やねうら日記

~日常の中にある幸福

スマイリーとマティ

2011年11月13日 | 日記
高校生の頃、僕は二つの呼ばれ方をしていた。
ひとつはスマイリー、もうひとつは○○マティ(○○には名字が入る)。

スマイリーは僕の日常的笑顔から来たもの。
では全くなく、ただ、その当時好きだったスマイリー原島(ex.THE ACCIDENTS)に理由がある。だって僕はしかめっ面なのだ。
何の拍子だったか忘れてしまったが、ほんの冗談で「スマイリーと呼んでくれ!」のようなことを言った。そうして僕はその日から『スマイリー』となった。もし僕が「ぽっちん君と呼んでくれ!」と言たら、僕は今でも「ぽっちん君」だったのだろう。

○○マティの方は、というと、当時巨人のクロマティに由来する。隠し球か何だでクロマティがアウトになったらしい。その出来事を僕は知らない。
授業中、友人に消しゴムを投げられて、どこから投げられたか分からなかった僕は、「うわぁ、○○マティ」となった。その日から僕のもう一つの呼び名は『○○マティ』となった。

どっちのあだ名も僕は気に入っていた。でもだんだん音信不通になり、そう呼ぶ友達は分からなくなった。『○○マティ』とはもう呼ばれない。
『スマイリー』は一人だけいる。僕の最も大切な友人だ。彼は僕を『スマイリー』とか『スマ』とか呼ぶ。

***
そんな彼が言った。
「そう、床屋さんはすごいのだ。おしゃべりしてお客さんをいい気分にし、その間片時も手を止めず、上手に切っていく。熱いタオルを顔に乗せてまどろみに誘い、その隙にひげから産毛からショリショリとそってしまい、ちょっと血の滲んだところには何も無かったかのようにメンソレータムをそっと擦り込んだりする、愛嬌のある部分も含めて、床屋さんはすごくて素敵な事を毎日しているのだ。
スマイリーのお父さんは、50年以上もそんな事をやっていて、多分とっても満足してしまったんだよ。そして、もうあんまりじたばたしてもしょうがないかな、って、思っちゃったのかも。
なんだったんだろう、と、否定も出来るし、こうだったんだ、と、肯定も出来る。物事は単純に二つに分類出来る訳じゃないけど、折角なんだから光の方を見ようよ。
優しく穏やかに、お父さんの事を、考えてあげよう。
それでいいと、僕も思う。」

***
僕はこれを読んで何度も泣いた。何度も何度も涙が出た。
何度も鼻が出てテッィシュを取りに行った。

***
上手く結べないけれど、
父や母や姉やカミさんや
スマと呼んでくれる友人や
毎日愚痴や悲しみを聞いてくれる友人たちに感謝の気持が溢れてきた。

***
『スマイリー』に近づけるように笑わなくては、と思う。
しかめっ面で口をへの字にしていてはだめなのだ。