今年の6月の硫黄島への慰霊墓参の訪問の時の写真の紹介を例年通り続けております。この前の写真までは、上陸して1日目の、慰霊式典から出身集落への里帰りで旧元山集落に行った時の写真でしたが、ここからが二日目の写真になります。
二日目は班別で、島内のいろいろな戦跡などをまわります。
旧島民関係者の参加者は、例年、二班に分かれてマイクロバスで島内をまわります。
最初に行くのは、比較的新しく遺骨調査がされて私たちも見れるようになった、大阪山壕です。今回で、行くのが三回目だと思います。
1日目に慰霊式典が行われた硫黄島島民平和祈念墓地公園から上がったところにありますので、公園がよく見えます。
二日目は班別で、島内のいろいろな戦跡などをまわります。
旧島民関係者の参加者は、例年、二班に分かれてマイクロバスで島内をまわります。
最初に行くのは、比較的新しく遺骨調査がされて私たちも見れるようになった、大阪山壕です。今回で、行くのが三回目だと思います。
1日目に慰霊式典が行われた硫黄島島民平和祈念墓地公園から上がったところにありますので、公園がよく見えます。
硫黄ヶ丘に向かう道が分かれるT字路のところにある「元山砲台群」とある石碑です。この辺りの日陰になっているところで、出身集落からの里帰りから戻るために乗せてもらう巡回しているマイクロバスを待ちます。陽射しのあるところでは、相当な高温になっています。
このあたり、高いところに実がなっているので採りにくいですが、パパイヤの木もあります。
このあたり、高いところに実がなっているので採りにくいですが、パパイヤの木もあります。
硫黄ヶ丘入口まで続く道です。道の両側は森になっています。これまでに10回以上、小笠原丸での慰霊墓参の硫黄島訪問の1日目の出身集落への里帰りの時にこの辺りに来ています。
最初に来た時などには、この森の中に、戦前の元山集落の人が住んでいた跡などがありそうか探すために森の中にも入っていましたが、住居の跡などを見つけることはできませんでした。やはり、いろいろな人が教えてくれている通り、戦前の商店街などの元山集落中心部分は、現在は飛行場滑走路の下になっているのだろうと思われます。
最初に来た時などには、この森の中に、戦前の元山集落の人が住んでいた跡などがありそうか探すために森の中にも入っていましたが、住居の跡などを見つけることはできませんでした。やはり、いろいろな人が教えてくれている通り、戦前の商店街などの元山集落中心部分は、現在は飛行場滑走路の下になっているのだろうと思われます。