のんびり里山日記

里山を次の世代へ引き継ぐために、何かできることはないかな? のんびりと考えながら、里山のできごとを紹介していきます。

鬼火焚き

2007年01月06日 | 里山

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 生憎の天気です。夜になりあられが降っています。
 全国的に荒れ模様のようですね。せっかく準備している鬼火焚きの竹もかなり崩れているようですし、この強風では実施不可能かな。。。

 鬼火焚きは、どろさん(どろんこブログ)の書き込みでも全国的だということですが、たろーくんによると宮城はなし、私も福島ではありませんでしたので東北は微妙?(笑)
 ただ、長崎も私が越してきた頃は中断していて、最近見直されて復活しているので、東北もそうかもしれませんね。

 父の話によると・・・(5,60年前の話)

 子どもたちは、冬休みに入ると地区ごとに竹の確保が重要な仕事。昔は竹は貴重な資源、鬼火焚きをするだけの竹を集めるのは大変だったとか。
 特に父が住んでいたのは小野島町で、干拓地なので山がなく、よその地区に竹を盗みにも行ったそうです。昼間に行くとそこの子どもに追い払われるので、夜の8時に集合して肝試しのごとく竹を集めていたそうです。
 小さい子は泣き出すし、枝の部分を踏んで落し、気が付くと半分も持っていなかったなんてこともあったそうです。

 6日の朝から田んぼの真中に鬼火焚きの準備を始めます。真中に支柱を立てその周りに竹を立てかけインディアンのテントの布無し状態にします。父は家と呼んでいました。
 出来上がると近所の家々を回り、残っているお餅をもらって、その中でお餅を焼いたりして過ごしたそうです。
 準備が整うとよその地区へ見に行ったり、見に来たり、中でおもてなしをすることもあれば、冷やかし等々で喧嘩になり、追い掛け回したり、小中学生の男の子だけで行う行事だったそうなので、そうなるのかな?(笑)

 6日の夜は、その竹の家に泊まり、7日の早朝5時ごろから近所の人が正月飾りを持って集まり、火をつけました。その火で餅を焼いて食べたり、火種を持ち帰って七草粥を作ったりとかして、無事終了。

 完全な子どもの行事だったようですが、今、それはできませんね。。。

 そうそう、同じ町内の鬼火焚きの様子を「マイタウンいさはや」という諫早の情報を扱うホームページが取材したものがあります。⇒ こちら 音が出ますので注意!

 
とりあえず、明日は早起きしてみよう!!!

コメント (4)
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