◆民主党の「笑わん殿下」岡田克也代表は、幹事長など党役員人事に着手し、枝野幸男幹事長を留任させ、細野豪志元幹事長を政策調査会長に抜擢することを決めた。岡田克也代表選出に貢献した枝野幸男幹事長に対する論功行賞である。今回の代表選挙は、民主党を政権政党から野党に転落させたいわゆる「戦犯6人組」(岡田克也元副総理、玄葉光一郎元外相、野田佳彦前首相、前原誠司元代表、枝野幸男元経済産業相、安住淳元財務相)のうち、前原誠司元代表が、細野豪志元幹事長を支持した以外、全員が岡田克也代表を支持した。
代表選挙に出馬した岡田克也代表は1953年7月14日生まれ61歳、長妻昭元厚労相は1960年6月14日生まれ54歳、細野豪志元幹事長は1971年8月21日生まれ43歳。「老・壮・青」3世代の戦いだった。その結果、「老・青」のうち「老」が「壮」を引き込み連合して、勝利を得た。だが「老・壮」連合が、辛うじて僅差で「青」を制することができた形だ。それだけにエネルギッシュな細野豪志元幹事長を軽んじることはできない。それどころか、「老・壮」連合が数年も経てば、「老害視」される危険性は大である。
◆岡田克也代表は、決選投票に臨む演説で「原理主義者とニックネームをつけられてきたので、私自身が変わらなければならない」と反省の弁を述べていた。だが、いかに「蛙好き」ではあっても「原理主義者・純化路線・自主再建論社・政策本位主義者」という基本的な性格を一気に変えるのは、難しい。しかも、岡田克也代表には、「理想の旗」がない。「自由・平等・博愛(友愛)」で言えば、「自由」は「自由民主党」、「平等」は「社会民主党」、「博愛(友愛)」は、「博愛(友愛)民主党」を顕現しなければならないのに、いまの民主党は、「博愛(友愛)」を顕現せず、曖昧模糊とした政党になっている。フリーメーソン・イルミナティが「民主党」をつくらせたという裏の経緯から見れば、「アイデンティティ(自己同一性)」が欠落している。しかも、「友愛精神」を掲げてきた創業者の鳩山由紀夫元首相を排除してきたので、大事な「魂」を抜かれた「虚ろな政党」に堕している。このままでは、民主党の再生は、絶望的である。
◆最もガッカリさせられたのは、岡田克也代表が、就任の記者会見後、会場となったホテル内の書店に真っ先に飛び込み、国会議員の経歴や当選回数などを簡潔にまとめた「政官要覧」を買っていたということだ。読売新聞が1月19日付け朝刊「3面(総合面)」で報じていた。「いまごろになって」という感がある。それは、「選挙の神様」と言われた田中角栄元首相のエピソードを思い浮かべて、比較したからである。岡田克也代表は自民党時代、当初、田中角栄元首相が率いた派閥「木曜クラブ」の流れを汲む「経世会」(竹下登派)に所属していた。「小沢一郎という男の野望」(板垣英憲著、大陸書房刊、1992年8月15日)の「第三章 受け継がれた政治家の血」―「田中角栄、政治的"父〟」のなかで、以下のように記述している。
昭和四十四年四月、小沢は、当時、自民党幹事長だった田中に面会を求めて、一人で挨拶に行った。田中は、笑顔を浮かべながら、迎えてくれた。そのうえ、
「選挙に勝つには、辻々で説法し、一人で三万軒を回る覚悟が必要だ。選挙区内の神社の石段が何段あるかも知っているくらいでないといけない。いいか、思い切ってやれ、必ず応援する」
と言って、力強い励ましの言葉を与えてくれたのである。田中流の選挙は、辻説法にはじまって辻説法に終わると説かれているほど、徹底した戸別訪問を原則としている。足に血豆ができ、それがつぶれても歩き続けるのだ。
小沢は、田中に巡り会ったとき、ドブ板選挙のコツを教えられた。田中は、小沢が挨拶にきたとき、すでに数千人の支持者を集めているという情報を入手していた。
二世であるから、親の財産のような支持者がたくさんいて当然である。しかし、小沢は同級生や知人、友人に積極的に声をかけて、支持者を糾合しつつあったのだ。
