ちょっと前の話になるけどさー。
「鬼滅の刃」最終回について。
アレに関して、
「最終回が子孫繁栄を是としてて萎える」
という意見を見たことがあるんだわ。
価値観が古いぞ、だとさ。
あのなあ!
アレは、炭治郎が家族を何より大事にしてて、
かつ大正時代という時代性もあって、
頑張った炭治郎が最後に掴めたのが
「家内安全、子孫繁栄」だった、
というのがいいんじゃないか!
炭治郎にはアレが幸せなんだよ!
そういうの無視してポリコレでしか作品を見れない、
という人に閉口しますわ。
さすがにそんな人が一般的になっているとは思えませんが。
そこんところ、どうなんでしょう。
正義のヒーローに女性がいてもいい、
くらいのことはいずみも思ってますよ。
男の子だってプリキュアになれる。
アリでしょ。
でもさ、作中のキャラの背景・心情を無視した
ポリコレの押しつけは、害悪だと思うんだよね。
というか、作品批判に
「自分には合わないな」
以外を持ってくること自体おかしいと思わんか?
ここがいい、ここがダメ、と色々批判するのは自由です。
でも、究極「合うか合わないか」だけになるじゃん。
そこを超えて、「存在が許せない」となるのは
最早病気だと思うんだけど。
フィクションに何を求めてるんだ。
こういう存在が日本の強みを殺すよねー。
と思った次第。