心身社会研究所 自然堂のブログ

からだ・こころ・社会をめぐる日々の雑感・随想

3・11以後に向けて(10-4)

2011-08-17 09:21:00 | 3・11と原発問題
このように20世紀のさまざまの事態は、あたかもナチス・ドイツが尖端的にかなえ始め、あるいはかなえかけて終わった夢の多くを、大戦末期~戦後に現実にかなえていったのがアメリカでありソ連であったかのように展開しました。あるいはまた、今日までアメリカやソ連が必死に追い求めてきた夢の多くは、すでにナチス・ドイツが一部はかなえ、またかなえつつあった夢であったかのように展開しました。いうなれば、ナチス・ドイツのユートピアの実現としての戦後世界。戦後世界のユートピアの原点としてのナチス・ドイツ。
いやしかし、もう少し正確に言えば、それは近代がずっと夢想してきた同じひとつの夢を、ドイツに代表される「ファシズム」、アメリカに代表される「国家資本主義」、ソ連に代表される「共産主義」のいずれもが、同時に、それぞれの仕方で実現しようと鎬を削りあい、そのうちたまたま最もゆとり(ヒマ)と資金(カネ)と人的資源(ヒト)に劣ったドイツ「ファシズム」が、まさにそれゆえに最も尖端的な形でその夢を表現し、またそれゆえに1つの体制としては最も短命のうちに散ったということ、そしてそのあとアメリカ型「国家資本主義」とソ連型「共産主義」が、豊富なゆとり(ヒマ)と資金(カネ)と人的資源(ヒト)にあかせて、ドイツ「ファシズム」の遺産の光と影をも内部に埋め込み、日常化し慢性化しながら、より大規模に、より轟然と現実化していったということではないでしょうか。
それにしても、近代がずっと夢想してきた同じひとつの夢? そう、ほかでもない。近代において<神>を殺した人間たちが、今度はおのれ自身が<神>になろうとし、なろうとしてもなりきれず、なりきれぬままに呻吟し、呻吟しつつ死んでも手放そうとしなかった~~そしてついには、(自)死という形で実現しようとさえした~~永遠の夢、この近代に宿痾のごとくに付きまとう無窮の夢が、20世紀の前半、1930年代前後以降のこの頃に、「ファシズム」、「国家資本主義」、「共産主義」の3つの体制において、<戦争>(いっさいの他者を征服する全能)と<成長>(いっさいの自然を征服する全能)への挙国的な総動員=総参加という形で、ついにかなえうるのではないかと幻視する可能性が現実に熟するに至ったということではないでしょうか。すなわち、<戦争>と<成長>に、上から権威的に<動員>され下から自発的に<参加>する「国民」の資格において、1人1人の大衆がついに<神>になれるのではないかと(そしてその生贄としての安楽死~ホロコーストとその日常化!)。そうした、20世紀の3大体制の追い求めた夢は、何よりそれを支えた大衆たちのあくなき夢でもありました。

ここに「ファシズム」、「国家資本主義」(「ニューディール」~「福祉国家」)、そして「共産主義」という一見互いに背反し、現にしばしば烈しく対立もしてきた20世紀を彩る3大体制が、同時に深く通底しあい依存しあう奇妙な共犯関係にあり、いずれも「総力戦体制」「総動員体制」といわれる(山之内靖ほか『総力戦と現代化』など)大衆動員=参加体制の3類型として存在していたことが浮かび上がってきます。20世紀は(少なくとも1980年代までは)、こうした大衆動員=参加体制の時代、あるいは<広義の全体主義>体制の時代だったと言っていいでしょう。「ファシズム」は自らすすんで<民族>共同体の「全体主義」(Gleichschaultung!)を標榜しましたが、「共産主義」はプロレタリア<階級>の”独裁”をもってむしろ敵からすすんでそう呼ばれ、「国家資本主義」は自ら<個人>主義という反対物を通してそれを実現するという形で、それぞれがそれぞれの「全体主義」、「総力戦体制」・「総動員体制」、大衆動員=参加体制を開花させたのです。
日本の場合も、第1次大戦後からアジア・太平洋戦争の戦時体制をへて、戦後の高度成長に至る半世紀余の時期に、敗戦~民主化という鋭い不連続面にもかかわらず、不思議な連続性を保持しているのは、まさにそこに「総力戦体制」「総動員体制」の論理が貫通していたからではないでしょうか。「満州国」でやろうしてやれなかったことを、戦後の日本国内でやったのが高度経済成長ではなかったかという吉田司(『王道楽土の戦争』)の鋭い洞察に、僕はほぼ全面的に賛成です。ただし、戦後の「国内満州国」は、もはや”五族協和”のユートピア(イデオロギー)すらをも放擲し、かわりに堂々と”単一民族起源説”をもってした相違は見落とせないように思います。戦時下よりいっそう「全体主義」的かもしれない、戦後民主主義のこの”王道楽土”。

