秀吉の遺言に従い五大老・五奉行による政治が
始まりましたね
殆どの大名が、幼い秀頼を担いだ政権運営が長
くは続かないと思っていた筈です
五大老の中でも、上杉景勝や毛利輝元などはさ
っさと自国に戻っていますよね
次の戦に備えていたと見られても不思議ありま
せん
家康は跡取りの秀忠を江戸に戻し伏見城で政務
をとっていた見たいです
織田信長・信忠親子の二の前にならない様に、
京都と江戸に分かれているところを見ると不穏
な空気を感じていたのでしょうか?
前田利家が生きている間はどうにか収まってい
ましたが、亡くなると歯止めが利かなくなりま
す
「皆、貴公が怖いのよ。貴公は腹を括るしかな
い。」と言った利家の言葉が全てを物語ってい
る様な気がします
利家も生きている間は秀吉の思いに沿う動きを
するしかありませんが、亡くなった後は家康が
天かを治めるしかないと思っていたのでしょう
か?
武人の利家には、家康が天下に号令するのが必
然だと思っていたと個人的には思っています
力の有る者が天下を治めないと戦国の世に逆戻
りしてしまいます
清須会議で信長の孫・三法師を織田家の当主と
決めましたが、その決定を済し崩しにしたのは
秀吉ですよね
力を持った秀吉が、織田家から政権を簒奪した
のは紛れもない事実です
自分がした事と同じ事を家康がしただけなので
す。
言ってみれば、因果応報。
頭脳明晰な秀吉なら分かっていた筈ですが、あ
まりに衰弱し過ぎたのでしょうかね?
幼い当主が政治を司る事など無理だと言う事を…
秀吉の晩年は普通の人に戻った感じが強くしま
すが、それも人間らしくて憎めないところかも
知れません
豊臣家は滅亡しますが、秀吉の偉業は色褪せる
事はありません。
中国では平民から皇帝になった人物はいますが、
日本では秀吉ただ一人
秀吉が立志伝中の人物なのは間違いありません
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます