何度か比喩として書いていること。
地面にいる「私」。
大きな木の上にいる「私」。
そして、それらを視ている「私」。
全てが「私」だけど。
地面にいるのは、この「私」。
大きな木の上にいるのは、
光のガイドも拡がっていったグループの中に意識として存在する「私」。
決して揺らぐことのない繋がりの中、
常に地面にいる「私」と循環しながら進んでいく。
そして。
それらを包括して視ている「私」。
その「私」こそが。
ハイヤーセルフ。
いつの瞬間も同時に在って、
また、その視点にいつでも立てるということ。
自らがその視点で、眼差しで生きていくということ。
この「私」を、愛し、慈しみ、全てを受け入れ、そして導く。
また、現時点でのハイヤーセルフとしての「私」を
さらに超える「私」の気配、息づかいもハッキリ感じる。
待ち構えている。
きっと、これから。
無条件の愛に向かって、
一体化を何度も繰り返しさらに拡大していく「私」。
この地球(ほし)に生まれてきた目的。
あらたな物語は、始まったばかり。
地面にいる「私」。
大きな木の上にいる「私」。
そして、それらを視ている「私」。
全てが「私」だけど。
地面にいるのは、この「私」。
大きな木の上にいるのは、
光のガイドも拡がっていったグループの中に意識として存在する「私」。
決して揺らぐことのない繋がりの中、
常に地面にいる「私」と循環しながら進んでいく。
そして。
それらを包括して視ている「私」。
その「私」こそが。
ハイヤーセルフ。
いつの瞬間も同時に在って、
また、その視点にいつでも立てるということ。
自らがその視点で、眼差しで生きていくということ。
この「私」を、愛し、慈しみ、全てを受け入れ、そして導く。
また、現時点でのハイヤーセルフとしての「私」を
さらに超える「私」の気配、息づかいもハッキリ感じる。
待ち構えている。
きっと、これから。
無条件の愛に向かって、
一体化を何度も繰り返しさらに拡大していく「私」。
この地球(ほし)に生まれてきた目的。
あらたな物語は、始まったばかり。