OUR HOME ISLAND - いおうとう(硫黄島)

戦前に在住していた島民が、戦後の小笠原返還後も故郷に帰ることが許されていない硫黄島についての情報発信をいたします。

硫黄島のがじゅまるの木の根元の話(3)

2007年11月13日 | 硫黄島・小笠原村
【「硫黄島のがじゅまるの木の根元の話」は、1996年の小笠原村主催の「硫黄島訪島事業(墓参)」開始より前に訪問した時のことを思い出して書いています。】

森の中に入っていったパパイヤ探索隊に着いていった時に、
一隊を案内して下さっていたリーダーに
「もう、戻らないと、集合時間には間に合わないのでは?」と
質問をしましたところ、

その方が、
「君のグループは? 我々はC班なので、13:00に厚生館に
戻ればいいから、あと、少し行ったところの木まで行くのだけれど?」


「私はB班です。12:30、あと15分後に集合です。!」
私は、班ごとに集合時間が違うなどとは、その瞬間まで、これっぽっちも
思っていませんでした。 「まずい!」

C班からパパイヤ採りに参加のどなたかが、
「今すぐ、急いで戻らないと、間に合わないね。
あちらの方向だから、気をつけて、急いで戻るようにね。」と、
私も方角はおよそ、分かっていた、入ってきた方角を指差して
言いました。

「一人で戻りかよ、、。」と心の中で思いながら、
「はい、では、ここから戻ります。」と、
皆さんから離れて、逆戻りを開始しました。

「戦場で丸裸にされてから、戦後でよくこれだけ木々が生長したな。
亜熱帯気候だからだろう。」という木々の高さと量で、
上を見上げても、見える空の面積はあまり多くありません。

走って戻らないと、集合時間に間に合わないことは分かっていましたので、
入ってきた方向をまっすぐに目指して、急ぎ、戻り始めました。

山を走ったり(昨今の健康ブーム、アウトドア・トレーニングのブームで、
今は、トレイル・ランニングと呼ばれてファンが多いですが、当時に
そのような呼ばれ方をしていたかは定かではありません。)は、
好きなほうです。陸上部だった頃には、クロスカントリーという
山道を走るトレーニングも経験してました。
多少の邪魔が枝がありましたが、起伏もそれほどではなく、
快調に森の中のランニング、で、舗装道路を目指していました。

と、その時、突然、
物音と同時に、前に見えていた森の木々の姿の視界が、消えました。
物音の直後ほぼ同時に、自分の身体が  

(続く)

写真は昨年の9月の訪島の時に撮影した、硫黄島で見事に花を開かせてくれているハイビスカス。
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