小説、映画「ノルウェイの森」のネタバレ内容を含んでいます。
◆ 2011 MOVIES 3 ◆
「ノルウェイの森」 トラン・アン・ユン 2010
***
結局観てしまった「ノルウェイの森」。
解釈の違いだろう、残念ながら受け入れられなかった。途中から始まった違和感が徐々に大きくなり、全く集中できなかった。違和感~直子が死んだことを前提に話が始まるべきでないのか?
ただ小説も冒頭と結末の関係は不思議な表現方法になっている。現在の「僕」から話は始まるのに過去進行形の形で終わり、現在の「僕」には帰ってこない。現在の「僕」は過去を語ったままどこへ行ったのだろう? 通常なら現在~回想~現在とするだろうところを、過去進行形で微妙な違和感を残したまま終わるのだ。
ワタナベ君は良しとしよう(もう少しクールであって欲しかったが)。直子は残念だ、イメージと違う。緑も違う。突撃隊の存在も無意味に映った。少しずつ失われていく役割が果たされていない。
映画が悪いというのではない。繰り返し小説を読むうちに、知らず知らず自分の中で映像化しているのだろう。なのに他人の解釈で映像化したものを観るというのは、他人の考えを押しつけられているのと同じことになってしまう。そういう意味で、同一作品の小説と映画を両方受け入れるのは不可能だと思う。善し悪しでなく。
いつか観ることにはなっただろうから「観なければ良かった」とは思わないが、少しは期待していただけに、自分の中で両立の不可能さを確認してしまったことはとても残念だった。
◆ 2011 MOVIES 3 ◆
「ノルウェイの森」 トラン・アン・ユン 2010
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結局観てしまった「ノルウェイの森」。
解釈の違いだろう、残念ながら受け入れられなかった。途中から始まった違和感が徐々に大きくなり、全く集中できなかった。違和感~直子が死んだことを前提に話が始まるべきでないのか?
ただ小説も冒頭と結末の関係は不思議な表現方法になっている。現在の「僕」から話は始まるのに過去進行形の形で終わり、現在の「僕」には帰ってこない。現在の「僕」は過去を語ったままどこへ行ったのだろう? 通常なら現在~回想~現在とするだろうところを、過去進行形で微妙な違和感を残したまま終わるのだ。
ワタナベ君は良しとしよう(もう少しクールであって欲しかったが)。直子は残念だ、イメージと違う。緑も違う。突撃隊の存在も無意味に映った。少しずつ失われていく役割が果たされていない。
映画が悪いというのではない。繰り返し小説を読むうちに、知らず知らず自分の中で映像化しているのだろう。なのに他人の解釈で映像化したものを観るというのは、他人の考えを押しつけられているのと同じことになってしまう。そういう意味で、同一作品の小説と映画を両方受け入れるのは不可能だと思う。善し悪しでなく。
いつか観ることにはなっただろうから「観なければ良かった」とは思わないが、少しは期待していただけに、自分の中で両立の不可能さを確認してしまったことはとても残念だった。