙”、“差点没死掉”と“差点死掉”は、表す意味は全く同じであり、これらは否定文と見做してはならない。

(二) 設問文の形式

 説問文の形式は、語気の変化を利用してことばの表現効果を増すものである。これは陳述文とは異なり、陳述文が比較的平穏でおだやかなのに対し、設問文は語気が強く、躍動感がある。単純な疑問文と異なり、疑問文が、疑いがあって問い、その目的が相手に回答を出させることにあるのに対し、設問文は、疑いが無いけれども問い、心中では既に確かな見解があり、相手の回答は必要とせず、ことばの技巧を用いて修辞効果を強める方法である。これは故意に問いを設け、その後で自分で回答するか、或いは解答を出さずに読者に考えさせて理解させるという文の形式である。設問は提問(問いかけ)と反問の二つに分けることができる。

1.提問 (問いかけ)

 この形式を使う目的は、以下の文を提示し、読者の注意を促すことである。これは自問自答の方式を採り、先ず自分が問題を提起し、その後自ら解答を出す。例えば:
   (12) 什麼最可貴?
       独立自由最可貴。
       什麼最痛苦?
       民族奴役最痛苦。

   (13) 什麼是路?就是没路的地方践踏出来,従只有荊棘的地方開辟出来的。

・践踏 jian4ta4 踏む。踏みつける
・荊棘 jing1ji2 イバラ

 人々はある道理を述べる時、直接叙述し説明するという方法は取らず、先ず読者の前で一つの問題を投げかけ、これが読者の思索を引き起こし、注意を喚起し、矢も盾もたまらず(“迫不及待”という成語がある)読み進ませ、直ちにこの問題を解決しようとさせる。このような後で作者が提出する答案は、作者が述べたいと思っている観点であり、それが自然と眼の前に現れたなら、人に与える印象は鮮明で深刻なものとなる。

 時には文章を鮮明で躍動的で、波打ち起伏のあるものにするため、先ず反面から質問を投げかけ、その後で正面から問いかけ、先ず反面の質問を否定し、その後で正面の答案を差し出すことがある。例えば:
   (14) 這個渾身是胆的好漢,這個以沉着出名的英雄,這個鋼鉄鋳成的人,
     感覚到一種没有経験過的孤単、害怕。他因為周囲都是屍体而害怕?
     不,躺在屍体堆里,這不是第一次也不是第十次。他是感到死亡臨近而害怕?
     不,他不是第一次也不是第十次戦勝死亡。対啦,這是因為離開了部隊!

・孤単 gu1dan1 孤独

   (15) 莎士比亜雖然“劇聖”,我們不大有人提起他。五四時代介紹了
     一個易卜生,名声倒還好,今年介紹了一個肖,可就糟了。至今還有人
     肚子在発脹。
       為了他笑嘻嘻,辨不出是冷笑,是悪笑,是嬉笑嗎?并不是的。為了
     他笑中有刺,刺着了別人的病痛麼?也不全是的。列維它夫説得很分明:
     就因為易卜生是偉大的疑問号(?);而肖是偉大的感嘆号(!)的縁故。

 時には内容の表現の要求により、連続して問いかけ最後に一つの答を出し、それにより文章の勢いを強めることがある。或いは問い答えをしつつ、一つ一つ分析し、一歩一歩深く入り込み、人を引き付け夢中にさせる(“引人入勝”という成語がある)ことがある。
   (16) 為什麼鶏蛋能够gou4転化為鶏子,而石頭不能転化為鶏子呢?
     為什麼戦争与和平有同一性,而戦争与石頭却没有同一性呢?為什麼
     人能生人不能生出其他的東西呢?没有別的,就是因為矛盾的同一性
     要在一定的必要的条件之下。缺乏一定的必要的条件,就没有任何的
     同一性。

   (17) 一切種類的文学藝術的源泉究竟是従何而来的呢?
     ……有人説,書本上的文藝作品,古代的和外国的文藝作品,不也是
     源泉嗎?……人類的社会生活雖是文学藝術的唯一源泉,雖是較之
     后者有不可比擬的生動豊富的内容,但是人民還是不満足于前者而
     要求后者。這是為什麼呢?……

 例(16)は続けざまにいくつかの問題を投げかけ読者に考えさせ、その後にそれに代えて答案を持ち出しており、印象が鮮明で、またいくつかの疑問文が集中して並べられているので、言語構造も比較的整っていて、読んでみるとたいへんリズミカルで力がある。
 例(17)はこの一節の中で、段階を追って問題を提起し、それぞれの段階で分析を加え、それぞれがつながり合い、文芸と生活の関係の分析がたいへん明確で、このようにすると文章の論理性と説得力を強めることができる。

