こんな話がある
昔、天文博士の安部の晴明と云う陰陽師がいた。昔にも恥じない有能な陰陽師だった。晴明が幼い時から、賀茂忠行と云う陰陽師に随って、昼夜に陰陽師の術を習っていたが、少しも術に不安なところが無かった。
そして、晴明が若かった時、師の忠行が下京に夜間出向いて行く時、随身としてお供をして、徒歩で車の後について行った。忠行は、車の中でよく寝入っていたが、晴明が見るに、なんとも言えない怖き鬼どもが、「諸行無常」と唱えながら車の前に向って来ていた。晴明はこれを見て驚いて、車の後に走り寄って、忠行を起こして告げたところ、その時忠行は驚いて目覚め、鬼がやって来るのを見て、術法を以ってたちまち、我が身と随身どもを、鬼から見えない樣にして隠し、無事に鬼達を過ぎさせた。
その後、忠行は晴明を手放し難く思って、この自分の知っている陰陽道の術の全てを教え、清明はそれを全て身に付けた。そう言う事で、ついに、清明はこの陰陽道について、公私とも重宝に使われた。
その後、忠行が亡くなってから、この晴明は、土御門大路よりは北、西洞院大路より東の、今で言う土御門町に家を構えた。
その家に晴明が居た時、老僧がやって来た。供に十歳余りばかりの子供を二人を連れていた。晴明これを見て、
「何の用で御坊が、何処より来たのだ」と問へば、僧は、
「拙僧は、播磨国より參りました者でござる。実は、陰陽の法術を習おうと云う志が有りまする。そう言う事で、只今、陰陽道の術者の中で、一番優れているとお聞きします貴方樣に承って、小々の術をお習いしたいと思いまして、參りました也」と言えば、晴明が思うに、「この法師は、この道に並々ならぬ術使いの者に違いない。それが、我を試そうと來のだろう。この者に下手に試されては、口惜い事もあるかも知れない。試しに、この法師を少しからかってやろう」と思った。「この法師のお共をしている子供は、識神なのだろう。識神ならばたちまちに召し隠せ」と心の内に念じて、袖の内に両方の手を引き入れて、印を結び、密かに呪「急急如律令」を唱えた。その後、晴明が法師に答えて曰く、
「承知した。だたし、今日はもっぱら暇も無く、忙しい事が有る。速やかにお帰りになって、後に吉日を選んで、以ってお出でせよ。習いたいとおっしゃる事は教えましょう」と言う。法師、
「ああ、嬉しや」と言って、手を押し摺て、額に宛て立ち走って去った。
今は一、二町は行ったとだろうと思う程に、この法師、またやって来た。晴明が見れば、人が隠れていそうな所に、車宿などを覗き行くようである。覗き行って後に、清明の前に寄り来て曰く、
今は一、二町は行ったとだろうと思う程に、この法師、またやって来た。晴明が見れば、人が隠れていそうな所に、車宿などを覗き行くようである。覗き行って後に、清明の前に寄り来て曰く、
「この私の供に連れて參りましたツ童部、二人ともにわかに居なくなってしまいました。その子供たちを頂戴いたしたいとございます」と。晴明が曰く、
「御房は、妙な事を言う方だな。晴明は、何の故あって、人の御供である童部を、取ったと言うのか?」と。法師の曰く、
「おお、御師匠樣。全くその通りでございます。尚、許し下さいませ」と詫ければ、その時に晴明が曰く、
「よしよし。御房の、人を試みんとて識神を仕って來たのが、安からず思っていたのだ。さように、試すなら他人にせよ。晴明にはそんな事はしない事が身の為だ」と言って、袖に手を引き入れて、物を読む様に呪文を唱えて暫くしたら、外の方より、この童部二人とも走って入り、法師の前に出て來たのだった。その時に法師の曰く、
「誠に貴方樣は、陰陽道の術では最高位の御方と聞き、試みてみようと思いまして、參りましたのです。それに、識神はいにしえより仕う事は容易いのですが、他人が仕かいました識神を、隠す事は真に至難の業です。なんとかたじけない事です。今より偏に御弟子としてお仕えいたします」と言って、たちまちに名符を書いて、弟子入りしたい旨清明に差し出した。
今昔物語集巻 本朝世俗部 第二十四 安部晴明随忠行習道語第十六
