今朝、旧函病の花壇に有るブロンズ像を撮りに行った時
諸術調所(しょじゅつしらべしょ)跡の看板発見!!
以前アップしたブログで『友人に聞かれた東京遷都』
というのが有ったのですがその中で、大久保利通に
東京遷都を意見具申したのが前島密だと書きました。
その前島密が函館の諸術調所にいた事が有る
とも書いたのですが、その諸術調所跡の看板を見つけたのです。

こんなに近くに諸術調所があったとは
旧函病跡は幕末の函館戦争で高松稜雲(字が違うかも?)
が官軍幕府軍問わず治療したと言う、病院の跡だと
ばかり思っていたのですが、それ以前は幕府の
諸術調所が有ったらしいのです。
ここで郵便の父と呼ばれた前島密が勉強していたのです。
因みに教授は五稜郭を設計した武田斐三郎です。
ここでは、測量・航海術・造船・砲術・科学など
当時の最先端教育がなされていたらしい。
前島密はかなり優秀な人だったんですね

諸術調所(しょじゅつしらべしょ)跡の看板発見!!
以前アップしたブログで『友人に聞かれた東京遷都』
というのが有ったのですがその中で、大久保利通に
東京遷都を意見具申したのが前島密だと書きました。
その前島密が函館の諸術調所にいた事が有る
とも書いたのですが、その諸術調所跡の看板を見つけたのです。

こんなに近くに諸術調所があったとは

旧函病跡は幕末の函館戦争で高松稜雲(字が違うかも?)
が官軍幕府軍問わず治療したと言う、病院の跡だと
ばかり思っていたのですが、それ以前は幕府の
諸術調所が有ったらしいのです。
ここで郵便の父と呼ばれた前島密が勉強していたのです。
因みに教授は五稜郭を設計した武田斐三郎です。
ここでは、測量・航海術・造船・砲術・科学など
当時の最先端教育がなされていたらしい。
前島密はかなり優秀な人だったんですね


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