いまでも語り草になっているが、田中は、一日に二回就寝したと言われている。午後九時に一度寝て、午前零時に起き、その日にあったことを秘書から報告を受けた。その後で、午前二時から三時まで読書にふけった。愛読書の一つは、国会便覧だった。選挙区を一つ一つ丹念に見ながら、衆参両院の国会議貝についての情報を暗記した。派閥などの人脈や当選回数、得票数などを覚えたのである。
このほか、役人に関する情報についても、熱心にインプットした。入省年次や経歴、閨閥などに至るまで、鉛筆をなめなめ、大事と思うものに線を引く。赤ペンで○×をつけて記憶にとどめた。それから寝る。
朝は、六時に起きて、陳情団に対応した。こうしたことは、幹事長時代から習慣になっていたという。全国の選挙区の情報は、自派の勢力拡大の強力な武器になった。公認権を発揮する際の匙加減、カネの配り方、権限の行使に当たって、田中は、これらをフルに利用した。
この手法は、昭和四十七年七月五日の自民党大会における総裁選挙の決戦投票での多数派工作に当たっても、威力を発揮している。
そればかりでなく、首相になって官邸入りしてからは、各省庁の官僚たちをコントロールするのに大いに役立った。首相が自分の入省年次まで記憶しているのを知って、大抵の官僚たちが、感服させられたという。
田中は、門下生の小沢が衆議院議員に当選したばかりのころ、
「一郎よ、政党人でやるなら、総理総裁を目指す前に幹事長を狙え」
と口癖のように言って教えた。師匠の薫陶を受けて、小沢は、「オヤジの言うように、オレも幹事長になるぞ」
と素直に心に決め、師匠の教えに従って、着実に天下盗りの道を歩みはじめた。田中は、小沢をわが子のように可愛がった。あふれるような愛情を注いだ。
田中は、長男・正法をわずか三歳で亡くしている。長男は、小沢と同じ年であり、小沢の顔を見るたびに、田中は、長男を重ね合わせて見ているようだった。
田中の気持ちを察した小沢は、田中に対して実の親と同じような感覚で仕えた。田中は自分の持っている政治のノウハウを惜しみなく伝授しようとした。小沢にとって田中は、親であり、政治の師匠という二つの側面を持っていた。
小沢は、田中にとって、良い子供として、田中の期待に応えて模範的な政治家になろうと努力した。
事実、小沢は、蔵相や外相という重要閣僚こそ歴任はしていないものの、自治相や内閣官房長官を務めて、幹事長就任という目標を達成している。
幹事長になる政治家は、派閥間の力のバランス上のやむを得ない異例人事を除いて、通常の場合は、所属する派閥の領袖か、もしくは、派閥の有力後継者として同志から認知された人物であることを意味する。
すなわち、上に領袖が元気であるとき、幹事長に抜擢された政治家は、この派閥を継ぐ長男坊主になったことなのである。親分の次に偉い後継者としてツバをつけたのだ。それは、派閥の内部ばかりでなく、外部を含めて衆目の一致するところでもある。
竹下政権のとき、小渕恵三幹事長が内閣官房長官、五歳年下の小沢が、内閣官房副長官という配置だった。
それが、海部政権になって、小沢が、幹事長になり、小渕を飛び越えて上位に立ち、逆転した。現在は、竹下派の会長代行の座にあり、文字通り長男としての地位を認められている。
今日の小沢の姿は、実は、小沢が衆議院議員に当選して自分の懐に入ってきたときから、田中が夢に描いていたことなのである。
本日の「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」
安倍晋三首相は、米国の「第3次世界大戦」勃発策動に加担し、「戦争への道」に引き込まれつつある
◆〔特別情報①〕
安倍晋三首相が、同盟国である米国のオバマ大統領、ケリー国務長官、ヘーゲル国防長官が、「第3次世界大戦」を勃発させようとしている策動に否応なく加担させられて、「戦争への道」に引き込まれようとしている。その動きが、中東「エジプト、ヨルダン、イスラエル、パレスチナ」4か国・地域訪問であるという。一体、どういうことになっているのか?
