おじさんのスポーツおたく奮戦記? 第2章:issanの諸国漫遊記!?

岡山のスポーツチーム、出身選手、岡山に関係する人々などを勝手に応援するissanの日本国内漫遊記 !?

vs ガンバ大阪 全国的に話題を振りまく今季のファジ! もっともっとJ1を驚かせてやりたいよね!!

2025年03月01日 08時32分41秒 | サッカー

ガンバ大阪戦の勝利は、再び全国的な驚きの広がりを呼んでいます。圧倒的な降格候補であったはずのファジアーノ岡山が3試合で2勝したのですから。シーズン当初の時期はチーム力が整備し切れないチームも多くあります。このチャンスを見逃さず上手く波に乗ることができれば、J1の荒波を乗り越えることも可能になると考えます。

今回は、まずこのニュースから確認したいと思います。


初のJ1で「通用する」“旋風”起こせるか・・・9冠の相手に枠内ゼロ、完封がもたらした自信
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https://news.goo.ne.jp/article/football_zone/sports/football_zone-582567.html?_gl=1*14hakgu*_ga*MTA0ODQ5NjI4OS4xNjY3NzEwMTk2*_ga_XJ5END643J*MTc0MDcxODY4MC4xMTMxLjEuMTc0MDcxOTA2NC4zOS4wLjA.

初のJ1で「通用する」 “旋風”起こせるか…9冠の相手に枠内ゼロ、完封がもたらした自信

初のJ1で「通用する」 “旋風”起こせるか…9冠の相手に枠内ゼロ、完封がもたらした自信

岡山はG大阪相手に2-0の完勝今季J1に昇格したファジアーノ岡山は2月26日のリーグ第3節ガンバ大阪戦で2-0の快勝を飾り、ホーム2連勝とした。昨季のプレーオフを勝ち抜き掴み...

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以下に引用します。

岡山はG大阪相手に2-0の完勝

今季J1に昇格したファジアーノ岡山は2月26日のリーグ第3節ガンバ大阪戦で2-0の快勝を飾り、ホーム2連勝とした。昨季のプレーオフを勝ち抜き掴み取った初昇格。3戦2勝、3試合でわずか1失点と“いい守備からいい攻撃”につなげ、初舞台で堂々と戦い抜いている。チームの大黒柱である元日本代表MF江坂任は「連動した守備は通用する」と自信を持った。

スピード、組織、気持ち……すべてが上回って掴んだ勝利だった。序盤から“岡山ペース”。相手の攻撃を2人、3人と素早くプレスをかけて芽を摘み、ボールを奪ってチャンスにつなげる。中盤で相手の攻撃を食い止め、タレント揃いの前線が幅を使って敵陣へ畳み掛ける……。時間の問題だった先制点は前半終了間際、セットプレーから生まれた。

コーナーキックからFW一美和成がヘディングシュート、GKがはじいたボールをMF柳貴博が決めて先制を奪った。さらに後半立ち上がり、今度は柳から古巣相手に一美が決めて追加点。“いい時間帯”の2得点であとは完封勝利に向けてやるべきことをやるだけだった。

「自分たちでまとまって狙いのところでボールを持たせられたというか、そこに誘導できた。それでチームとしていい守備の持っていき方にできたうえで、1対1のところでもディフェンスライン中心に勝てた。そこが一番」

江坂が話すように、G大阪からしたら「術中にはまった」と言えるだろう。開幕戦では京都サンガF.C.に2-0で勝利したものの、前節の横浜FC戦では0-1で敗れ「ちょっと浮ついた部分も多少どっかにあったんじゃないか、という話もあった」といい、木山隆之監督から「もう1回示しをつけてやろう」と“カツ”を入れられた。

これまで9つのタイトルを獲得してきたG大阪相手に完璧なクリーンシート。3戦で1失点というのは誇れる数字だ。江坂は「いいプレッシャーからリズムを作れた。プレスにいって奪い勝つというのは今日しっかりできたし、通用すると改めて感じた」と胸を張った。この日も枠内シュートはゼロに抑えた。「連動した守備、組織の守備は通用する」と、これがファジアーノの戦い方だ。

もちろん、満足するわけではない。まだまだここから。それでも、確かな積み重ね、確かな自信を手放さず、大きな力に変える。岡山には必ずそれができるはずだ。

FOOTBALL ZONE編集部


 

では、この試合を振り返りたいと思います。

結果も内容も快勝と言えるナイスゲームでした。開幕戦の京都サンガF.C.は勝ったとはいえ内容的には圧倒された試合でしたが、このガンバ大阪戦に関してはほぼ完璧な勝利と言えます。数字もそれを物語っています。

⚽平日ナイトゲームでチケットの前売段階で完売したこの試合。やはり、J1のビッグクラブのネームバリューは半端ないです。その恩恵にあやかっての盛況であっても、それを享受できるなら継続しましょう。岡山が注目されている内にもっともっと成り上がってやりたいものですね。

先取点は前半終了直前、神谷のFKを一美がヘッドで合わせ、このシュートはガンバのGKの一森にはじかれますが、こぼれ球を柳貴が押し込んであげたものです。追加点は後半が始まってすぐに右サイドを駆け上がった柳貴の絶妙のクロスを一美が2人に挟まれながらスライディングで流し込んだものでした。この2点をしっかりとファジらしく守り切ってクリーンシートを達成。ホームゲームは昨季から続けて7連勝まで伸びました。ホームで強いチームというのは順位を落とすことなく戦い続けられます。これからも満員のホームスタジアムでチームを後押ししましょう。

この試合のスタッツです。

ガンバのシュートは6本、枠内シュートがありませんでした。危ない場面が殆どない試合展開でした。これほどの試合内容でガンバに完勝すると誰が予想したでしょう? ますます波に乗って勝ち続けたいものです。