要するに、「ファシズム」、「ニューディール」から「福祉国家」、「共産主義」、そして「近代日本システム」のいっさいの根底を貫通する、<戦争>(対他者的な全能)と<成長>(対自然的な全能)という20世紀の2大ユートピア。あるいは<戦争>という名の(経済的・政治的・心理的な)<成長>。<成長>という名の(経済的・政治的・心理的な)<戦争>。
この結果、20世紀は人類史上最も多くの殺人を行なった世紀となり、その最大の大量殺人犯はマフィアでもテロリストでも通り魔殺人者でもなく、実に「国家」なのでした。ある研究によると、1987年までのこの世紀に、国家は2億321万人の人々を殺し、しかもその多くは、驚くべきことに、自国市民1億3475万人と、外国人6840万人の倍近くにも達しています(Rummel,R.J., Death by Government, p.15)。自らが神になるという近代の夢をかなえるために、20世紀の大衆動員=参加体制は、国家という「人類史上最強の大量虐殺者を創造した」(ダグラス・ラミス『憲法と戦争』p.177)のであり、その最大の被害者は何と、神となって守られるべき当の自国民なのでした。
20世紀に各地各国で驀進した経済成長もまた、外部の自然を破壊したのはもちろんですが、でもそれ以上に、僕ら1人1人の内なる自然を破壊する過程だったといえるかもしれません。

そしてその<戦争>=<成長>の、大衆動員=参加体制を特徴づける格好の合言葉こそ、戦時日本でいえば“一億一心””一億火の玉だ””撃ちてし止まむ”だったのであり、あるいは”日本人なら贅沢は出来ない筈だ””バスに乗り遅れるな”等々だったのであり、これぞまさしく現代語に翻訳すれば、”ニッポンは1つ””ニッポンは強い国””がんばろうニッポン”ではないのでしょうか。後に詳しく見るように、高度成長の終焉した1980年代以降、日本をはじめ先進諸国では、大衆動員=参加体制はすでに効力を失いつつあります。にもかかわらず、21世紀の僕らニッポンは、未曾有の大震災を経た今もなお、20世紀のこの遺物への郷愁を捨てられずにいるようです。<災害ファシズム>の傾向が容易に頭をもたげるのも無理もありません。依然として僕らは、<戦争>=<成長>的なイメージが感じられると、たちまち”希望”に踊り、<戦争>=<成長>的なイメージの欠落が感じられると、みるみる”絶望”に沈む習性が染みついていないでしょうか(ショウワを蔑む若い世代たちですらも、この点では依然として限りなくショウワ的ではないでしょうか)。
その証拠に、僕自身のかつての研究によってみても、世界に冠たる自殺大国ニッポンは、遅くとも第1次大戦期以降、<戦争>と<成長>以外の時期にはいつでもほぼ恒常的に自殺率が高く、ただひとつ<戦争>と<成長>によってしか自殺者を減らせない隘路を突破できずにきました。この研究の発表の初出は1997年でしたが、いわゆる”98年ショック”以降の13年連続自殺者3万人超の今日の事態は、この特徴をますます雄弁に物語っています。そのせいか、この間、自殺対策の国民的な運動を巻き起こすという<自殺そのものに対する戦争>(War on Suicide!)、つまり外国(<戦争>)でも自然環境(<成長>)でもなく(自)死そのものを敵とする新たな種類の<戦争>が試みられ、法的にも正式に宣戦布告され(2006年「自殺対策基本法」~2007年「自殺総合対策大綱」)、今まさにその成果が問われている真最中というわけです。

<つづく>


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 3・11以後に向けて(10-3) | トップ | 3・11以後に向けて(10-5) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

3・11と原発問題」カテゴリの最新記事