私のブログを以前の旧ブログの頃からご覧いただいていた皆様なら、この記事が決して美談ではないということをご存知かと思います。地方の無名の一公立大学という表現は真実を正しく表現していません。そして、強ち故意に誇張した内容でもありません。
それには、この大学の成り立ちに関する経緯を確認していく作業が必要とされます。
高校野球超名門 智弁和歌山から地方の公立大へ 貫いた信念とイチローさんから学んだこと
gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/tys/region/tys-458640
※以下、引用です。
2021年。コロナ後、初めて行われた夏の甲子園を制したのは和歌山県代表・智弁和歌山高校。
この大会、最も高い打率を残し、優勝に貢献したのが・・・2番セカンド・大仲勝海だ。高校卒業後、メンバーの多くが関東や関西の強豪大学へ進学する中、大仲が進路に選んだのは・・・周南公立大学だった。一体なぜ・・・
小田浩史アナウンサー
「こんにちは。よろしくお願いします」
大仲勝海さん
「デザイン系の授業を受けてました。今終わりました」
周南公立大学2年、大仲勝海。授業終わりにキャンパス内を歩くその姿はほかの学生と変わりはない。しかし、この大仲、高校時代に大きな偉業を成し遂げている。
高校時代の華々しい経歴
2021年夏、春夏3度の甲子園優勝を誇る、高校野球の超名門・智弁和歌山で4度目となる全国制覇。大仲は2番セカンドとして全試合に出場。決勝戦での4安打を含む、10安打、打率5割8分8厘を記録した。全選手の中で最多タイのヒット数。打率は、ベスト8以上に進出したチームの選手の中で最も高い。
甲子園を席けんしたそのスイングは力強い。
小田アナ
「大仲君やっぱバッティングいいね」
大仲さん
「いや、全然大したことないです。まじで。きょうはまだ鈍いかなと思います。すみません。大学になってバットが木になったことで、詰まったりしたらヒットにするのが難しくなって、バットを前で構えるようになりました。フォームは高校時代から、だいぶ変わったんじゃないかな」
なぜ、地方の周南公立大へ?
野球人として華々しい経歴を持つ大仲だが、一体なぜ、地方の周南公立大学を選んだのか・・・
大仲が初めて山口を訪れたのは、高校2年の11月。智弁和歌山の2学年上の先輩で先に進学していた入江諒から誘われ、練習に参加した。
大仲さん
「正直なところ、どこにあるんだろうとは思いました」
プレースタイルに魅せられて
生まれてから17年を和歌山で過ごしてきた大仲にとってなじみのない土地とチーム。しかし、すぐにチームのスタイルに魅せられる。
大仲さん
「大学生は聞く限り練習はそこまできつくないっていうか、そんなにしんどくないというか、楽って聞いてたんですけど、ここはそれと違って、しんどい中でみんなが競争してやってる姿に、自分もそこでやりたいと思いました。走塁の意識が僕たちとも全然違うと感じて、ここの大学すばらしいなと、ここの大学にしようと思いました」
山口で受けた刺激を和歌山に持ち帰り、練習に励んだ。その翌月、大仲の野球人生を語る上で欠かせない、大きな出来事が・・・
レジェンド・イチローさんとの出会い
大仲さん
「智弁和歌山で過ごしてきた中で、イチローさんが来てくれたことが一番うれしかったですね」
2020年2月、大仲らのいる智弁和歌山を訪れたのは、世界のイチロー。3日間みっちり指導を受けた。
大仲さん
「ほかの人が持ってないようなオーラを持ってました」
レジェンドのことばや考え方の一つ一つが大仲に突き刺ささる。
大仲さん
「ツーストライクからの意識ってどうされてますかと聞いて、三振も内野ゴロも結果としてアウトは同じだから、いつも通りというかそんなに何かを変える必要はないんじゃないかという風に教わりました」
「最後、イチローさんが僕たちに『ちゃんとやってよ、ずっとみてるから』って言って下さって。頑張ってるかって聞かれた時に自信もって頑張ってるって答えられるかを大事にしてて」
