滋子が突然亡くなりましたね
35歳とは何とも早すぎます。
せめて10年、滋子に寿命があれば後の歴史はかなり違ったものに
なっていた筈です。
卑弥呼から始まり北条政子や日野富子など歴史を動かした女性は
おりますが、間違いなく滋子もその一人だと僕は思っています。
元々清盛と後白河は高倉天皇擁立の一点で利害が一致しただけ、
現代でいうパーシャル連合を組んだだけにすぎないのです
清盛と後白河の仲介役といってもよい滋子が亡くなるのですから連
合が壊れるのも仕方ありません
曲がりなりにも権力の均衡が保たれていた事を見ても滋子の存在
の大きさが分かります
「この世にこんな美しい人がいたのか」とか「言葉に出来ないほど若
々しく美しい」とか滋子に対しては絶賛の嵐です
女好きの後白河が唯一愛した女性と言っても言い過ぎではありません
平家を快く思ってはいなかった後白河でも滋子の知性と美貌の前には
為す術がなかったようですね
滋子が亡くなった途端堰を切ったように清盛VS後白河の対立が激化
遂に清盛は後白河を幽閉し武力で全権を掌握してしまいます
クーデターをおこした清盛をもはや誰も止める事は出来ません
藤原氏でも摂関家として確固たる地位を得るまでかなりの時間を費や
しているのです。
清盛一代で永遠に続く平氏政権を築く事自体に無理があるのです。
平家出身の公家が何代も続き優秀な人物が現れて初めて認められる
のです。
瞬間的に絶対連力を握った権力者の焦りや哀れを感じます。
ところで
「平氏に非ざるものは皆人」と言ったのは平時忠だと言われていま
すが、平家絶頂のこの時、政治経済は勿論ですが、衣類の着こなしや
烏帽子のかぶり方など皆平家の真似をしたと言われています
六波羅様と言われ持て囃されていたようですね。
どうにかして平家の目にとまり出世の糸口をつかもうとする公家が多数
いたと言う事でしょうが、政治や経済だけではなくファッションの世界も平
家が支配していたのかも知れません
平家の公達は流行の先端を行っていたと言う事でしょうかね?
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