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第38回 板垣英憲「情報局」勉強会のご案内
平成27年2月8日 (日)
出版記念講演
※勝手ながら演題を変更させて頂くことになりました。何卒ご了承下さいませ。
ゴールドマン・ファミリーズ・グループが認める唯一の承認者
吉備太秦が語る「世界を動かす本当の金融のしくみ」
~地球経済は36桁の天文学的数字《日本の金銀財宝》を担保に回っていた
◆新刊のご案内◆
**********板垣英憲『勉強会』の講演録DVD販売********
板垣英憲・講演録DVD 全国マスコミ研究会
12月開催の勉強会がDVDになりました。
「アメリカ帝国の崩壊とEUの解体」
~地球連邦政府樹立への通過点
その他過去の勉強会もご用意しております。遠方でなかなか参加できない方など、ぜひご利用下さい。
板垣英憲・講演録DVD 全国マスコミ研究会
【板垣英憲(いたがきえいけん)ワールド著作集】
『小泉・安倍 VS 菅・小沢 国盗り戦争』(2003年10月25日刊)
目次
第4章 北朝鮮との外交に勝てるのか ②
安倍晋三委員 この「辛光洙事件」というのは、日本人の原救晃さんに北朝鮮の、これはかなり大物スパイと言われておりますが、辛光洙が入れかわって、この原救晃さんを拉致して原救晃さんに成りかわって辛光洙が入ってきて、原救晃さんの名前でパスポートあるいは免許証も取得をして、そして韓国に再入国をしていろいろな活動をしていた中で逮捕をされたということであります。
つづきはこちら→「板垣英憲(いたがきえいけん)ワールド著作」*有料サイト(申し込み日から月額1000円)
携帯電話からのアクセスこちら→「板垣英憲(いたがきえいけん)ワールド著作」*有料サイト(申し込み日から月額1000円)
※ご購読期間中は、以下過去の掲載本全てがお読み頂けます。
『スラスラ書ける作文・小論文』(1996年4月20日刊)
『目を覚ませ!財界人』(1995年9月25日刊)
『東京地検特捜部』鬼検事たちの秋霜烈日(1998年4月5日刊)
『誠』の経営学~『新撰組』の精神と行動の美学をビジネスに生かす
『忠臣蔵』が語る組織の勝つ成果Q&A
『風林火山』兵法に学ぶ経営学~人は石垣、人は城
『未来への挑戦「坂本龍馬」に学ぶ経営学』
『人生の達人~心に残る名言・遺訓・格言』(2000年6月11日刊)
『細川家の大陰謀~六百年かけた天下盗りの遺伝子』1994年1月5日刊(2000年6月11日刊)
『大富豪に学ぶ商売繁盛20の教訓―商機をつかむ知恵と決断』(2010年1月20日)
『内務省が復活する日』(1995年10月25日刊)
『情報流出のカラクリと管理術』(2003年3月10日刊)
『利権はこうしてつくられる』(1991年3月25日刊)
「『族』の研究~政・官・財を牛耳る政界実力者集団の群像」(1987年3月9日刊)
『愛する者へ遺した最期のことば』(1995年6月10日刊)
『自民党選挙の秘密』(1987年12月15日刊)
『小中学校の教科書が教えない 日の丸君が代の歴史』(1999年7月8日刊)
『大蔵・日銀と闇将軍~疑惑の全貌を暴く』(1995年5月26日刊)
『小泉純一郎 恐れず ひるまず とらわれず』(2001年6月15日刊 板垣英憲著)
『戦国自民党50年史-権力闘争史』(2005年12月刊 板垣英憲著)
『小沢一郎 七人の敵』(1996年2月6日)
『小沢一郎の時代』(1996年2月6日刊 同文書院刊)
『小沢一郎総理大臣』(2007年11月10日)
『小沢一郎総理大臣待望論』(1994年11月1日)
『ロックフェラーに翻弄される日本』(20074年11月20日)
『ブッシュの陰謀~対テロ戦争・知られざるシナリオ』2002年2月5日刊
『民主党派閥闘争史-民主党の行方』(2008年9月16日)
『民主党政変 政界大再編』(2010年5月6日)
『国際金融資本の罠に嵌った日本』(1999年6月25日刊)
『政治家の交渉術』2006年5月刊
『カルロス・ゴーンの言葉』(2006年11月刊)
「孫の二乗の法則~ソフトバンク孫正義の成功哲学」(2007年7月刊)
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代表選挙に出馬した岡田克也代表は1953年7月14日生まれ61歳、長妻昭元厚労相は1960年6月14日生まれ54歳、細野豪志元幹事長は1971年8月21日生まれ43歳。「老・壮・青」3世代の戦いだった。その結果、「老・青」のうち「老」が「壮」を引き込み連合して、勝利を得た。だが「老・壮」連合が、辛うじて僅差で「青」を制することができた形だ。それだけにエネルギッシュな細野豪志元幹事長を軽んじることはできない。それどころか、「老・壮」連合が数年も経てば、「老害視」される危険性は大である。
