仕事を終え、珍しく定時上がりの帰路の途中。
目の前を、数人の小学生たちが走りすぎて行った。
ひとりの子に全員分のランドセルを預けている。多分、その子はジャンケンか何かで負けたのだろう。
ああ、懐かしい。
私にもそんな遊びに夢中になっていた時期があった。
例えば、白線の上だけを歩いて横断歩道を渡る、とか。
石ころを蹴り続けて家まで帰るとか。
無論、あの子たちのように数人でランドセルを持つ、持たせる、なんてこともやったっけ。
私は、妙な気分になって、改めて自分の姿を客観的に思い浮かべる。
冴えない中堅のサラリーマンで、毎日自分の鞄ひとつを持って駆けずり回る、そんな姿。
子供の頃思い描いていた大人像とはまるでかけ離れているが、それはまぁそんなものだろう。
諦めにも似た気持ちで、そう締め括った。
そこでふと、足元に転がっている石ころが目についた。
こつん、と蹴ると、5メートルほど転がって、止まった。
意味はないが、何故かちょっとだけ心地良かった。
石ころが止まった位置まで歩き、再度蹴り飛ばす。今度は、気持ち強めに。
カツン、カツ、カッカッカッ・・・。
勢い良く転がる石は、あちらこちらへと跳ね回ってだいぶ先の方まで行ってしまった。
これは、見失うかも知れないな。
そういえば――。
この一人遊び、何かしら自分ルールがあったものだ。
さっきの白線の上だけ歩いて渡る、というものであれば、白線以外の場所を踏んだら死ぬ、とか。
確か、白線以外の場所はマグマが流れていて・・・という設定だったように思う。
我ながら荒唐無稽で、だけど子供っぽく残酷なルールだ。
さてさて、石ころ蹴りの場合の自分ルールは、何だったっけ。
僕は、きょろきょろと先程蹴り飛ばした石を探しながら考える。
石をなくすと・・・死ぬ?
何か違うな。しっくりこない。
もう少し、子供ながらに理屈があったような気がする。白線歩きのマグマ設定のように。
石が途中で砕けると、自分も砕けて死ぬ。
――ああ、近い気がする。
石と自分を重ねあわせるという理屈は、私が子供の頃いかにも考えそうなことである。
だが、割と硬い石が砕ける、という状況自体ほぼ皆無だろう。
やっぱりこれも違う気がする。
ああ、しかし、石が見付からない。
一体どこへ行ってしまったのだろう。
・・・まあ、所詮は子供時代を思い出して気まぐれに行った一人遊びだ。
気にすることはない。
私は、石探しを諦めて再び自宅へと歩き出した。
そして私は思い出す。
――思い出すことを余儀なくされる。
石を蹴り続けていないと、家に帰れない。
それが石蹴りのルールだった。
私は先程、気まぐれに始めた石蹴りの石を、見失ってしまった。
それから自宅へと帰ろうとしても、何故か帰りつけなくなったのである。
正しい道順のはずなのに、何度歩いても元居た場所――家とは見当違いの場所へ出てしまう。
頭をかかえる。
一体、どういうことだというのだ。
子供の頃の馬鹿げた一人遊びだというのに。
既に日は落ち、辺りは真っ暗だ。
こんな中、再びあの場所まで戻って石探しを行うのも不毛だろう。
歩き慣れた家路の途中で、スラックスが汚れることも気にせず座り込む。
さてさて、一体全体どうしたものか――。
馬鹿らしいと笑い飛ばした自分ルールに、まさかここまで追い込まれるとは思いもしなかった。
そこでふと、白線歩きの方をやらなくて良かったな、などと考えた。
あっちだったら、今頃私はどうなっていただろう。
多分・・・十中八九、マグマの海へダイブしていたんだろうな。
そう考えると、家に帰れない程度は笑って流すべきなのかも知れない。
目の前を、数人の小学生たちが走りすぎて行った。
ひとりの子に全員分のランドセルを預けている。多分、その子はジャンケンか何かで負けたのだろう。
ああ、懐かしい。
私にもそんな遊びに夢中になっていた時期があった。
例えば、白線の上だけを歩いて横断歩道を渡る、とか。
石ころを蹴り続けて家まで帰るとか。
無論、あの子たちのように数人でランドセルを持つ、持たせる、なんてこともやったっけ。
私は、妙な気分になって、改めて自分の姿を客観的に思い浮かべる。
冴えない中堅のサラリーマンで、毎日自分の鞄ひとつを持って駆けずり回る、そんな姿。
子供の頃思い描いていた大人像とはまるでかけ離れているが、それはまぁそんなものだろう。
諦めにも似た気持ちで、そう締め括った。
そこでふと、足元に転がっている石ころが目についた。
こつん、と蹴ると、5メートルほど転がって、止まった。
意味はないが、何故かちょっとだけ心地良かった。
石ころが止まった位置まで歩き、再度蹴り飛ばす。今度は、気持ち強めに。
カツン、カツ、カッカッカッ・・・。
勢い良く転がる石は、あちらこちらへと跳ね回ってだいぶ先の方まで行ってしまった。
これは、見失うかも知れないな。
そういえば――。
この一人遊び、何かしら自分ルールがあったものだ。
さっきの白線の上だけ歩いて渡る、というものであれば、白線以外の場所を踏んだら死ぬ、とか。
確か、白線以外の場所はマグマが流れていて・・・という設定だったように思う。
我ながら荒唐無稽で、だけど子供っぽく残酷なルールだ。
さてさて、石ころ蹴りの場合の自分ルールは、何だったっけ。
僕は、きょろきょろと先程蹴り飛ばした石を探しながら考える。
石をなくすと・・・死ぬ?
何か違うな。しっくりこない。
もう少し、子供ながらに理屈があったような気がする。白線歩きのマグマ設定のように。
石が途中で砕けると、自分も砕けて死ぬ。
――ああ、近い気がする。
石と自分を重ねあわせるという理屈は、私が子供の頃いかにも考えそうなことである。
だが、割と硬い石が砕ける、という状況自体ほぼ皆無だろう。
やっぱりこれも違う気がする。
ああ、しかし、石が見付からない。
一体どこへ行ってしまったのだろう。
・・・まあ、所詮は子供時代を思い出して気まぐれに行った一人遊びだ。
気にすることはない。
私は、石探しを諦めて再び自宅へと歩き出した。
そして私は思い出す。
――思い出すことを余儀なくされる。
石を蹴り続けていないと、家に帰れない。
それが石蹴りのルールだった。
私は先程、気まぐれに始めた石蹴りの石を、見失ってしまった。
それから自宅へと帰ろうとしても、何故か帰りつけなくなったのである。
正しい道順のはずなのに、何度歩いても元居た場所――家とは見当違いの場所へ出てしまう。
頭をかかえる。
一体、どういうことだというのだ。
子供の頃の馬鹿げた一人遊びだというのに。
既に日は落ち、辺りは真っ暗だ。
こんな中、再びあの場所まで戻って石探しを行うのも不毛だろう。
歩き慣れた家路の途中で、スラックスが汚れることも気にせず座り込む。
さてさて、一体全体どうしたものか――。
馬鹿らしいと笑い飛ばした自分ルールに、まさかここまで追い込まれるとは思いもしなかった。
そこでふと、白線歩きの方をやらなくて良かったな、などと考えた。
あっちだったら、今頃私はどうなっていただろう。
多分・・・十中八九、マグマの海へダイブしていたんだろうな。
そう考えると、家に帰れない程度は笑って流すべきなのかも知れない。