さてそのうえで、くどいようですが、もう一度あの“ニッポンはひとつ”“がんばろうニッポン”について考えてみます。しばらく時が経ったこの間に、“ニッポンはひとつ”だなんて、たしかにもうあんまり耳にしなくなりました。所詮は空疎なスローガンにすぎなかった、ということでしょうか。ただ同時に、空疎なスローガンならスローガンなりに、役割を果たし目的を遂げたからこそ、身を引いていったのではないかと見ることもできます。3・11以後に向けてあちこちに蠢くさまざまな企図を、このスローガンの下に、促進しつつ隠蔽し、隠蔽しつつ促進する、むしろ濃厚なイデオロギーとして。ならば、このいわば<災害ナショナリズム>のもとで進行していたのは何だったのでしょうか?
そこで、“ニッポンはひとつ”“がんばろうニッポン”というあのフレーズが、AC広告をはじめ、随所で耳目にふれるようになったのは、どんな時期であったかを再び思い出してみます。恐らく3月14日頃の前後、直接にはまず、①日本にいる「外国人」たちが続々と出国しつつあるのが報じられ、また身の回りでも目に付きだしたあたりからだと僕は記録してあります。そして、その時期はまた、②福島第1原発が最悪の事態となり、続いていかにも唐突に「計画」停電が強行されはじめた真只中のときでもありました。さらにまたそれは、③首都圏を中心に(九州に至るまで)、怒涛のように「買占め」の波が巻き起こり、それこそまるで第2の津波のように、スーパーその他の小売店頭から主な生活物資がごっそりと浚われてしまった頃でもありました。これら3重の時間的符合の意味を掘り下げておく必要があるように思います。
第1に「外国人」たちの出国との符合。“奴ら”外国人は帰るところがあるからいいけど、“われわれ” ニッポン人はここにいるしかない。それに東北で被災している人たちは「同じニッポン人」なのだから、「見捨てる」ようなことはしてはいけない(てことは、自分らニッポン人は「外国人」に「見捨てられた」、と思ってることを暗に語ってもいますが)……そんな声が、僕の周囲でも多く聞かれたものでした。共に捨てられた「同じニッポン人」どうし、という限定付きでみれば、ここには、どんな違いもこえて、互いに助け合おうという<共助>の思想が込められていたということはできましょう。
実際、東北被災地では、わざわざスローガンなんかに諭されるまでもなく、「同じニッポン人どうし」以前に、もともとの強力な地縁共同体の結束力を支えとして、したたかに<共助>を展開し、それを伝える報道等は僕らを驚嘆させずにはいませんでした。
他方、多くの「外国人」たちが帰ってしまったのは、何も彼らが冷酷な人間だからではなく、日本政府~メディアの隠蔽する危険な現実を海外メディアのほうが逸早くよく伝えていたからであり(日本政府はそれをデマ扱いして済ませましたが)、またこれまで日本政府が入国者や難民にみせてきた数々の人権侵害的な待遇が、この非常事態のもとで、とても信頼をかち得るに至らなかったからです。各国の駐日大使館も、日本の外務省が何の情報も出さず協力もしないので、自力で情報を収集し、自力で交通手段を手配して自国民を避難させねばならず、現場の大使館員は日本政府に「怒り心頭」らしいと自民党議員・河野太郎氏は伝えています(『世界』6月号)。
そう、実は、冷たい「外国人」と暖かい「ニッポン人どうし」といった対立があるのではなく、冷たい日本政府と、それに対して、共に翻弄される在日「外国人」と「ニッポン人」とがあり、「外国人」・「ニッポン人」はむしろ互いに助け合う仲間に近い立場にあるのではないでしょうか(さらにいえば、逆にニッポン人も、被災者が現に「国内避難民」を強いられているだけでなく、全「国民」がつねにすでに「潜在的な難民」の地位にあることを忘れてはなりません)。
いまこれほど、ニッポン人に多くの同情と援助の念が世界中から集まったことはないでしょう。ツィッターやフェイスブックも大きな役割を果たしました。そして東北被災地では、地縁共同体の<共助>に混じって、在日のアジア系を中心とした「外国人」たちが、ニッポン人と一緒に、懸命に奮闘していると聞きます。郡山や仙台では(そして気仙沼にも繰り出して)、被災した朝鮮学校が校舎等を避難所として開放し、日本人を受け入れたり・支援物資を配ったり・孤立した日本人たちを支援したりして、「民族を問わず命を救いたい」「民族の違いを考えず仲間として助け合えた」「被災者に国境はない」と尽力しています(京都新聞4月4日付夕刊)。
こうして、どんな違いもこえて、互いに助け合おうという<共助>の思想は、その本性上、“同じニッポン人どうし”などというケチな枠を、内側にも(地縁共同体)・外側にも(「外国人」)、軽々と踏み越えて、もしお好みならば“同じ人間どうし”とでも言うほかない、普遍的な地平へとはみ出していってしまうポテンシャルに満ちあふれています。
なぜ苦しんでいるのが彼らであって、自分ではないのか。なぜ自分がここにこうしていて、それが彼らでないのか。<存在>というもののこの厳然たる偶然性・・・この偶然性こそがまさに、僕ら1人1人を否応なく<共助>へと立ち向かわせる衝発力にほかならないのでしょう。あまりにも弱く・あまりにも小さく・あまりにも寄る辺ない・偶然の存在でしかないという、否定しようのない一見否定的な現実が、どんな違いをも乗り越えて、人々を(いやそれどころか山川草木悉皆をも)縦横無尽に肯定的に連帯させてしまうかもしれない・・・
いっさいの<存在>の、所詮は一片の身体でしかない脆弱性(vulnerability)と、でもそうであるがゆえに自然(じねん)に発動せずにはいない回復力(resilience)と。
<つづく>
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