◆岡田克也代表は、決選投票に臨む演説で「原理主義者とニックネームをつけられてきたので、私自身が変わらなければならない」と反省の弁を述べていた。だが、いかに「蛙好き」ではあっても「原理主義者・純化路線・自主再建論社・政策本位主義者」という基本的な性格を一気に変えるのは、難しい。しかも、岡田克也代表には、「理想の旗」がない。「自由・平等・博愛(友愛)」で言えば、「自由」は「自由民主党」、「平等」は「社会民主党」、「博愛(友愛)」は、「博愛(友愛)民主党」を顕現しなければならないのに、いまの民主党は、「博愛(友愛)」を顕現せず、曖昧模糊とした政党になっている。フリーメーソン・イルミナティが「民主党」をつくらせたという裏の経緯から見れば、「アイデンティティ(自己同一性)」が欠落している。しかも、「友愛精神」を掲げてきた創業者の鳩山由紀夫元首相を排除してきたので、大事な「魂」を抜かれた「虚ろな政党」に堕している。このままでは、民主党の再生は、絶望的である。
◆最もガッカリさせられたのは、岡田克也代表が、就任の記者会見後、会場となったホテル内の書店に真っ先に飛び込み、国会議員の経歴や当選回数などを簡潔にまとめた「政官要覧」を買っていたということだ。読売新聞が1月19日付け朝刊「3面(総合面)」で報じていた。「いまごろになって」という感がある。それは、「選挙の神様」と言われた田中角栄元首相のエピソードを思い浮かべて、比較したからである。岡田克也代表は自民党時代、当初、田中角栄元首相が率いた派閥「木曜クラブ」の流れを汲む「経世会」(竹下登派)に所属していた。「小沢一郎という男の野望」(板垣英憲著、大陸書房刊、1992年8月15日)の「第三章 受け継がれた政治家の血」―「田中角栄、政治的"父〟」のなかで、以下のように記述している。
昭和四十四年四月、小沢は、当時、自民党幹事長だった田中に面会を求めて、一人で挨拶に行った。田中は、笑顔を浮かべながら、迎えてくれた。そのうえ、
「選挙に勝つには、辻々で説法し、一人で三万軒を回る覚悟が必要だ。選挙区内の神社の石段が何段あるかも知っているくらいでないといけない。いいか、思い切ってやれ、必ず応援する」
と言って、力強い励ましの言葉を与えてくれたのである。田中流の選挙は、辻説法にはじまって辻説法に終わると説かれているほど、徹底した戸別訪問を原則としている。足に血豆ができ、それがつぶれても歩き続けるのだ。
小沢は、田中に巡り会ったとき、ドブ板選挙のコツを教えられた。田中は、小沢が挨拶にきたとき、すでに数千人の支持者を集めているという情報を入手していた。
二世であるから、親の財産のような支持者がたくさんいて当然である。しかし、小沢は同級生や知人、友人に積極的に声をかけて、支持者を糾合しつつあったのだ。
いまでも語り草になっているが、田中は、一日に二回就寝したと言われている。午後九時に一度寝て、午前零時に起き、その日にあったことを秘書から報告を受けた。その後で、午前二時から三時まで読書にふけった。愛読書の一つは、国会便覧だった。選挙区を一つ一つ丹念に見ながら、衆参両院の国会議貝についての情報を暗記した。派閥などの人脈や当選回数、得票数などを覚えたのである。
このほか、役人に関する情報についても、熱心にインプットした。入省年次や経歴、閨閥などに至るまで、鉛筆をなめなめ、大事と思うものに線を引く。赤ペンで○×をつけて記憶にとどめた。それから寝る。
朝は、六時に起きて、陳情団に対応した。こうしたことは、幹事長時代から習慣になっていたという。全国の選挙区の情報は、自派の勢力拡大の強力な武器になった。公認権を発揮する際の匙加減、カネの配り方、権限の行使に当たって、田中は、これらをフルに利用した。
この手法は、昭和四十七年七月五日の自民党大会における総裁選挙の決戦投票での多数派工作に当たっても、威力を発揮している。
そればかりでなく、首相になって官邸入りしてからは、各省庁の官僚たちをコントロールするのに大いに役立った。首相が自分の入省年次まで記憶しているのを知って、大抵の官僚たちが、感服させられたという。
田中は、門下生の小沢が衆議院議員に当選したばかりのころ、
「一郎よ、政党人でやるなら、総理総裁を目指す前に幹事長を狙え」
と口癖のように言って教えた。師匠の薫陶を受けて、小沢は、「オヤジの言うように、オレも幹事長になるぞ」
と素直に心に決め、師匠の教えに従って、着実に天下盗りの道を歩みはじめた。田中は、小沢をわが子のように可愛がった。あふれるような愛情を注いだ。
