函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

真田丸、主は私です!!

2016-11-07 | 歴史

個人的には大好きな真田丸のメインテーマ

いきなりナレーションから始まり本編へ。

少し驚きましたが、これも三谷マジックなのでしょうか

いよいよ最終章へ向かっているという感じを醸し出して

いる様にも感じます。

 

二転三転、結局籠城に決まりますが、兵の配置で又も横

槍が

戦の素人が口出している様では勝てません

浪人達との間を取り持っている大野治長も次第に浪人達

の意を酌む様になりましたね

出城の着工も浪人達の配置も却下、愛想をつかし立ち去

ろうとする浪人達を何とか引き留めた幸村ですが、談判

した茶々までもが危機感全く無し

普通はここで諦める処ですが、城を出ると覚悟した又兵

衛と勝永に向かって「豊臣は見捨てる訳にはいかぬ!!

と宣言

何故か?これを聞いていた秀頼、「豊臣を見捨てぬと言

うのは真だな!!

と念押し。

「私が許す!!そなたらを信じておる!!」と出城の建設を許

浪人達の忠誠心を試していたのなら分からなくもありませ

んが、一番しっかりしなければならない主が右往左往して

いる様にしか見えないのは僕だけでしょうか??

事の次第を説明するため茶々の許へ行き異を唱える茶々に

むかい「この城の主は私です!!この戦い浪人達の力を借り

ねば我らの負けでござる!!」と迫真の弁明

秀頼の勢いに圧倒される茶々と大蔵卿ですが、ようやく一

城の主になった瞬間なのかも知れませんね

 

「御所柿は独り熟して落ちにけり、木の下に居て拾う秀頼」

家康が死ねば秀頼が政権を奪うだろうと言うような意味だと

思いますが、京の町ではこの様な落首がいたる所に書かれて

いたみたいですね

人々の多くは徳川政権も長くは続かないと思っていたのでし

ょうか?

家康も70才を超えいつ亡くなっても不思議有りません。

駿府と江戸での二元政治が続いているところを見ると徳川幕

府も盤石とは言えないようです

関ケ原の戦いから14年経過していますが、曲がりなりにも豊

臣家は健在

人々の心の中では戦国の世は未だに続いていたという事なの

でしょうね

 

先週、「信じられるのは真田だけじゃ~。」と茶々が言って

いましたが、実は幸村自身も徳川への寝返りを疑われていた

節があるのです

敵に狙われ易い場所に真田丸を作ったのも豊臣への忠誠心を

表したいからだと個人的には思っています。

味方をも信じられなくなっていた豊臣が勝利出来る可能性は

殆どありません

この疑心暗鬼状態は夏の陣まで引きずります

夏の陣で後藤又兵衛が討ち死にし、ようやく全軍が幸村の指

揮下に置かれるのですが、あまりにも遅すぎます。

ところで…

絶対不利とされた豊臣軍でしたが、意外と善戦出来たのは何

故なのでしょうか??

冬の陣は関ケ原の戦いから14年後です。

戦国の猛者達も亡くなり代替わりで跡継ぎは実戦経験が殆ど

ありません

初陣の様な武将達が抜け駆けして功を焦ったばかりの敗戦が

目立ちます

歴史上の14年は短いのですが、リアルタイムで生きてる人々

には意外と長い年月だという事なのでしょうかね??



コメント
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