佐藤功の釣ったろ釣られたろ日誌

釣り・釣りの思い出・釣り界のこと・ボヤキ.etc

フイッシングショー

2023-02-06 19:57:53 | 釣り

3年ぶりのフイッシングショーが行われました。

もう釣りの現役を卒業したつもりなので、今中師匠とも話してもういかなと思っていたのですが、ヒロミ産業の社長から電話で行かれるの?との電話を頂きハイと答えたので素直に行く事にした、魚拓の、松永氏からも来るのかいとの電話をもらっていたので行かせてもらうことにした。

釣り仲間でもある金清氏からも行くときは言うてと誘われていたので電話して一緒に行く事になった。

行くとなったらヒロミ産業に松永氏の魚拓教室も、そしてがまかつさんのこの3か所には寄らないと悪いとの思いから以前、陣中見舞にはなにをもっていってたのかなーと・・・

今回はお手伝いの皆さんに少しでも当たるようにとの事から、各ブースに20個ずつの出来立てのおやつを持っていきました。

明日から主なブースを掲示します。

 

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長き釣り友の歴史22(我が人生の釣遊記)

2023-02-03 21:10:38 | 釣り

Episode2 老後の釣り1

55歳の頃から田舎の母親の定期診察の付き添いで帰省していたが、60歳以降は田舎にいて母を観ながらのんびりした釣りをしていた。約半年後再就職が決まってまだ元気だった母を観るために田舎に帰ったり再就職先での仕事をするなど半々の生活を開始していた。一方で釣連盟の業務やその付き合いが多く結構多忙であった。3年後弟も定年になり田舎で母をみてくれるようになり、仕事や連盟のお世話が中心になった。

田舎での主な釣りは河口のテトラポッドのグレ釣である。多くの場合午後3時頃が地合いになることが多く、その時間帯に合わせて家を出るのである。家から釣具店迄自転車で3分、エサの購入に5分、家に帰って釣り場の自転車置き場迄まで2分。釣り具を持って海岸を徒歩、テトラのポイントまで徒歩3分。いつも釣るテトラの場所は決まっていた。そのテトラに名前を書きたいくらい決まっていた。また先客もよく知っていて場所を開けてくれたりした。

そこはやはり季節の釣り物がよくわかる場所で10月になればシマアジがよく釣れる。それが釣れなくなると本格的なグレのシーズンの開幕であった。色んなエサ取りや色んな釣り方もしたが河口独特の釣り方も有効であった。あまり坊主はなく殆どおかずの魚は釣れた。ただ大物は引き合いすれば必ずテトラに入り込むのであまり40cm以上のグレは取れなかった。

予期しないハプニングは釣りにはつきものであるが2回あった。

一度は掛けた魚が大きな石鯛だった。頑張ったがやはりタックルが違い過ぎてテトラに入って切られてしまった。

また時々クエの小型を目撃するのでグレ釣用の道具とは別にハリス8号のゴツイ仕掛けを用意していた。すると弟が釣った木っ端グレに70cm以上はあるクエが追いかけてきた。早速その木っ端グレをエサにしてすぐに見えた場所に放り込んだ。しかし当たってこない。だめかなあと思っていたその時、思い切り当たってきた。腰を入れて竿を立てると姿がみえた。すると奴は思い切り方向を変えて沖へ向かって突っ走る。随分沖まで出されたが頑張ってまたリールを巻き戻した。すると今度はこちらに向かって突っ走ってきて、そのままテトラに突っ込んでしまった。それはもう取れるものではなかった。テトラでハリスが切れて終わった。

当時は介護と再就職先の仕事のまとめとテトラの釣りの毎日であった。

 「佐藤談」

長い期間おせわされてたいへんだったとおもいますが、この親孝行ができないようでは魚も釣れませんが、弟さんと大変な孝行息子でしたね、ご苦労様でした。

 

 

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長き釣り友の歴史22(我が人生の釣遊記)

2023-02-01 19:00:00 | 釣り

Episode2 老後の釣り1

55歳の頃から田舎の母親の定期診察の付き添いで帰省していたが、60歳以降は田舎にいて母を観ながらのんびりした釣りをしていた。約半年後再就職が決まってまだ元気だった母を観るために田舎に帰ったり再就職先での仕事をするなど半々の生活を開始していた。一方で釣連盟の業務やその付き合いが多く結構多忙であった。3年後弟も定年になり田舎で母をみてくれるようになり、仕事や連盟のお世話が中心になった。

