新古今和歌集の部屋

源氏物語 湖月抄 手習 元婿の中将の来訪

 
 
 
 
 
                     むこの
は中将にて物し給ける、おとうとのぜんじ
中将の弟也。三僧都の弟子と見えたり
の君、僧都の御もとにものし給ける、山ごもり
したるをとぶらひに、はらからの君だちつ
          よかは
ねにのぼりけり。横川にかよふ道のたより
         尼公のもとへ也
によせて、中将こゝにおはしたり。さきうち
おひて、あでやかなるおとこのいりくるをみ
いだして、忍びやかにておはせし人の御有樣け
                  宇治の山ざとに思ひ
はひぞ、さやかに思出らるゝ。これもいと心
あはせての詞也
ぼそきすまゐのつれ/"\なれど、すみつ
きたる人々゙は、ものきよげにおかしうしな
 
 
頭注
横川にかよふ道のたより
横川へは小野のかたより
のぼるなるべし。
さきうちおひて
中将も小随身をめ
しぐするによりて前
の聲を發する也。
忍びやかにて
浮舟の心に薫の
ことなどおもひいだし
たり。匂宮といふ説
不用也。かほるの事也。
匂宮はうちへの御かよひ
にはさきをばおはせた
まはず。
して、かきほにうへたるなでしこもおもしろ
                  さき
く、をみなへし、ききやうなど咲はじめた
るに、色々のかりぎぬすがたのをのこ共゙
             中将もかりぎぬ姿也
のわかきあまたして、きみもおなじさうぞ
くにて、みなみおもてによびすへたれば、
               廿六七とある本もありいづれ
うちながめてゐたり。とし廿七八のほどにて
にてもありなん
ねびとゝのひ、心ちなからぬさまもてつけ
たり。あま君さうじぐちに木丁たて
                       尼君の詞也
て、たいめんし給。まづうちなきて、年比゙の
つもりには、過にしかたいとゞけどをくのみ
なん侍るを、山里゙のひかりになをまちきこ
えさすることの、うちわすれずやみ侍らぬ
 
 
頭注
色々のかりぎぬすがた
中将の供の人也。
 
 
 
 
心ちなからぬ
心あるといふ也。
 
 
 
を、かつはあやしく思給ふるとのたまへば、心
中将の心中也 これより詞也。
のうち哀に、過にしかたのことゞも、思給へら
れぬおりなきを、あながちにすみはな
れがほなる御有樣に、おこたりつゝなん。
惣別世を捨て山住もしたき心よりいふ也
山ごもりもうらやましう、つねに出たち
侍るを、おなじくはなどしたひまどはさる
る人々に、さまたげらるゝやうに侍てな
ん、けふはみなはぶきすてゝものゝ侍つると
     尼君の返答也
の給ふ。山ごもりの御うらやまみは、中々いまや
         當世の人の口まねのやうなると也
うだちたる御ものまねびになん。むかしをおぼ
 わすれ
し忘ぬ御こゝろばへも、よになびかせ給は
ざりけると、をろかならず思たまへらるゝ
 
 
頭注
すみはなれがほなる
尼君の世はなれたる
住居故にをのづから
疎遠なるとなり。
ぎにしかたのちなみ忘
れず度々もまいるべ
きを世をはなれがほ
なる御さまには遠慮
せられてをのづから懈
怠せしと也。
つねにいでたち侍るを
山ごもりを常にと
ぶらはんとすれどもろ
ともになどいふ人に
よりてさはりがちなる
と也。中将にしたしき
人たちなるべし。
したひまどはさるゝ人々
に 同道すべきとて
人/"\いざなへるとなり。
頭注
友達の我も/\としたひ侍るにさまたげられて、とかく打すごし侍り、けふは
其人どもをはぶきすてゝ出たちたるよし語るなり。
世になびかせ給はざりけると むかしをわするゝこそ世のならひなるに
さもなきよ也。過にしkたの事思給へられぬ折なきとありし答へ也。
                  ひめの飯といふ物也。炊飯
おりおほくなどいふ。人々゙にすいはんなどや
         中将に也
うの物くはせ、君にもはすのみなどやうの
ものいだしたれば、なれにしあたりにて、さやう
     はゞかりなき心也          さめ
のこともつゝみなきこゝちして、むら雨の
ふり出るにとゞめられて、物語しめやかに
     尼君の心也        尼君のむすめの事也
し給ふ。いふかひなくなりにし人よりも、この
中将をよそ人にせんも口おしきと也
君の御心ばへなどの、いとおもふやうなりし
を、よそのものに思なしたるなん、いとかなし
  我むすめに子などもなかりし事也
き。などわすれがたみをだにとゞめ給はず
成にけんと、恋しのぶ心なりければ、たまさ
 
