個人的には大好きな真田丸のメインテーマ
いきなりナレーションから始まり本編へ。
少し驚きましたが、これも三谷マジックなのでしょうか
いよいよ最終章へ向かっているという感じを醸し出して
いる様にも感じます。
二転三転、結局籠城に決まりますが、兵の配置で又も横
槍が
戦の素人が口出している様では勝てません
浪人達との間を取り持っている大野治長も次第に浪人達
の意を酌む様になりましたね
出城の着工も浪人達の配置も却下、愛想をつかし立ち去
ろうとする浪人達を何とか引き留めた幸村ですが、談判
した茶々までもが危機感全く無し
普通はここで諦める処ですが、城を出ると覚悟した又兵
衛と勝永に向かって「豊臣は見捨てる訳にはいかぬ!!」
と宣言
何故か?これを聞いていた秀頼、「豊臣を見捨てぬと言
うのは真だな!!」
と念押し。
「私が許す!!そなたらを信じておる!!」と出城の建設を許
可
浪人達の忠誠心を試していたのなら分からなくもありませ
んが、一番しっかりしなければならない主が右往左往して
いる様にしか見えないのは僕だけでしょうか??
事の次第を説明するため茶々の許へ行き異を唱える茶々に
むかい「この城の主は私です!!この戦い浪人達の力を借り
ねば我らの負けでござる!!」と迫真の弁明
秀頼の勢いに圧倒される茶々と大蔵卿ですが、ようやく一
城の主になった瞬間なのかも知れませんね
「御所柿は独り熟して落ちにけり、木の下に居て拾う秀頼」
家康が死ねば秀頼が政権を奪うだろうと言うような意味だと
思いますが、京の町ではこの様な落首がいたる所に書かれて
いたみたいですね
人々の多くは徳川政権も長くは続かないと思っていたのでし
ょうか?
家康も70才を超えいつ亡くなっても不思議有りません。
駿府と江戸での二元政治が続いているところを見ると徳川幕
府も盤石とは言えないようです
関ケ原の戦いから14年経過していますが、曲がりなりにも豊
臣家は健在
人々の心の中では戦国の世は未だに続いていたという事なの
でしょうね
先週、「信じられるのは真田だけじゃ~。」と茶々が言って
いましたが、実は幸村自身も徳川への寝返りを疑われていた
節があるのです
敵に狙われ易い場所に真田丸を作ったのも豊臣への忠誠心を
表したいからだと個人的には思っています。
味方をも信じられなくなっていた豊臣が勝利出来る可能性は
殆どありません
この疑心暗鬼状態は夏の陣まで引きずります
夏の陣で後藤又兵衛が討ち死にし、ようやく全軍が幸村の指
揮下に置かれるのですが、あまりにも遅すぎます。
ところで…
絶対不利とされた豊臣軍でしたが、意外と善戦出来たのは何
故なのでしょうか??
冬の陣は関ケ原の戦いから14年後です。
戦国の猛者達も亡くなり代替わりで跡継ぎは実戦経験が殆ど
ありません
初陣の様な武将達が抜け駆けして功を焦ったばかりの敗戦が
目立ちます
歴史上の14年は短いのですが、リアルタイムで生きてる人々
には意外と長い年月だという事なのでしょうかね??