田舎での主な釣りは河口のテトラポッドのグレ釣である。多くの場合午後3時頃が地合いになることが多く、その時間帯に合わせて家を出るのである。家から釣具店迄自転車で3分、エサの購入に5分、家に帰って釣り場の自転車置き場迄まで2分。釣り具を持って海岸を徒歩、テトラのポイントまで徒歩3分。いつも釣るテトラの場所は決まっていた。そのテトラに名前を書きたいくらい決まっていた。また先客もよく知っていて場所を開けてくれたりした。

そこはやはり季節の釣り物がよくわかる場所で10月になればシマアジがよく釣れる。それが釣れなくなると本格的なグレのシーズンの開幕であった。色んなエサ取りや色んな釣り方もしたが河口独特の釣り方も有効であった。あまり坊主はなく殆どおかずの魚は釣れた。ただ大物は引き合いすれば必ずテトラに入り込むのであまり40cm以上のグレは取れなかった。

予期しないハプニングは釣りにはつきものであるが2回あった。

一度は掛けた魚が大きな石鯛だった。頑張ったがやはりタックルが違い過ぎてテトラに入って切られてしまった。

また時々クエの小型を目撃するのでグレ釣用の道具とは別にハリス8号のゴツイ仕掛けを用意していた。すると弟が釣った木っ端グレに70cm以上はあるクエが追いかけてきた。早速その木っ端グレをエサにしてすぐに見えた場所に放り込んだ。しかし当たってこない。だめかなあと思っていたその時、思い切り当たってきた。腰を入れて竿を立てると姿がみえた。すると奴は思い切り方向を変えて沖へ向かって突っ走る。随分沖まで出されたが頑張ってまたリールを巻き戻した。すると今度はこちらに向かって突っ走ってきて、そのままテトラに突っ込んでしまった。それはもう取れるものではなかった。テトラでハリスが切れて終わった。

当時は介護と再就職先の仕事のまとめとテトラの釣りの毎日であった。

 

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長き釣り友の歴史22(我が人生の釣遊記)

2023-01-31 19:39:24 | 釣り
  • 5 定年と釣り

Episode ニュージーランド釣行

長年勤務していた会社を2000年10月で定年退職した。

そんなふっと一息ついた時、義弟から費用はすべて出すからニュージーランドに釣りに行かないかと誘われた。それは断るなんてありえなく二つ返事でOKである。義弟の獣医師仲間2人の計4人でその頃まだ殆ど釣り人が行かなかったニュージーランドに釣行した。

私の最大の目的はニュージーランドの磯でグレを釣ることである。そもそもグレがいるのかどうかも分からなかったからである。もし生息しているのなら会ってみたいという思いが強くあった。関空から一路クライストチャーチへ。休息したのちオークランドへ。そしてセスナ機でさらに北島のローカルな空港へと着いた。義弟の竿が長すぎてその機には乗せられず次の便を待ったりした。

長閑な牧場などの横の海岸を走ること約3時間、車はお洒落なロッジに着いた。途中磯は殆ど見えないしテトラポッドや堤防が全くない。ロッジではキャプテンやロッジのおばさんが歓迎してくれた。翌日、モーターボートのちょっと大型の船が渡船で磯には飛び乗りであった。ニュージーランドではグレ用の添加剤は許可されているがオキアミなどは持ち込むことはできない。そのため撒き餌はイワシやカツオの切り身に添加剤を入れて撒き餌をするという変則的な釣りであった。しかし撒き餌をして驚いた。一瞬にして撒き餌をした水面が赤く染まったのである。見るとそれは真鯛の群れが沸き上がってきたのである。何という光景か!自分はグレを釣りに来たのにこれは何ということか、素晴らしい光景かもしれないがこれはグレには遠いなあと直感した。義弟たちも間もなくヒラマサ釣りに切り替えた。まずヒラマサのエサとなるボラのような魚を釣るのである。その大きな生き餌に大きな風船をつけてヒラマサが回ってくるのを待つのである。暫くすると撒き餌に寄っていた魚が急にどこかに消えたかと思うと、まるで潜水艦のような影が近づくのである。その時がチャンスだが、もし喰いついたとしてもとても上げられるようには見えない。とにかくでかい!緊張感はマックスとなる。またその磯にはひん曲がった鉄柱が立っていた。それはキャプテンが魚との格闘の名残だという。しかし、何回かのチャンスはあったもののでかいヒラマサは去っていった。さて私のグレ釣はその磯で最後の最後に喰いついてきた。日本のグレとはちょっと違うがよく似た40cm位の魚であった。キャプテンはこんなものを狙っていたのかというので「そうだ」というとこれは河口にいけばいくらでもあるという。よく聞くとそれはまさに口太グレのように思った。大体大きいので60cmくらいだなあという話だった。残念だがそのグレには挑戦せずであった。しかし、その日の磯の上の弁当には驚かされた。釣っている磯の裏側でキャプテンが潜って沢山採ってきたイセエビとアワビが副菜でパンとコーヒーが主食である。調味料は醤油のみという何とも贅沢というか訳が分からないランチであった。

