五大老と五奉行の発案が兼続だったとは
それも何故か六大老??
徳川家康・前田利家・宇喜田秀家・毛利輝元・小早川隆景プラス
上杉景勝。
上杉景勝が大老に就任するのは小早川隆景が亡くなった後と
ばかり思っていた僕にとって驚きです
五大老と言っておきながら六大老が一同に集まるなんて何を
考えているのでしょうか
自分は奉行には入らぬ、大老になった殿を影で支えると言っ
ていた兼続ですが、景勝はまだ大老に就任していないのです
歴史的事実をここまで歪曲してよいのでしょうか?
驚きを通り越して呆れてしまいます
兼続が陪臣の身であのような席に同席するのも考え難い事で
す
もっとも、家康の重臣・本多正信も同席していましたが
サブタイトルの五人の兼続って一体何の事なのでしょうか??
景勝が、兼続が五人いれば上杉は心配ないと言う様な事を言
っていましたが、五大老・五奉行に引っ掛けただけなのでし
ょうか??
それにしても兼続に執政として上杉の全権を任せるとは…
景勝の存在自体に意味がなくなります
景勝は何を考えているのでしょうか??
政策を全て丸投げしていた何処かの総理大臣の様ですね
最後の決断を迫られた時、決定するのはトップの景勝しかい
ないのです。
№2がすべて決断するなんて組織とはいえませんよね
トップとは本質的にはそういうものなのではないのでしょう
か
秀吉の血の繋がった身内の中で唯一の成人の男子・秀次を殺
した事が豊臣の天下を二代で終わらせた一番の原因だと僕は
思っています
もし、秀次が生きていたなら…
秀吉亡き後の豊臣家も簡単には潰れなかった筈です。
老境にさしかかった秀吉の哀れを感じますね
個人的な意見ですが、秀頼は秀吉の子供ではないと僕は思っ
ています。
確かめる術はありませんが、もしそうだとすれば豊臣は浅井
の怨念に潰された事になります。
因果応報ですね
秀次切腹には三成も反対していたのは事実のようです
もし、お拾いが早世したならその時点で豊臣の家が危うくな
るのです。
秀吉のお拾いに対する過度の愛情が豊臣を滅亡させたのでし
ょうか
ちなみに、秀次一族全員が処刑された訳ではありません。
正室の池田恒興の娘など数名が助命されています
右大臣・菊亭晴季の娘や最上義光の娘などは処刑されている
のですが処刑と助命の狭間がはっきりと分かりませんよね
連座するかたちで菊亭晴季や浅野幸長(後に復帰)など本人も
流罪になっています。
家康の取り成しで難を逃れたのは伊達政宗だけではなく最上
義光と細川忠興なども家康に助けられたくちなのです
藤堂高虎・堀尾吉晴・田中吉政・中村一氏・山内一豊なども
難を逃れたのですが、これらの武将の殆どが関が原の戦いで
家康(東軍)に見方しているのです
偶然だとはとても思われません
秀次を殺した事が豊臣を二代で終わらせた事だけは間違いな
い様ですね
サポグラ 8月号 のCMです →
それも何故か六大老??
徳川家康・前田利家・宇喜田秀家・毛利輝元・小早川隆景プラス
上杉景勝。
上杉景勝が大老に就任するのは小早川隆景が亡くなった後と
ばかり思っていた僕にとって驚きです
五大老と言っておきながら六大老が一同に集まるなんて何を
考えているのでしょうか
自分は奉行には入らぬ、大老になった殿を影で支えると言っ
ていた兼続ですが、景勝はまだ大老に就任していないのです
歴史的事実をここまで歪曲してよいのでしょうか?
驚きを通り越して呆れてしまいます
兼続が陪臣の身であのような席に同席するのも考え難い事で
す
もっとも、家康の重臣・本多正信も同席していましたが
サブタイトルの五人の兼続って一体何の事なのでしょうか??
景勝が、兼続が五人いれば上杉は心配ないと言う様な事を言
っていましたが、五大老・五奉行に引っ掛けただけなのでし
ょうか??
それにしても兼続に執政として上杉の全権を任せるとは…
景勝の存在自体に意味がなくなります
景勝は何を考えているのでしょうか??
政策を全て丸投げしていた何処かの総理大臣の様ですね
最後の決断を迫られた時、決定するのはトップの景勝しかい
ないのです。
№2がすべて決断するなんて組織とはいえませんよね
トップとは本質的にはそういうものなのではないのでしょう
か
秀吉の血の繋がった身内の中で唯一の成人の男子・秀次を殺
した事が豊臣の天下を二代で終わらせた一番の原因だと僕は
思っています
もし、秀次が生きていたなら…
秀吉亡き後の豊臣家も簡単には潰れなかった筈です。
老境にさしかかった秀吉の哀れを感じますね
個人的な意見ですが、秀頼は秀吉の子供ではないと僕は思っ
ています。
確かめる術はありませんが、もしそうだとすれば豊臣は浅井
の怨念に潰された事になります。
因果応報ですね
秀次切腹には三成も反対していたのは事実のようです
もし、お拾いが早世したならその時点で豊臣の家が危うくな
るのです。
秀吉のお拾いに対する過度の愛情が豊臣を滅亡させたのでし
ょうか
ちなみに、秀次一族全員が処刑された訳ではありません。
正室の池田恒興の娘など数名が助命されています
右大臣・菊亭晴季の娘や最上義光の娘などは処刑されている
のですが処刑と助命の狭間がはっきりと分かりませんよね
連座するかたちで菊亭晴季や浅野幸長(後に復帰)など本人も
流罪になっています。
家康の取り成しで難を逃れたのは伊達政宗だけではなく最上
義光と細川忠興なども家康に助けられたくちなのです
藤堂高虎・堀尾吉晴・田中吉政・中村一氏・山内一豊なども
難を逃れたのですが、これらの武将の殆どが関が原の戦いで
家康(東軍)に見方しているのです
偶然だとはとても思われません
秀次を殺した事が豊臣を二代で終わらせた事だけは間違いな
い様ですね
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