平野長泰に唆されすっかりその気になっている信之
「わしの一生一度の馬鹿を許せ!!」と妻・稲の説得
にも応じようとしません
ここで登場したのが、亡くなったとばかり思っていた
出浦昌相
さすが忍びの棟梁ですね。
「徳川に知られたら真田は終わりだぞ!!」と信之を諫
めますが、「父上も源次郎も散々無茶をしてきた。わ
しも一度くらいと駄々を捏ねます。」
ここで出浦からきつ~い一発。
「お前の無茶と父の無茶は全然違うぅー!!」と…
誰に何を言われても全く話を聞こうとしない信幸に最
後の一撃
出浦昌相は忍者なのです。
実際には有り得ない話ですが、出浦昌相再登場のシチ
ュエーションとしては面白い設定でしたね
ところで…
和睦交渉は冬の陣が始まった直後からすすんでいたよ
うですね
豊臣家の交渉役は大野治長と織田長益。
長益は当初から秀頼に和睦を進めていたみたいですが、
秀頼は応じなかったと言われています。
関ケ原では…織田家で唯一東軍に味方し戦後32000石
の大名となった長益ですが、その後、豊臣の首脳の一
人として大阪城に入り茶々の叔父として権勢を振るっ
ていたようですね
家康が望んで長益を大阪城に入れたという説もありま
すが、終始和睦を唱えていたところを見ると可能性が
高そうです
長益は豊臣家にとっては最悪のネゴシエーターです
獅子身中の虫とは長益のような人物をいうのでしょう
かね
徳川では…圧倒的な兵力を背景に総攻撃をしたかった
秀忠でしたが、和睦交渉を進めていた家康に止められ
ます
何度も家康に総攻撃を懇願する秀忠ですが、全く相手
にされません。
征夷大将軍としては身の置き場がありませんよね
豊臣家からの和睦条件は…
「茶々を江戸に送る」「家康と秀忠の誓紙を差し出す」
「浪人達に領土を与える」というものでした
幕府としては、浪人達に領土を与える事は出来ないので
扶持を与えるという条件を出します。
交渉が決裂したのは幕府が提示した秀頼の関東二か国へ
の転封です
秀頼が望んだのは四国への転封だったともいわれていま
すが、何故?四国を望んだかは定かではありません??
茶々が江戸へ行く事も、秀頼の転封も豊臣家にとって障
害ではなかったようです
絶対に呑めない条件だと思われた二条件は交渉過程を見
ると最初から豊臣家も了承していたみたいですね