田中は、長男・正法をわずか三歳で亡くしている。長男は、小沢と同じ年であり、小沢の顔を見るたびに、田中は、長男を重ね合わせて見ているようだった。
田中の気持ちを察した小沢は、田中に対して実の親と同じような感覚で仕えた。田中は自分の持っている政治のノウハウを惜しみなく伝授しようとした。小沢にとって田中は、親であり、政治の師匠という二つの側面を持っていた。
小沢は、田中にとって、良い子供として、田中の期待に応えて模範的な政治家になろうと努力した。
事実、小沢は、蔵相や外相という重要閣僚こそ歴任はしていないものの、自治相や内閣官房長官を務めて、幹事長就任という目標を達成している。
幹事長になる政治家は、派閥間の力のバランス上のやむを得ない異例人事を除いて、通常の場合は、所属する派閥の領袖か、もしくは、派閥の有力後継者として同志から認知された人物であることを意味する。
すなわち、上に領袖が元気であるとき、幹事長に抜擢された政治家は、この派閥を継ぐ長男坊主になったことなのである。親分の次に偉い後継者としてツバをつけたのだ。それは、派閥の内部ばかりでなく、外部を含めて衆目の一致するところでもある。
竹下政権のとき、小渕恵三幹事長が内閣官房長官、五歳年下の小沢が、内閣官房副長官という配置だった。
それが、海部政権になって、小沢が、幹事長になり、小渕を飛び越えて上位に立ち、逆転した。現在は、竹下派の会長代行の座にあり、文字通り長男としての地位を認められている。
今日の小沢の姿は、実は、小沢が衆議院議員に当選して自分の懐に入ってきたときから、田中が夢に描いていたことなのである。
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板垣 英憲 | |
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板垣 英憲 | |
日新報道 |
『小泉・安倍 VS 菅・小沢 国盗り戦争』(2003年10月25日刊)
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第4章 北朝鮮との外交に勝てるのか ②
安倍晋三委員 この「辛光洙事件」というのは、日本人の原救晃さんに北朝鮮の、これはかなり大物スパイと言われておりますが、辛光洙が入れかわって、この原救晃さんを拉致して原救晃さんに成りかわって辛光洙が入ってきて、原救晃さんの名前でパスポートあるいは免許証も取得をして、そして韓国に再入国をしていろいろな活動をしていた中で逮捕をされたということであります。
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『スラスラ書ける作文・小論文』(1996年4月20日刊)
『目を覚ませ!財界人』(1995年9月25日刊)
『東京地検特捜部』鬼検事たちの秋霜烈日(1998年4月5日刊)
『誠』の経営学~『新撰組』の精神と行動の美学をビジネスに生かす
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『風林火山』兵法に学ぶ経営学~人は石垣、人は城
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『人生の達人~心に残る名言・遺訓・格言』(2000年6月11日刊)
『細川家の大陰謀~六百年かけた天下盗りの遺伝子』1994年1月5日刊(2000年6月11日刊)
『大富豪に学ぶ商売繁盛20の教訓―商機をつかむ知恵と決断』(2010年1月20日)
『内務省が復活する日』(1995年10月25日刊)
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『大蔵・日銀と闇将軍~疑惑の全貌を暴く』(1995年5月26日刊)
『小泉純一郎 恐れず ひるまず とらわれず』(2001年6月15日刊 板垣英憲著)
『戦国自民党50年史-権力闘争史』(2005年12月刊 板垣英憲著)
『小沢一郎 七人の敵』(1996年2月6日)
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『小沢一郎総理大臣待望論』(1994年11月1日)
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『民主党政変 政界大再編』(2010年5月6日)
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