そろそろ、キリスト教の話は一旦終わろうと思います。
今回でラスト。
前回は、
「神様の気持ち次第で赦される人間と赦されない人間が出るのでは」
というところでしたね。
いずみが気にしてるのは、
キリスト教以外の教えを弾圧するのでは、というところ。
宗教戦争ってあったわけだしね。
特にいずみは基本無神論者。
そんないずみを、キリスト教は迫害しないか? と。
「多くのキリスト教徒は、他の宗教や信仰に対して敬意を持ち、
平和的な共存を促進することを重視しています」
らしいよ。
つまり、無神論者を迫害することはない?
「歴史上、一部の時期や地域においては、
キリスト教徒による異端視や迫害の事例が存在しました。
しかし、これは特定の時代や特定の人々の行動に起因するものであり、
キリスト教全体の教えや原則ではありません」
うん、過去あったことは認めてるのね。
で、それはキリスト教の本意ではないと。
キリスト教は寛容で、宗教の多様性を認めるんだね。
では、一部のキリスト教徒が強引に勧誘してるのは、本意ではない?
「一部の個人やグループが、強引な勧誘や押し付けを行う場合もありますが、
それは個人的な行動や解釈によるものであり、
キリスト教全体の教えや原則ではありません。
多くのキリスト教徒は、自らの信仰を実践し、
他の人々に対して敬意と尊重を持ちながら、
自由な意思で信仰を選択できる環境を提供することを重視しています」
よかった、街中で強引な勧誘してるのは、むしろ異端なんだね。
これでいくらか安心しました。
キリスト教は無神論者を容認している。
強引な勧誘は本意ではない。
つまり、いずみはこれまで同様、関わりたくない時は関わらない、
というスタンスでいけるんだね。
これからも、折を見て少しずつ勉強していきたいと思います。
が、一旦ここまで。
面白かったです。