仕事から帰って、晩飯を食い終わった頃。
自宅に備え付けられたインターフォンが鳴り、来客を告げた。
新聞か何かの勧誘だろうか、それとも訪問販売の類だろうか。
「はい」
僕は、室内の受話器からそれに応答する。
『夜分に申し訳ございません。今、お時間よろしいでしょうか』
・・・その言葉から、後者の方であろうと直感した。
「いや、訪問販売とか、結構ですので」
そう言って、手早く話を打ち切ろうとする。
しかし、相手も簡単には諦めない。
『いえいえ、普通の訪問販売とは違うのですよ。我々はモノでなくサービスを売る者でして』
「サービス?」
柔らかい男の口調に、ついつい興味を持ってしまう。
――それが、いけなかった。
『はい、我々は――殺人の請負を行っております』
「は・・・?」
僕の耳が悪いのだろうか。インターフォン越しだから聞き間違えたのだろうか。
殺人、と聞こえた気がするのだが。
『はい、殺人です。誰にでも、死んで欲しい人間がいるものでしょう?』
「何を、そんな無茶苦茶な」
『ええ、ええ。驚かれるのも無理はありません。何せ日本で我々1社のみですから』
「いや、いやいやいや。悪い冗談です。そんな話なら――」
『まあまあ、ものは試しということで。ひとりくらい、殺したい人間がいるのでは?』
料金は後払いで結構ですので、と男は付け加えた。
・・・ありえない。
荒唐無稽にも程がある。
どこの世界に、訪問販売の殺し屋がいるというのだ。
だが、そこで僕は不謹慎にも、少し面白いなと思ってしまった。
こんな冗談は嫌いではない。
少し、乗ってみるのも面白いんじゃないかな。
「そうですか・・・じゃあ、ウチの会社の部長を殺してください」
取り敢えず僕はそう言ってみた。
死んで欲しい人間と聞いて真っ先に浮かんだのが部長だったのだ。特に深い意味はない。
『はい、確かに承りました。では、死亡が確認された後に料金を頂きに参ります』
ではごきげんよう、と言って、男は去った。
バカな男だ。いや、バカというよりも詰めが甘いと言うべきだろうか。
部長の住所はおろか、僕の勤め先すら聞かなかったではないか。
もう少し手が込んでいても良かった気がするけども、まあ、冗談としてはなかなかだろう。
僕は、ひとり笑って、すぐにそのことを忘れてしまった。
翌日。
会社へ出勤すると、部長が死んでいた。
「よお、今日はマトモに仕事にならねーらしいぞ。あんまり急だったからな」
同僚が、ニヤニヤしながらそう言った。
「そんなバカな」
「あー、まぁ、人間死ぬ時はそんなモンなんじゃね?通り魔に一突き――らしいぜ。ブスッと」
へへへ、と今度は声に出して笑う。
そんな、バカな。
僕は昨夜の訪問者を思い出す。
あの男が、やったのか。
いや、男は「我々」と言っていた。直接手を下したのは他の人間かもしれない。
しかし。
僕は、たちの悪い冗談だと思っていた。暇人の悪ふざけだと思っていた。
本当に死んでしまうなんて、微塵も思っていなかったんだ!
「オイ、どーしたよ?顔色悪いぜ?部長なんか死んでも悲しくも何ともないだろーに」
同僚は、怪訝な顔でそう言った。
傍目に見れば僕も異常なのかもしれないが、こいつはこいつでダメだと思った。
その夜。
僕らは、カタチだけでもということで部長の通夜に参列した。
棺の中の部長は、間違いなく死んでいて。
だけど、どこか現実味がなかった。
ただ、頭が異常に痛かった。
早く帰って寝たいとばかり思っていた。
帰宅後。
帰りを見計らったかのように、インターフォンが鳴る。
僕は慌ててそれを受け――
「昨日の人ですね!?」
と、開口一番叫んでいた。
『こんばんは。ええ、昨日こちらに伺った者です』
「一体・・・どうなってるんですか!?貴方何か知ってるんでしょう!」
『ええ、ええ。お客様の上司が亡くなった件についてですね。
勿論知っていますとも。我々が、キッチリと殺害致しました。死亡確認はされましたか?』
「そんな・・・冗談じゃなかったのかよ!!」
焦り、怯え、怒り、色んなものが綯い交ぜになって、僕は冷静さを失っていた。
ただただ、思うままに叫び続ける。
「本当に死ぬなんて、思うわけないだろう!殺し屋なんて映画や漫画の中にしかいるもんか!
ぼ、僕は、そんな・・・本当に殺したいなんて思ってなかったんだッッ!!」
『おや・・・それは、困りましたね』
言葉の割に、男には困った様子はない。淡々と続けるのみだ。
『こちらの早とちりでしたか?』
「ああ・・・ああ!そうだ、僕は正式に依頼したつもりなんかない!僕は関係ないんだ!」
『おやおや、そうですか。それはそれは失礼致しました』
あくまでも冷静に、あくまでも軽く、柔らかく。
男は言う。
『それでは、クーリングオフということで』
「・・・・・・は?」
『ええ、ええ。勿論お金は頂きません。契約は撤回――全て、なかったことに』
「いや・・・意味が。意味が分からない」
『今回は本当に申し訳ございませんでした。以後厳重に注意致しますので、ご容赦を』
ではごきげんよう。
それだけ言い残して、声は消えた。
――男が何を言っているのか、さっぱり分からなかった。
だが・・・部長が死んでしまったことは、覆りようがない事実なのだ。
契約が撤回されたと言っても、そればかりは変わらない。
罪悪感だけが、重く重く、僕に残されていた。
そして、翌日。
僕は沈んだ気持ちのまま会社へと出勤する。
オフィスに入るなり――同僚が困惑した顔で、僕に声をかけてきた。
「なあなあ。ありえなくね?部長、なんか生き返ってんだけど」