「これほどまでに鎌倉殿と心を通じ合った御家人が
他にいたか?我こそが、鎌倉随一の御家人じゃ。」
と叫んだ瞬間に無数の矢が義盛を貫きます
弁慶の立ち往生を見ている様な…義盛の立ち往生、
壮絶な最期でしたね
鎌倉殿と心を通じ合った御家人を、北条としては認
めるわけにはいかないのです
政治を司る側としては最も警戒しなくてはなりませ
ん
義盛を殺した張本人の義時ですが、いまにも泣き出
しそうな表情が個人的にはとても印象的でした
人間の心模様は不思議なものです。
御家人同士の権力バトルは、この後も多少続きますが
それが収まると今度は身内同士の争いが始まります
生きている限り権力闘争は続くものなのでしょうかね
ところで
鎌倉で行われた初の市街戦と言われる和田合戦。
一歩間違えれば北条氏が滅亡していたかも知れない戦
いです。
最大のポイントは将軍・実朝を確保する事です
もし、和田勢が実朝を自軍に取り込めていたら、鎌倉
に近い御家人達はこぞって和田軍に味方していた筈です。
和田合戦のおり、鎌倉近くまで来ていた御家人も多数い
たと言われています
しかし、誰と誰の戦いか、はっきりするまで御家人達も
動くわけにはいきません
いち早く、鶴岡八幡宮に実朝を避難させた義時の動きが
勝敗を分けた感じがします
義盛VS義時ではなく和田VS幕府との闘いだと、戦の意味
を摩り替えた事が勝因の全てでしょうね
最初から義時だけに的を絞った義盛軍と、いち早く将軍・
実朝確保を優先した義時軍の差が出た感じです。
混乱を収めるには権威が一番です
将軍の名のもとに出された命令状に異を唱える御家人は
殆ど無かったでしょうね
将軍が命令を出した時点で勝負ありです
義盛は勿論ですが、三男の朝比奈義秀も豪傑と言われて
いる人物ですし、戦いに加わったと思われる泉親衡も武
人としても中々の人物です
一騎当千の人物が揃っていても負けてしまうのが戦です。
いくら武力を持っていても、智は武を超えると言う事で
なのでしょうか?
ところで…
この和田合戦の陰の主役・三浦義村
個人的には、最初から義時と内通していた可能性が大き
いと思っています
三浦氏の中での実質的な主導者・和田義盛をどうにか排
除したいと義村が考えていても不思議ありません
和田氏を滅ぼす事により、鎌倉に一番近い領地を義村が
握る事が出来る可能性も大きくなります。
1000人単位の軍を素早く集める事が出来れば大きなアド
バンテージとなります
御家人の中でも義時に次ぐ立場となった義村ですが、こ
の後の争いでも義時を裏切る事はありませんでした。
承久の乱でも伊賀氏の変でも北条軍として戦っています
もしかして、義時と義村は想像するより深い絆が有った
のかも知れませんね
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