ただ、足元をしっかりと固めて、浮足立つことなく驕ることもなく、自分たちのサッカーを続けてほしいと思います。

順位表です。

流石にJ1です。強いチームが順当に白星を重ねて上位にやって来ました。まだまだこれからです。しがみついてでも高い順位を維持したいものです。常に応援し続けましょう。

 

次節も中3日でのホームゲームです。昨季は連敗した清水エスパルスにJ1でやり返しましょう。

では日曜日にJFE晴れの国スタジアムでお会いしましょうね。

よろしくお願い申し上げます。

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紅千里 桃源の 理想が丘の空高く 紫紺の征旗輝ける 之ぞ我等が関西大学 カイザー関大 光あり

2025年03月01日 03時34分03秒 | 関西大学

もし、「20歳に戻れたら何がしたいですか?」と問われたら、即座に「大学生に戻りたい」と答えます。

 

「千里山上白亜の殿堂」 長い人生の中で最も光り輝いた時間だったと思う、関大での4年間でした。

今、母校を訪れても当時の建物はほとんど残っていませんが、その場所に立っただけであの時の気持ちを思い出します。

尚、表題には応援歌の歌詞を借用しました。ご容赦ください。


関大初の女子学生に特別卒業証書「生きていたら入学し直すかも」
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https://news.goo.ne.jp/article/asahi/nation/AST2W2HMPT2WPTIL00NM.html?_gl=1*1s3onkv*_ga*NzcwMTc4NjE2LjE2NzA1NzA2Mjg.*_ga_XJ5END643J*MTc0MDcyODMxNi4zMDAuMS4xNzQwNzI4NDcxLjYwLjAuMA..

関大初の女子学生に特別卒業証書 「生きていたら入学し直すかも」

関大初の女子学生に特別卒業証書 「生きていたら入学し直すかも」

関西大学(吹田市)で初めての女子学生で、戦前、ジャーナリストとして活躍した故・北村兼子さんに対し、同大学は27日、特別卒業証書を贈呈した。おいの北村高さんが同大千...

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以下に引用します。

関西大学(吹田市)で初めての女子学生で、戦前、ジャーナリストとして活躍した故・北村兼子さんに対し、同大学は27日、特別卒業証書を贈呈した。おいの北村高さんが同大千里山キャンパスで受け取った。

関大が特別卒業証書を贈呈するのは、今回で5人目。終戦後、戦地から復学できなかった留学生ら4人の男子学生に贈られてきたが、女子学生は初めて。

北村さんは1923(大正12)年、関大法学部法律学科に入学した。当時、女性は大学への正規入学が許されず、聴講生という立場で学んだ。

入学から2年後、在学中のまま大阪朝日新聞の社会部記者に採用され、福岡や神戸の歓楽街で働きながらの潜入取材などで注目された。

当時は働く女性への差別意識が強く、複数の男性と関係があるなどとするゴシップ記事が出回ったが、北村さんは自身の著作などで反論した。1927年に朝日新聞退社後は国際ジャーナリストとして活躍。女性参政権の実現に向けた活動も続け、国際会議にも日本代表として参加した。

道中で航空機に魅せられ、1930年、立川の日本飛行学校に入学し、翌年7月には飛行士の免許を取得した。8月に自ら操縦して渡欧する予定だったが、腹膜炎のため27歳で亡くなった。

関大が大学昇格100年を迎えた2022年、ちょうど北村さんが聴講生として入学した年から100年目だったこともあり、「志の高さを賞したい」といった声が校友会からあがった。

高さんは「恐れ多いこと」と何度か辞退してきた。しかし、その後も北村さんの話題は尽きず、「後輩の励みになる」と言葉をかけられ、受けることを決めたという。

高橋智幸学長から特別卒業証書を受け取った高さんは「兼子も喜んでいると思います。でももし生きていたら、これを受け取らずに改めて大学に入学し直すような気もします」と思いを巡らせた。

高さんは、祖母や母から兼子さんについて「自分のやりたいことを目標にかかげ、突き進んだ人」と聞いて育ったといい、「好きなことに打ち込める恵まれた家庭環境だったことも大きいが、男性社会の中で懸命に生き抜いた兼子の生き方を知ることが、誰かの力になることがあればうれしい」と話した。(佐藤慈子)


何事においても外圧に屈しないのが関大の姿勢でした。「自治」という言葉が常に出てくる、伝統的なバンカラ気質も今に引き継がれていると思います。

そんな大学でも当時は女性の正規入学が認められなかったというのは、「虎に翼」の頃よりも前だったことを考えたら残念ながら仕方のないことなのかも知れません。彼女は聴講生であり、新聞記者との二足の草鞋を履いていたにも関わらず、卒業に必要なすべての単位を取得していたそうです。つまり、大学を中退したもののその後の活躍が顕著であったとして「名誉卒業生」と認められた方々よりも、卒業証書を受け取るに相応しい方であったと感じます。

自らを振り返った時、決して優秀な学生でもなく、何かを見つけ突き詰めて何かを成し遂げた訳でもない、そんな平凡な学生時代ではありましたが、何物にも代えがたい大事な時間であったと回想します。それが関大という素晴らしい大学とともに歩めたことは大事な宝物と思います。

3月を迎え、各学校でも卒業の季節がやって来ました。人生のひとつの区切りを迎える皆さん、おめでとうございます。これからの人生は「山あり谷あり」。幾多の苦難が立ちはだかるでしょうが、それにも増して歓喜の時間も多く訪れるでしょう。できることならそれらを楽しんで、日々の糧にしていただけたら嬉しく思います。

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