しりたくおもふ心もありとなむ。上句に草と
いふはすべての草なり。わかなは七種なり。
一 崇德院に、百首哥たてまつりける時、春哥
此院百首哥めしけるは、㐧二度は久安六年
とあり、幾度も有しとみえたり。
崇德院諱ハ顕仁。鳥羽㐧一ノ子也。母ハ中宮藤原
璋子。号待賢門院。入道亞將公実ノ之女也。保
安四年二月十九日即位。治天下十八年。永治
元年十二月七日譲位。保元元年七月廿三日
遷流讃州。長寛二年八月二十六日、崩于彼国。
一 前參議教長 正三位大納言忠教ノ男
母ハ俊明卿ノ女
一 若菜摘袖とぞみゆる春日のゝとぶひの野べのゆきの村
ぎえ
増抄云。貫之哥、春日のゝわかなつみにや白妙
の袖打はへて人のゆくらん。これによりて、
よめる成べし。雪のむら/\消てしろきを、人
の袖とみたる作意なり。所がわかなの名所也。
時節が春なる故に、あらぬものもそれと
みたる心面白とぞ。當景ニうつる心なりとぞ。
頭注
○職源云。參議八人
相當正四位下唐名
諫議太夫。相公
八座。參議者諸
臣之中四位已上有
其才之人奉勅參
議ル官中政之意
也。故非正官。
※ 貫之哥
古今集春歌上
歌たてまつれとおほせられし時よみてたてまつれる
貫之
かすがののわかなつみにや白妙の袖ふりはへて人のゆくらむ