 実際にこの修辞技法を使う時、提起する問題が明確となるよう注意しなければならない。提起する問題を明確にすることで、論点を際立たせるために条件を作り出し、文章の発展のために道筋を拓いてくれる。難解で内容のはっきりしない問題提起では、観点のあいまいな、人に何を言っているのか分からないものしか残せない。言語形式から見ると、問いかけ文は一般に比較的簡潔である。問題が多く、一言では言い表せない場合は、問いかけの数を増やし、続けざまに問いかけることができる。

2.反語

 提問(問いかけ)とは異なり、反語は問いかけるだけで答えない。これは設問の形式を通じ、人々の思考を促し、人々に自分自身で回答を出してもらうのである。実際には、反語の回答は、既に暗に問いかけの中に含まれている。例えば:
   (18) 太陽従早到晚,把它的光和熱照在毎一個角落従不吝惜,従不偏袒,
     従不計較報酬,它那様大公無私,那様一心一意地為人民発射光和熱;
     這是何等寛闊的胸懐!如果有了這様的胸懐,還有什麼容不下的東西呢?
     還為什麼不能聴取別人的意見并改正自己的缺点和錯誤呢?

・偏袒 pian1tan3 片方の肩を持つ。えこひいきをする
・計較 ji4jiao4 計算する。勘定する。

   (19) 如果説貪汚和浪費是極大的犯罪,浪費和摧残人才不是更大的犯罪嗎?

 上で挙げたような反語は、しばしばある問題を充分に論述した後、すぐ後に一つの反語文が続けられる。文章の勢いから言うと、弁論を行う時、反語文の矛先は聞く者に最も強く感じさせる。理屈から言うと、論点、論拠が十分に合理的である前提で、反語を使うと、語気は更に肯定的で強くなり、観点は更に明確で疑いの無いものになる。また、反問の後は回答をせず、読者自身に体得させるので、人に深く考えさせ、文章の説得力を強めることができる。

 また例えば姚雪垠《李自成》で:
   (20) 衆人的看法是有根据的:第一,朝廷遅遅不打算給張献忠正式職銜;
     曾伝説要給他一个副将銜却没有発給関防,更不曾発過粮饟xiang3。這不是
     硬逼着张献忠重新下水麼?第二,張献忠日夜造軍器,天天練兵,收積粮食,
     最近従河南来的災民中招收一万多人。這不是明顕地準備起事?第三,
     張献忠才駐扎谷城時節,確実不妄取民間一草一木,后来偶尓整治几個
     為富不仁的土豪,但并不明張旗鼓。近来公然向富戸征索粮食和財物,
     打傷人和殺人的事情時常出現。這難道不是要離開谷城麼?……

・職銜 zhi2xian2 役目と肩書。“職”は役目、“銜”は肩書のこと。
・関防 guan1fang2 官庁で用いる長方形の公印(公文書の偽造を防止するために用いる)
・粮饟 liang2xiang3 軍人、兵士に対する給与(食糧と金銭の意味)
・下水 xia4shui3 [比喩]悪事を働く
・招收 zhao1shou1 試験などによって募集すること。ここでは私兵を募ること
・駐扎 zhu4zha2 駐在する。駐屯する。
・妄取 wang4qu3 みだりに取る。勝手に取る。

 ここではいくつかの面の事実から、張献忠が近いうちに決起するであろうといううわさが根拠のあるものであることを論証している。作者は一つの事実を並べる毎に、反語文を使って詰問し、否定的な文の形式を用いて肯定的な意味を表し、作者の論断の説得力を強めている。

 反語は前の文で十分に論述した上で詰問するので、反語文は十分な論証の必然の結果、もしくは弁論の継続・深化である。したがって、反語を使う時には、合理的で根拠のある論述のもと、理屈に合った反問でなければならない。こうしてはじめて、反語の力を示すことができ、そうでないと、的無しで矢を射るようなもの(“無的放矢”wu2di4fang4shi3という成語がある)で、要点がつかめず(“不着辺際”bu4zhuo2bian1ji4という成語がある)、文章の力を弱めてしまうことになる。

 時には問いかけと反語が結合して使われることがある。前段は問いかけで始まり、後段は反語で回答を暗示する。例えば:
   (21) 有人問:你対牛差差和孟祥英的婆婆、丈夫,都写得好像有点不恭敬,
     難道不許人家以后再転変嗎
        答:孟祥英今年才二十三岁,以后毎年開労働英雄会都要続写一回,
     誰変好誰変壊,你怕明年続写不上去嗎?

   (22) 朋友們,当你聴到這段英雄事迹得時候,你的感想如何呢? 你不覚得
     我們的戦士是可愛的嗎? 你不以我們的祖国有着這様的英雄而自豪嗎?