頭注
はすのみ 蓮實也。
蓮子さかづき也。
子數盃妄令酒文集
愚云夏の会なれば蓮の
実なかるべきにあらず
盃をはすのみといはんも
あまりに上手めきた
る歟云々。の御説を
可用師説
 

は、中将にて物し給ひける、弟の禅師の君、僧都の御許にものし給ひける、
山籠りしたるを訪(とぶら)ひに、兄弟(はらから)の君達常に上りけり。
横川に通ふ道の便りに寄せて、中将ここに御座したり。前うちおひて、艶や
かなる男の入り來るを身出だして、忍びやかにて御座せし人の御有樣氣配ぞ、
清かに思ひ出でらるる。これもいと心細き住まゐの徒然なれど、住み着きた
る人々は、物清げに可笑しうしなして、垣穗に植へたる撫子も面白く、女郎
花、桔梗など咲き始めたるに、色々の狩衣姿の男の子どもの若き数多して、
君も同じ装束にて、南面に呼び据へたれば、打眺めて居たり。歳廿七八の程
にて、ねび調ひ、心地なからぬ樣もてつけたり。尼君障子(さうじ)口に几
帳立てて、対面し給ふ。先づ打泣きて、
「年比のつもりには、過ぎにし方、いとど氣遠くのみなん侍るを、山里の光
に猶待ち聞こえさする事の、打忘れず止み侍らぬを、かつはあやしく思ひ給
ふる」と宣へば、心のうち哀に、
「過ぎにし方の事共、思ひ給へられぬ折無きを、あながちに住み離れ顔なる
御有樣に、怠りつつなん。山籠りも羨ましう、常に出で立ち侍るを、同じく
はなど、慕ひ惑はさるる人々に、妨げらるるやうに侍りてなん、今日は皆、
省き捨てて物の侍つる」と宣ふ。
「山籠りの御羨まみは、中々今やうだちたる御物真似びになん。昔を思し忘
ぬ御心映えも、世に靡かせ給はざりけると、愚かならず思ひ給へらるる折り
****
多く」など言ふ。人々に水飯などやうの物食はせ、君にも蓮の実などやうの
物出だしたれば、馴れにし辺りにて、さやうの事もつつみ無き心地して、村
雨の降り出でるに留められて、物語しめやかにし給ふ。言ふ甲斐無くなりに
し人よりも、この君の御心ばへなどの、いと思ふやうなりしを、余所のもの
に思ひなしたるなん、いと悲しき、など忘れ形見をだに留め給はず成りにけ
んと、恋忍ぶ心なりければ、たまさ
 
 
略語
※奥入 源氏奥入 藤原伊行
※孟 孟律抄  九条禅閣植通
※河 河海抄  四辻左大臣善成
※細 細流抄  西三条右大臣公条
※花 花鳥余情 一条禅閣兼良
※哢 哢花抄  牡丹花肖柏
※和 和秘抄  一条禅閣兼良
※明 明星抄  西三条右大臣公条
※珉 珉江入楚の一説 西三条実澄の説
※師 師(簑形如庵)の説
※拾 源注拾遺
 
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