函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

十三代将軍になれなかった慶喜!!

2008-05-18 | 歴史
いよいよ家定と篤姫の結婚ですね
隠れんぼしたりアヒルを追っかけたりしている姿を見ると、
うつけ者にしか見えません
篤姫の不審は募るのも分かりますよね

思い余った幾島、寄りによって大奥年寄り滝山に問いただ
すとは幾島らしくありませんでしたね

『無邪気とうつけは違う』という篤姫に対して『家定
が暗愚ではないのでは?』と言った斉彬の言葉を伝えた
のです。
幾島にとって、斉彬を信じるしかないと云うしかありま
せんよね

実際の家定を見ていないので何とも言えませんが(笑)、
色んな本を読む限りでは政治のトップに立つ人間でない
事は間違いないようです。
外圧も無く平穏な時代であればよかったのですが、幕末
の動乱期に生まれた事が家定にとって最大の不幸だった
のでしょうね

家定の生涯で唯一の晴れ舞台は、日本領事ハリスを謁見
した時だと僕は思っています。
「遠い国からきてごくろうであった。満足に思う。我が
国と米国の関係は永遠に続くであろう」と告げたと云う
のです
ドラマの家定からは想像出来ませんよね
大河ドラマでも数週間後にそういうシーンが見られるか
も知れません。

ところで
家定は初め家祥(いえさち)と名乗っていたのですが、
将軍に就任すると同時に家定と改名するのです
本来改名する必要がない様に思われるのですが…
実は
名前に偏のついた将軍、家綱(綱)・綱吉(綱)・家継(継)
家治(治)には実子がなく有っても早世した為改名したと
云うのです
たんに縁起を担いだわけですね。
結局、家定には実子が出来なかったので改名も意味があ
りませんでしたが

父の家慶ですら将軍継嗣を家定にするのをためらったと
いうのです
父がためらうほど家定は尋常な人物ではなかったのでし
ょうね
どうやら家慶は斉昭の息子・慶喜を次期将軍にと考えて
いた様なのですが、反対にあって挫折します。
慶喜擁立に真っ向から反対したのが時の老中筆頭・阿部
正弘なのです。
この時、阿部が反対しなければ慶喜が13代将軍になって
いたのかも知れません。
いや、13代将軍になっていた筈です
阿部が血の濃さを優先したのは分からないでもないので
すが、平和な時ならいざ知らず、難問山積のこの時代に
は強いリーダーシップのある人物が求められたのではな
いのでしょうか
十二代家慶、十三代家定と相次いで早死にしたのも、気
力体力に欠けていたからだと思うのです。
それほどトップにいる人間には重圧が掛るのでしょうね
そう云う意味では、老中阿部正弘の失策だったのかも知
れません
もし慶喜がこの時期に将軍に就任していれば、名将軍と
して歴史に名を残したのではないかと僕は思っています。
歴史にもしもはないのですが、もしも阿部が反対しなか
ったら幕末の歴史も大きく塗り替えられた筈です。
NHK的に言うと、阿部正弘が十三代将軍・慶喜擁立に
反対した時こそ『その時歴史は動いた』では??


コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 雁ヶ音のくき茶!! | トップ | 頂いた一夜漬け!! »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんにちは (ヒロ子)
2008-05-19 17:37:33
へぇ~!!
阿部さまが徳川慶喜が将軍職に就くことに
反対したのですか!?
でも現在進行形の大河ドラマの中では
斉彬殿と一緒に慶喜擁立派になっているのですよね。
理由は嫡子ができなかったから?
歴史は面白いですね~
返信する
Unknown (iseッチ)
2008-05-19 18:41:58
阿部正弘は純粋に徳川の血の濃さを考え
家定を推していたようなのです。
勿論、家定に嫡男が生まれていれば状況
は一変したでしょうね。
おそらく
阿部正弘は嫡男を推した筈です。
歴史は生き物ですね!!
返信する

コメントを投稿

歴史」カテゴリの最新記事