 ここで、前段の問いかけは論議の導入の役割があり、読者の注意を促し、続いて後段の反語で回答を暗示し、強い口調で問いかけることで、文章の語気を強めている。


【出典】胡裕樹主編《現代漢語》重訂版・上海教育出版社 1995年


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中国語の修辞: 語順の変化による表現技法

2011年01月05日 | 中国語
 あけましておめでとうございます。今年もいっしょに中国語を勉強し、表現力を高めましょう。
 今回は、語順の変化による表現技法です。これは、主に倒置法の利用による意味の強調ですが、ひと口に倒置法と言っても、主語と述語の倒置、修飾語と中心語の倒置や、詩では各句の句末で韻を踏むための倒置もあります。

                        第五節 文型(句式)の選択

 中国語の表現手段は様々である。数多の語句を選択できるだけでなく、無数の文型を構成することができる。多様に変化する文型により、私たちは正確に、細密に、鮮明に、生き生きと思いを伝え、広大な天地を切り拓くことができる。私たちが思想や感情を如何に効果的に表現できるか、その鍵は各種の表現様式の正確で適切な選択である。

                            一 語順の調整

 中国語は形態の変化が乏しく、語順は重要な意味を持っている。語順は重要な文法手段であり、重要な修辞手段である。中国語では、一般的には語順は比較的固定されている。語順の並び方が良くないと、意味の正確な表現を損なうことになる。時には、一部の語順を弾力的に変えてやることで、ことばの表現効果を増すことができる場合がある。

 中国語の修飾語と中心語の順序は比較的単純で、一般的には、修飾語が前、中心語が後ろである。修飾語と中心語は偏正関係の“詞組”(“短語”ともいう)を構成する。しかし、偏正詞組の修飾語の前に更に修飾語がある場合、階層の異なる修飾語どうしの間にも語順の問題が発生する。語順の並べ方が良くないと、意味の正確な表現に影響することは同様である。

 中国語で、一般に語順は固定されているが、表現上の必要から、基本的な意味が変わらないことを前提に、語句の順序を変えて、文の修辞効果を高めてやることがある。こうして語順を変えられた文は、倒置文(“倒装句”)或いは“変式句”と呼ばれる。

 このような文には以下の特徴がある:1.基本的な意味は変わらず、ただ、重点が強調され、情態に変化がある。2.文法上の関係には変化が無く、語句の位置の上で前後の順序が異なるが、文の構造上の関係は変わらない。3.語順の変化は、しばしば音の強弱(ストレス)、語調、ポーズなどを伴い、表現効果を強める。

1.主語と述語の倒置
   (1) 安息吧
      敬愛的周総理!

   (2) 小心点,老人家!

2.修飾語と中心語の倒置
   (3) 他們応該有新的生活,為我們所未経生活過的

   (4) 你已経替中国人民鋪好了道路,用你的血

3.偏正複文の分句の倒置
   (5) 他忍受着,不管是怎様的痛痒

   (6) 正義是殺不完的,因為真理永遠存在
  
 述語を主語の前に置いたり、中心語を修飾語の前に置いたり、正句を偏句の前に置いたりするのは、特別な表現上の必要のためである。それは先ず、文中のある成分を強調するためである。これら語句の語順の倒置は、述語、修飾語、分句を強調する働きがある。次に状況の上での必要からである。例えば、感情が高まったり、情勢が緊迫している時、しばしば最初に最も相手に注目してほしい語句から話をすることがあるが、このような文は自然の倒置になる。例(2)がそうである。最初に相手に“小心点”と注意を促し、その後相手に呼びかけている。文芸作品の中でこのような文の形式は人物の情態を生き生きと描写する手助けになる。また、時には長い語句を短くするため、長い修飾語を中心語の後ろに移し、いくつかの並列の成分を構成させることがある。例えば、柯岩《啊,春天!》で:
   (7) 請揚起你的風帆,
      帯着我的思念
      往復蘇的大地上飛翔吧,
      為了去温暖
      毎一顆還在冬眠的種子
      為了去迎接
      那碧緑的、碧緑的
      成熟的夏天……

 時には詩で韻を踏むため、語句の順序をひっくり返すことがある。例えば、郭小川《刻在北大荒的土地上》で:
   (8) 継承下去吧我們后代的子
      這是一筆永恒的財産 ―― 千秋万古長
      耕耘下去吧未来世界的主
      這是一片神奇的土地 ―― 人間天上難

・耕耘 geng1yun2 耕耘(こううん)。→比喩的に用いることが多い。



【出典】胡裕樹主編《現代漢語》重訂版・上海教育出版社 1995年


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