OUR HOME ISLAND - いおうとう(硫黄島)

戦前に在住していた島民が、戦後の小笠原返還後も故郷に帰ることが許されていない硫黄島についての情報発信をいたします。

2015年小笠原村硫黄島慰霊墓参(139)釜場(1)

2015年11月02日 | 硫黄島・小笠原村
先の大戦で日米合わせて非常に多くの将兵が犠牲になった激しい地上戦が展開された硫黄島です。昭和19年に島民は強制疎開で、父島経由で本土に移ったのですが、16歳から30代までの壮年男性で軍属として硫黄島に残らされた島民のうち、80余名が硫黄島で戦没しました。私の親類で言えば、二人とも18才だった母の従兄二人がその中に含まれますし、私の祖父は帰ってくることができましたがすぐ下の弟は妻子を本土に帰して34歳で硫黄島で戦没しました。
私たちの硫黄島滞在の二日目の午後の最初に来る、この釜場という場所は、204設営隊という隊が使っていた煮炊きをする施設の跡です。島民で軍属として戦死したうちで十余名は、先に紹介した硫黄島の北部にある貨物廠という場所に配属されてそのあたりで亡くなったと言われていますが、残りの軍属として散った人たちは、この204設営隊に属していたと言われています。どこが最期の場所であったか伝わっている人は少ないのですが、その人たちに縁のある場所であることは間違いありませんので、毎年、ここを訪れて、冥福を祈ります。
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