函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

龍馬伝、山内家のDNA??

2010-11-15 | Weblog
『武士も大名もなくなったら世の中に何が残る?』
と容堂
『日本人です、異国と堂々と渡りあえる日本人です
』と言い切る龍馬
史実とは違うのは百も承知ですが、中々の名言です


坂本龍馬から聞いたとされる大政奉還論、後藤象二
郎はたいそう感銘を受けたそうです
薩長同盟をもとに武力倒幕を考えていた薩摩と長州
ですが、薩摩藩の小松帯刀・西郷隆盛・大久保利通
らもこの大政奉還論に同意したと言われています
いわゆる薩土同盟の締結です

徳川慶喜に大政奉還を迫り、拒否された場合には武
力討伐も辞さないというもの。
後藤象二郎は直ぐに帰国し土佐藩の兵を連れて来る
つもりだったようですが、土佐藩の実質的な藩主・
山内容堂が反対、六月末に結ばれた薩土同盟も九月
初めには解消されてしまいます

容堂は大政奉還に反対したのではなく武力を後ろ盾
とした大政奉還には踏み込めなかったようですね
もし慶喜が大政奉還を拒否すれば薩摩・長州と共に
幕府に対し武力行使をしなければならなくなるから
です
佐幕派の代表のような容堂にとってそんな事が出来
る筈がありません。
結局、土佐藩は単独で建白書を提出する事になりま


賢候と言われた容堂でも時代の変節を100㌫理解出来
なかったのでしょうか??
それとも、土佐藩・山内家のDNAが許さなかったので
しょうか??

龍馬が苦心した大政奉還ですが、結局のところ徳川慶
喜に利用されただけの様な気がしてなりません
密かに倒幕の密勅を受ける画策をしていた岩倉具視ら
の企みを遅らせただけなのかも??
その慶喜も策士策に溺れ結局、王政復古の大号令。

龍馬が望んだとされる大政奉還による無血改革ですが、
武力による討幕を防ぐ事は出来ませんでした
血を伴わない革命は無いと言う事でしょうか
一っ飛びに新しい政治体制を作れなかった龍馬ですが、
その辺りが龍馬の限界だったのかも知れませんね

コメント
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