函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

平清盛、選択肢がなかった為義と忠正!!

2012-06-12 | 歴史

久し振りにテレビに見入ってしまいました

史実云々より演技に引き込まれてしまったのです。

特に玉木・義朝の演技は抜群でしたね

一本調子の清盛より役者としてはワンランク上の感じがしたのは

僕だけでしょうか??

 

忠正を斬る清盛と為義を斬る義朝

清盛は自分で斬りましたが、冷酷な義朝な筈なのにドラマでは遂

に為義を斬る事が出来ません

平治の乱での勝者と敗者を想像させる演出のように思えてなりま

せん。

主の苦悩を察し正清が刀を振り下ろしますが、子供の様に泣きじゃ

くる義朝の姿が印象的でした

しかし、清盛も義朝も自らの刀をとって斬首するなどあり得ません

腕のたつ選りすぐりの部下が斬った筈です。

本人が斬る方が感動的な映像にはなるとは思いますが…

 

それはそうと斬首された忠正と為義の処刑場に何故か西行と弁慶

がいましたね

立会人と言う事なのでしょうか

 

「全ての重き荷を背負うて、この国の宝となるじゃ。 この信西、知力

を持ってそなたを支えてみせる。清盛。共に世を変えようぞ」

と言われても全く説得力がありません

 尤も、ドラマの中での清盛には少しは通じたようですが…

結局は権力闘争。                                                                                    

摂関家に替り自分が権力を握りたい信西、摂関家と近かった為義を

殺すため忠正を助ける訳にはいかなかったと言っていましたが、果た

して本当でしょうか??

為義だけではなく忠正も摂関家とかなり近い関係にありそのお蔭で出

世して来たのです

為義も忠正も摂関家を裏切る事など出来る筈がありません。

そこが清盛と大きく違うところでしょうね。

摂関家以外に選択肢がなかった為義と忠正、どちらにも加担出来た清

盛、清盛は武家の棟梁でもあり政治家でもあったのです。

為義も忠正も摂関家に仕え武士の中で頂点を極めたいだけで武士の世

を目指していたわけではないと僕は思っています

少なくとも清盛は朝廷や摂関家に仕えるだけの武士ではなく政治に加わ

りたいと思っていた筈ですし、政治に関われる武士としては一番可能性の

高い位置にいたのです

 

ところで

保元の乱の後、仏達の評定によって二条天皇が即位します。

仏達とは信西と美福門院。

出家とは簡単に言うとお坊さんになる事ですよね

家庭も捨て世俗を離れなければなりませんが、権力者達の出家は本来の出

家の意味とはかなりかけ離れています。

法王(出家した上皇)による院政が終わったと思ったら別の仏達が権力を握っ

たようです。

どうやら仏に近い方が政治を自由に操れるような時代だったのでしょうね

処刑場にいた西行こそ本当の意味での出家の姿かも知れません

 

 

 

 

 

コメント
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