いよいよ前半戦のやま場・長良川の戦いですね
高政との一騎打ちに持ち込む道三。
「そなたの父の名をも申せ!!」と何度も高政に迫
る道三でしたが…
「わが父は土岐頼芸様、土岐源氏の棟梁ぞ!!」と
絶叫する高政
それを一笑に付す道三、「我が子高政よ、その口
で欺き美濃をかすめ取るのか~。そなたの父は斎
藤道三じゃ。成り上がり者の道三じゃ。」と大勢
の兵の前で絶叫!!
高政の家臣に討たれる道三がいまわの際に「愚か
者、勝ったのは道三じゃ!!」と…
結局、高政は道三の術中に嵌ったのでした。
問題は明智家。
ドラマでは…道三側に組したため高政軍に攻めら
れる明智ですが、実際は中立を保っていた様なの
です
しかし、高政軍に参じなかったのが災い
高政の恨みを買い、結局攻め込まれます
光安は善戦しますが、多勢に無勢、自刃して果て
たてと言われています
もし?光秀が光安と共に戦っていれば、その後の
光秀の活躍はなかった訳です。
光秀一行が逃れたのは光安の威光が大きくはたら
いたのではないのでしょうか?
城を枕に討ち死にするのが、当時の武将のならわし。
そういう意味では光安こそその後の歴史を作ったと
も言えます
長良川の戦いは単なる私怨での戦いの様に見えます
が、その後の日本の歴史を大きく塗り替えた一戦だ
ったと個人的には思っています。
ところで
高政は道三の嫡男ですが、正室の子ではありません
母・深芳野はあくまでも側室。
道三に反旗を翻した原因はどうもその辺りにありそ
うです。
正室はあくまでも小見の方
小見の方の子・孫四郎や喜平次が後を継ぐのが武家
の習わしといえばそうなのかも知れません。
武家では奥さんの血筋か何より大事なのです
実際、道三は次男・三男をかなり可愛がっていたと
も言われています
古くは源義朝の子の義平。
信長の兄・信広も嫡男ですが、側室の子でした。
信広は一度反旗を翻した様ですが、許され、結局亡
くなるまで信長を裏切る事はありませんでいた。
高政も信広と同じ様な生き方が出来なかったのでし
ょうか??
強引な道三のやり方に不満を持っていた国衆達に担
ぎ上げられ父・道三と戦うしか術がなかった高政
自らの運命を切り開くことが出来なかったのでしょ
うね