昨日は少し強めの風が吹いていた瀬戸大橋を軽で帆掛舟のように揺られながら渡って、香川県を横切って徳島県へ、鳴門へと移動しました。
下津井瀬戸大橋。向かいの島は櫃石島です。そこはもう香川県。
車で走っていると、鉄道よりも更に高い場所なので、高所恐怖症の方は気を付けた方が良いかも知れませんね。横風の強い日は運転に自信のない方は自粛された方が良さそうです。かなりハンドルを取られます。ちなみに昨日は時速50km制限でしたから、結構吹いていたようですね。
こんな歌碑があったかな? 不思議に思っていると謎が解けました。3年前に設置されたのですね。昭和63年に開通した瀬戸大橋。平成30年に開通30周年を迎えました。
そうなんです。今、瀬戸内内に掛かる3本の橋。道路と鉄道併用の橋は勿論ご存知の通り、瀬戸大橋のみですが、昭和に開通したのも瀬戸大橋だけなのですね。道路も鉄道も、それこそ高松に通勤していた時期もありますから、数えきれないほど行き来したのが瀬戸大橋です。
そう言えば、しまなみ海道は何度か渡ったことがありますが、私は明石海峡大橋と大鳴門橋を渡ったことがありません。必要に迫られなかったことも大きいのですが、生きている内に一度は渡ってみたいものです。
四国4県では、完全に太平洋に向いている高知県を除く3県が本州と橋で結ばれていることになります。
橋の向こうには坂出の番の州工業地帯が見えています。肉眼で見えるほど近くにある四国ですが、瀬戸内海は以前は四国を限りなく遠くする海でした。紫雲丸事故によって修学旅行生の多くが亡くなった悲しい出来事から、四国と本州を橋で繋いでほしいという要望が盛り上がって、そこから夢のような本四連絡橋事業がスタートしました。
それはさて置き、瀬戸内海国立公園の一つに属する景勝地でもある鷲羽山。「わしゅうざん」であって「わしゅうやま」ではありませんから、お間違えなき様にご注意ください。
あの元関脇「鷲羽山」は、四股名を鷲羽山に決める際に「やま」を「さん」「ざん」と音読みする四股名の力士があまり出世できないというジンクスを意識して「わしゅうやま」と読むことにしたというのは有名な話です。
何度も車で四国へ渡ったissanではありますが、現在では鉄旅の方が落ち着けますね。ゆったり、のんびり鉄道の旅をもっと満喫したいものですね。
負け試合の翌日なので、試合を振り返るのにちょっとだけ躊躇いがあります。意識していなくても負け試合はいつも悔しい。それを感じることができることはむしろ幸せなことと感謝しながら、これからも各競技の応援に頑張りたいものです。