新古今和歌集の部屋

式子内親王の名前 天文鈔本新古今倭謌集春夏より

天文鈔本新古今倭謌集春夏(新古今集古注集成 中世古注編 1)


ノリコ    後白河院ノ御妹ナレ
式子内親王 ドモムスメニ成玉フ
四十九首   也。

筆者(書写者):不明(内山秀隆)
筆年:―(天文十九年)

式子内親王 Wikipediaより
式子内親王(しょくし/しきし(のりこ)ないしんのう[* 3]、久安5年(1149年)[* 1] - 建仁元年1月25日(1201年3月1日)[* 2])は、日本の皇族。賀茂斎院。新三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人。後白河天皇の第3皇女。母は藤原成子(藤原季成の女)で、守覚法親王・亮子内親王(殷富門院)・高倉宮以仁王は同母兄弟。高倉天皇は異母弟にあたる。萱斎院、大炊御門斎院とも呼ばれた。法号承如法[1]。

* 3^ 内親王の名を「ショクシ」と訓むのは歌道の故実読みであって、藤原俊成を「シュンゼイ」、藤原定家を「テイカ」と訓むのと同様の呼び名である。「シキシ」も同様。むろん本人や近親者たちが内親王を「ショクシ」と呼んだわけではない。この名の正式な読みかたは今もって不明であるが、角田文衛の説により「ノリコ」とするのが通説となった。


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