今昔、天文博士安部晴明ト云陰陽師有ケリ。古ニモ不恥ヂ止事無リケル者也。幼ノ時、賀茂忠行ト云ケル陰陽師ニ随テ、晝夜ニ此道ヲ習ヒケルニ、聊モ心モト无キ事无カリケル。而ルニ、晴明若カリケル時、師ノ忠行ガ下渡ニ夜行ニ行ケル共ニ、歩ニシテ車ノ後ニ行キケル、忠行車ノ内ニ吉ク寝入ニケルニ、晴明見ケルニ、艶ズ怖キ鬼共車ノ前ニ向テ來ケリ。晴明此ヲ見テ驚テ、車ノ後ニ走リ寄テ、忠行ヲ起コシテ告ケレバ、其時ニゾ忠行驚テ覚テ、鬼ノ來タルヲ見テ、術法ヲ以テ忽ニ我ガ身ヲモ恐レ无ク、共ノ者共ヲモ隠シ、平カニ過ニケル。其後、忠行晴明ヲ難去ク思テ、此道ヲ教フル事瓶ノ水ヲ写スガ如シ。然レバ終ニ清明此道に付テ公私ニ被仕テ糸止事无カリケリ。
而ル間、忠行失テ後、此晴明ガ家ハ土御門ヨリハ北、西ノ洞院ヨリ東也、其家晴明ガ居タリケル時、老タル僧來ヌ。共十餘歳許ナル童二人ヲ具シタリ。晴明此ヲ見テ、「何ゾノ僧ノ何ヨリ來レルゾ」ト問ヘバ、僧、「己ハ播磨国ノ人ニ侍リ。其ニ、陰陽ノ方ヲナム習ハム志侍ル。而ルニ、只今此道ニ取テ止事无御座ス由ヲ承ハリテ、小々ノ事習ヒ奉ラムト思給ヘテ参リ候ツル也」ト云ヘバ、晴明ガ思ハク、「此法師ハ此道ニ賢キ奴ニコソ有ヌレ。其レガ我ヲ試ムト來タル也。此奴ニ弊ク被試テハ口惜カリナムカシ。試ニ此法師少シ引キレウゼム」ト思フ。「此法師ノ共ナル二人ノ童ハ識神ニ仕テ來タルナリ。若シ識神ナラバ忽ニ召シ隠セ」ト心ノ内ニ念ジテ、袖ノ内ニ二ノ手ヲ引入テ、印ヲ結ビ密ニ咒ヲ読ム。其後、晴明法師ニ答ヘテ云ク、「然カ承ハリヌ。但シ、今日ハ自ラ暇无キ事有リ。速ニ返リ給テ、後ニ吉日ヲ以テ坐セ。習ハムト有ラム事共ハ教ヘ進ラム」ト。法師、「穴貫」ト云テ、手ヲ押摺テ額ニ宛テ立走テ去ヌ。
今ハ一二町ハ行スラムト思フ程ニ、此法師亦來タリ。晴明見レバ、可然キ所ニ車宿ナドヲコソ臨行メレ。臨行テ後ニ、前ニ寄來テ云ク、「此共ニ侍ツル童部、二人乍ラ忽ニ失セテ候フ。其給ハリ候ハム」ト。晴明ガ云ク、「御房ハ希有事云フ者カナ。晴明ハ何ノ故ニカ人ノ御共ナラム童部ヲバ取ラムズルゾ」ト。法師ノ云ク、「我ガ君、大ナル理ニ候フ。尚免シ給ハラム」ト侘ケレバ、其時ニ晴明ガ云ク「吉々。御房ノ、人試トテ識神ヲ仕テ来タルガ不安思ツル也。然樣ニハ異人ヲコソ試メ。晴明ヲバ此不為デコソ有ラメ」ト云テ、袖ニ手ヲ引キ入テ、物ヲ讀樣ニシテ暫ク有ケレバ、外ノ方ヨリ此童部二人乍ラ走入テ、法師ノ前ニ出來タリケリ。其ノ時ニ法師ノ云ク、「誠ニ止事无ク御座ス由ヲ承ハリテ、試ミ奉ラムト思給ヘテ、参リ候ツル也。其ニ、識神ハ古ヨリ仕フ事ハ安ク候フナリ。人ノ仕タルヲ隠ス事ハ更ニ可有クモ不破ハ。穴忝。今ヨリ偏ニ御弟子ニテ候ハム」ト云テ、忽ニ名符ヲ書テナム取ラセタリケル。
今ハ一二町ハ行スラムト思フ程ニ、此法師亦來タリ。晴明見レバ、可然キ所ニ車宿ナドヲコソ臨行メレ。臨行テ後ニ、前ニ寄來テ云ク、「此共ニ侍ツル童部、二人乍ラ忽ニ失セテ候フ。其給ハリ候ハム」ト。晴明ガ云ク、「御房ハ希有事云フ者カナ。晴明ハ何ノ故ニカ人ノ御共ナラム童部ヲバ取ラムズルゾ」ト。法師ノ云ク、「我ガ君、大ナル理ニ候フ。尚免シ給ハラム」ト侘ケレバ、其時ニ晴明ガ云ク「吉々。御房ノ、人試トテ識神ヲ仕テ来タルガ不安思ツル也。然樣ニハ異人ヲコソ試メ。晴明ヲバ此不為デコソ有ラメ」ト云テ、袖ニ手ヲ引キ入テ、物ヲ讀樣ニシテ暫ク有ケレバ、外ノ方ヨリ此童部二人乍ラ走入テ、法師ノ前ニ出來タリケリ。其ノ時ニ法師ノ云ク、「誠ニ止事无ク御座ス由ヲ承ハリテ、試ミ奉ラムト思給ヘテ、参リ候ツル也。其ニ、識神ハ古ヨリ仕フ事ハ安ク候フナリ。人ノ仕タルヲ隠ス事ハ更ニ可有クモ不破ハ。穴忝。今ヨリ偏ニ御弟子ニテ候ハム」ト云テ、忽ニ名符ヲ書テナム取ラセタリケル。
賀茂忠行(かも の ただゆき)は、平安時代前期から中期にかけての貴族・陰陽家。透視術に優れていて、醍醐天皇の前で、腕前を披露して「天下に並ぶもの無し」と賞賛された。安倍清明の実際は、忠行の子の保憲の弟子として、記録に残っている。
清明は、天文得業生で、得意としたのは天文占いで、ひかる君へでも、一条天皇に今年の占いを奉じていた。また式神を操る事とされており、陰陽師の小説でも、盛んに式神を使って、家事を任せたり、事件を解決していた。
清明が死んでから百年も経たず伝説化された事が、今昔物語集に掲載された事で分かる。
今も一乗戻橋に晴明神社はある。参拝した時、妙に右肩から腕が痛かった。何か憑いていたのだろうか?
最近、陰陽師の最新映画が公開されたとの事だが、見逃してしまった。
貴方は、この話を信じますか?
映画『陰陽師0』本予告 2024年4月19日(金)公開