OUR HOME ISLAND - いおうとう(硫黄島)

戦前に在住していた島民が、戦後の小笠原返還後も故郷に帰ることが許されていない硫黄島についての情報発信をいたします。

宮城県の亘理郡亘理町と角田市に行ってきました。(6)

2011年11月20日 | 宮城県
宮城県の角田市と、亘理郡亘理町、亘理郡山元町にまたがる、四方山の展望台から山元町方面を撮った写真です。津波被害が大きかった地域なので、こんなになる前にはもっと建物も多かったでしょうし、イチゴのハウスなども多かった辺りかと思います。車が通っている場所は、震災前に山元ICより北側は開通していた常磐自動車道の山元ICと亘理ICの間です。この高速道路の路面が高くなていて土手になっていて、津波の水は、この高速を境にして多くの水が押し寄せた地域とそれほど水が来なかった場所がくっきりとしている場所が、亘理町には多いです。震災後最初に行った4月初め時に高速の土手を境に、流されて散乱したものの数、被害のひどさがくっきり分かれていました。 昨年、来た時には、亘理から陸前浜街道を南に下って福島県に入り、福島県側で開通していた富岡ICから常磐自動車道に乗って帰ってきたことがありました。富岡ICまでの一般道はかなり時間がかかりました。富岡ICから山元ICまでつながる計画があったので、「開通すれば亘理、角田に来るのが近くなる。」と楽しみにしていました。震災の前には、平成26年度の全線開通が発表されていました。
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宮城県の亘理郡亘理町と角田市に行ってきました。(5)

2011年11月19日 | 宮城県
亘理郡の亘理町の南隣の山元町で撮った元コンビニだった建物跡です。山元町の海岸近くには、以前に行った時には入れずに初めて行きました。山元町の被害がひどかった様子も報道もされていますし、犠牲になられた方も多くでた被害が大きかった地域です。亘理町とも違う光景が広がっていました。亘理町の鳥の海地域に入る場所のガソリンスタンドは、大きな被害を受けた様子が痛々しかったのですが、今回は、きれいに修復されて再開されていました。場所にもよりますが、津波の被害があった地域でも再開しているお店なども見られたりするのが亘理町です。ところが、山元町では住民や商店の人などは戻っていません。まったく流されてしまっているか、少しだけ建物だったころの様子をとどめている廃墟が広がるばかりです。災害危険区域に関する条例で、「アパート、マンションなどの居住用の建物の新増改築」ができない地域です。 実質は、このあたりも震災の津波の被害により、「戻ることができない故郷」になってしまっている地域である様子を見ました。 私のこのブログは、「日本なのに戻ることができない故郷の島」を紹介することを目的で、やってきています。 震災で、また、悲劇の「戻れない地域」が。この国に増えてしまいました。原発事故の被害と津波の被害とで、住民が住めない場所が増えてしまったことは、悲しいことです。いつ、どれぐらいの地域に、どれぐらいの人が戻れるのかが分かりませんが、一日でも多く、一人でも多くの人が故郷に戻って住めるようにとお祈りいたします。
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宮城県の亘理郡亘理町と角田市に行ってきました。(4)

2011年11月18日 | 宮城県
津波で壊滅的な被害を受けた宮城県亘理郡亘理町の荒浜漁港近くです。津波で建物、船、車が散らかっていたのはすっかり片づけれていました。片づけの車両ももう見えませんでした。この写真のように、がれきが台形状の山に片づけられていました。木材の山などのように分別されてそれぞれの山にされていました。7月の初めに来た時には、重機が、このがれきの山を作っているところでした。 
この荒浜漁港、鳥の海地区には、釣りをしている人が多くいました。まだ、道路は通れないところがあり、昨年来た時に通った亘理町長瀞方面からの道はつながっていませんでした。震災後初めて来た時の様子をこのブログで紹介した時の写真にあった1階部分が流されて2階部分だけが浮くように残っていた漁協の建物はすでに撤去されてなくなっていて、その場所の道路をはさんだ向かい側に、「釣用品きくしん」というお店が再建されて営業中で、「はらこ飯弁当」ののぼりが立っていました。 ほとんどの建物が流されてしまったこの地区の復興が確実に進んでいる様子を見ることができました。
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あの頃チャンネル(2011年10月23日~2011年11月16日)亘理町と角田市

2011年11月17日 | 宮城県
あの頃チャンネル(2011年10月23日~2011年11月16日)亘理町と角田市
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宮城県の亘理郡亘理町と角田市に行ってきました。(3)

2011年11月16日 | 宮城県
これは高蔵寺の阿弥陀堂です。平安末期の建物です。
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宮城県の亘理郡亘理町と角田市に行ってきました。(2)

2011年11月16日 | 宮城県
この写真も宮城県角田市の高蔵寺の庭園です。
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宮城県の亘理郡亘理町と角田市に行ってきました。(1)

2011年11月15日 | Weblog
今年の9月に行った、小笠原の写真の紹介を続けているところで、硫黄島の写真の紹介の途中で、これから、しばらく続ける要諦ですが、この土日(11月11日、12日)に震災以来4回目、7月以来4か月ぶりとなる、宮城県の亘理町と角田市に行ってきましたので、その様子の紹介をはさむことにいたします。
亘理名物で今が旬の はらこめし を堪能してきました。
津波の被害が甚大だった場所にも行きましたが、そうではない場所にも行きました。最初に紹介するこの写真は、宮城県角田市の高蔵寺の庭園です。昨年の同じ時期に初めて行った時以鮮やかな色が混ざっている美しさにため息が出ました。今年も色づいている庭園を見ることができました。
亘理町と角田市の紹介が終わったら、また、硫黄島の写真の紹介に戻ります。
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硫黄島(23)

2011年11月14日 | 硫黄島・小笠原村
小笠原丸の進行方向の、左側に向いて、硫黄島の西北端をズームして撮影しています。この後、小笠原丸はこの西北端を回り込んで、船首を東向きに変えて時計回りに硫黄島を回ります。この日、硫黄島を二周した一周目です。
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硫黄島(22)

2011年11月13日 | 硫黄島・小笠原村
これも、小笠原村硫黄島平和祈念会館の写真です。
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硫黄島(21)

2011年11月12日 | 硫黄島・小笠原村
このズームして撮影した写真に写っている建物が小笠原村硫黄島平和祈念会館です。今年は水不足で硫黄島に上陸できませんでしたが、いつもの年は、ここに宿泊します。 海面からの高さがあることが分かります。このあたりの海岸の名前は、漂流木海岸で、ごつごつしています。 この写真の左側が大阪山砲台があるあたりです。
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