硫黄ヶ丘の船見岩の上からの写真の紹介を続けておりますが、この3枚目の写真ははっきりと方向が分かります。南東に向かって撮った写真で、後ろ側に見えている建物群は現在の滑走路を挟んだ向こう側にある自衛隊などの施設です。この建物があるあたりが、戦前の集落の呼び名では、南と呼ばれていたあたりです。従って、この写真は南集落より手前の当時の商店街などがあった中心地だった元山集落の中心の方に向かって撮ったもので、硫黄ヶ丘、元山集落、その向こうに南集落という位置関係になります。元山集落の中心部分、私の祖父母がやっていた魚や雑貨を扱っていた店のあった位置は、現在は、滑走路になってしまっている場所だと言われています。
写真一番左に芝生の広場のように見える箇所がバスで連れてきてもらって乗降する場所、硫黄ヶ丘の入り口部分です。その地点の手前に以前に紹介した焦げたタマナの木があります。写真の真ん中から左にかけての森になっている部分が、戦前の学校の敷地だった場所だそうです。今は、すっかりがじゅまるに覆われた森ですので、この場所が校庭だったと言われているあたりも今はすっかりがじゅまるに覆われた森ですので、かなり立派に育ったがじゅまるなのですが、戦後に生えて伸びた木々だということになります。
写真一番左に芝生の広場のように見える箇所がバスで連れてきてもらって乗降する場所、硫黄ヶ丘の入り口部分です。その地点の手前に以前に紹介した焦げたタマナの木があります。写真の真ん中から左にかけての森になっている部分が、戦前の学校の敷地だった場所だそうです。今は、すっかりがじゅまるに覆われた森ですので、この場所が校庭だったと言われているあたりも今はすっかりがじゅまるに覆われた森ですので、かなり立派に育ったがじゅまるなのですが、戦後に生えて伸びた木々だということになります。