明月記 正治二年
十一月
三十日天晴る。風病甚だ不快。午の時許りに、京を出で、日吉に參詣。蓮華王院の邊りに於て、西の方に火を見る。風甚だ猛なり。烟、巽に赴く。須く歸宅すべしと雖も、信心を凝らすに依り、遂に騎馬を以て前途に赴く。車早く持ち歸るべきの由、下知し了んぬ。七條の火なり。壬生大路の程か。關山を送り越すと雖も、其の烟遂に止まず。未の時許りに坂本の宿所に入る。火猶滅せず。…略…
十二月
一日 天晴る。咳病、極めて悩む。夜に入り宮廻る。又通夜。雑人云ふ、夜前の火、七條坊門匣小路と云々。東は河原に出で、北は七條坊門、南は梅小路。其の間、一宇を殘さず。八條院、適々遁れしめおはします。但し、庁并に伺候の人々等、地を拂ふと云々。弘誓院東の御堂、又燒け了んぬと云々。粗々傳へ聞き、之を注す。龍壽御前の宅《七條坊門》同じく燒亡するの由、聞く。