翌日も私は磯釣り義弟らは船からルアーでヒラマサ狙いである。いくら頑張っても真鯛とシマアジのオンパレード。途中で船に乗せてもらい私もヒラマサ狙いに変更。魚探を観れば物凄い魚群である。

大きなルアーをそろりと入れていくといきなりドーンくる当たり。凄い引き、うんうんと唸りながら上げたのは20kgオーバーの大きなヒラマサであった。60歳を迎えた自分には十二分の格闘であり、釣り人生の大きな勲章となった。

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長き釣り友の歴史21

2023-01-24 19:53:20 | 釣り

Episode9 行事1

大釣協の役員をしているときのエピソードの1つ。

ひとつは毎年2月にインテックス大阪で開かれるフィッシングショーでのこと。毎年大阪湾で釣った魚の魚拓でその大きさを競い表彰する催しがある。釣り具メーカーさんから割合良い景品が贈呈される。審査の結果、スズキの部で日系ブラジル人の方が3位に入賞された。私は当日会場に来るようはがきを出したが一向に連絡がないため心配していた。直前になって現れたのは大きな青年であった。日本語が分からないのか2人の通訳さんのような方が付き添っていた。私は役員のため当日は非常に忙しい中で顔を見て安心した。すると付き添いの方が彼で良いのかと聞く。どういう意味か聞くと彼は日系だがブラジル人だからという。どうやら外国人は表彰されないと想定していたようだった。私は大阪湾で自分で大物を釣られたから表彰されるので国籍なんかは全く関係がないと言い切った。彼らは喜んでいたがとりあえず拍手、表彰し景品を沢山お渡しした。

すると暫くして日系人らしいテレビクルーが私のところにやってきた。何ですかと聞くと先ほどのいきさつを聞かせてほしいという。

特に何もありませんがというと先ほどと同じように国籍は全く関係ないと言ってほしいという。当たり前のことを言ったまでだが彼らには新鮮だったのかも知れないと思うと同時に彼らの日本での立場を感じさせられた。

大阪湾の魚拓で圧倒的なのはチヌの魚拓で毎年60cmくらいの大物の魚拓が出る。さすがに茅渟(チヌ)の海といわれる所以である。

またそれとは別に魚屋さんで漁師がとった大物や大阪湾ではありえないカンパチなどの魚拓を提出して景品を荒稼ぎする泥棒一家もいて役員の一部では有名だった。

 

Episode10 行事

大釣協では環境の日に向けて釣り人が集う波止場の清掃をすることが年中行事の重要な事項だった。

神戸の第5管区海上保安庁から清掃用のゴミ袋が大量に送られてくるのである。毎年何故か大和川尻の堤防を清掃作業し、釣り人が出したゴミだけではないが、兎に角大量のゴミが堤防に集められるのである。そういう行事には集まるメンバーは毎年決まっていて、なかなか釣り大会のようには集まらないものでもある。そのお世話をしていて最も困ったことはその集められた大量のゴミ袋の処理である。そのゴミ袋の処理を府の環境係に依頼すると市に依頼してくれという。市に依頼すると府か保安庁ではないかともいう。

約20回くらい電話で交渉したが埒が開かない。私が府に電話して最後に取った手段は簡単であった。その担当者の名前を聴き「もういいです。今から知り合いの府会議員に依頼しますので」という。それは特効薬だった。すぐに府の担当で処理しますという丁寧なやり取りに代わった。そのことが前例となり多分今も継続している可能性があると思われる。今、大阪は府と市の合併などを言っているが府と市が分かれているとそんな弊害もあったことは事実である。

 (佐藤談話)

いまも大釣協は活躍していると思いますが、外の人間になったので、もう何も連絡は来ない、うるさい私を含めて、谷本氏,I氏,M氏と言った皆さんがいないので悪い事をしたメンバーもホッとしてことでしょうけど。

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