イチローさんからもらった「ちゃんとやってよ」の言葉をプリントしたTシャツは、大仲さんの宝物だ。
イチロー効果もあってか、智弁和歌山は翌年夏の甲子園で優勝。メンバーのほとんどは社会人や関東、関西の強豪大学で野球を続けることを決めた。大仲にも強豪大学からオファーが届いたが、決心が揺らぐことはなかった。
「楽な道」より「しんどい道」
大仲さん
「まったく注目されていない大学から全国に出て、試合に勝つっていうのが、やっぱりものすごく僕はかっこいいことだなって。イチローさんのことばを借りるんですけど、『楽な道かしんどい道、どっちか2つがあらわれた時にしんどい道を選ぶ人でありなさい』と言ってもらって、ここに来ることが自分は正しいなって感じたので、ここに行きたいですって言いました」
2年生ながらチームでも存在感
大仲の存在は、チームにも大きな刺激を与えている。練習前のランニング、先頭で声を出すのは2年生の大仲だ。
大仲さん
「一応智弁和歌山のかけ声ではあります。ことしまで声は出してなかったですけど、声かけ入れようってことで」
中村光宏・周南公立大学野球部監督
「下級生なんですけど、発言もチーム内でしてくれたり、ガッツあるプレーで、チームからの信頼もあるのでそういう意味で影響力がすごくあるかなと思ってます」
2年生になった今シーズンは2018年から遠ざかる全国大会出場に向け、3番打者として春季リーグ開幕を迎えた。順風満帆に見える野球生活。それでも・・・
大仲さん
「僕は今は今というか、過去は過去で、過去の栄光に浸っている時ほど自分が前向いてない時だと思うんで、過去はあまり振り返らないようにしています」
常に今を、未来を向いて
甲子園での優勝も、活躍も、過去の栄光に過ぎない。そう語る大仲の目は常に今を、未来を向いていた。
大仲さん
「自分の選択は間違ってないなと思っています。このチームで全国に出て、みんながここに入ってよかったなって思えるようなチームにしたいです」
では、周南公立大の成り立ちについてをお話しします。旧ブログからお付き合いいただいてきた皆様は復習と思ってお読みいただけましたら幸いです。
周南公立大の前身は1971年に学校法人中央学院が設立した私立大学の「徳山大学」です。当時の文部省からの行政主導で中央学院大学とは別の大学として開設されました。その後、中央学院の経営の悪化により、出光興産を中心とした地元財界の寄付で新たに学校法人徳山教育財団を設立し、大学の運営が移管されました。
2021年8月に「地域政策課題の解決、地域経済の活性化、人材の育成・定着、まちの賑わいの創出など、大学を生かしたまちづくりにより、周南市ならではの人口減少対策、地方創生が期待できる」「市民の地域活動や生涯学習の充実に寄与する」ことを目的として周南市議会において公立化(周南市の設立する公立大学法人への運営移管)が議決されました。12月には山口県知事から「公立大学法人周南公立大学」の設立認可を、さらに同日付で文部科学大臣から「徳山大学の設置者変更」の認可を受け、2022年4月に公立に移管され、現学名へと改称しました。
(参照:wikipedia)
という訳で、私立の徳山大学が公立化されて誕生したのが現在の周南公立大学です。つまり、公立大学法人周南公立大学が誕生したのは昨年の4月です。大仲勝海が進学を決意した時は、「無名の地方公立大学」ではなく、私学の徳山大学だったのです。公立化されることは決まっていたとはいえ、純粋に公立大学を志望して進学したこととは若干の接点の相違を感じます。とは言え、強豪校からのオファーを断って初志貫徹したことには称賛致します。
何より地方の大学野球リーグ、それも我が地元の中国地区大学野球連盟の1部リーグである中国六大学所属の大学の話題が取り上げられることで、リーグの知名度が上がり、注目されるようになるとしたら嬉しいことです。
活躍してリーグを盛り上げてくれるといいですね。但し、優勝は環太平洋大が成し遂げることを願っています(笑)