硫黄ヶ丘は、このような白い硫黄の大地が広がっています。ところどころ、グレーで硫黄が噴出している孔もあります。地表に出てきた硫黄は緑色になっています。ところどころ地面が熱くて柔らかく歩くと足が数センチめり込むようなところもあるので気を付けて歩かないといけません。以前には歩いていて脚まで潜ってしまって大やけどを負ったという事故もあったそうでうす。
硫黄ヶ丘の船見岩の上から撮った写真です。これは、正確な向きは分からないのですが、飛行場とは逆側ですから北西から北といった方角を向いていると思います。この写真の先にある方が、小笠原丸停泊している釜岩や慰霊式典が行われた硫黄島島民平和祈念墓地公園よりは東にある、我々が宿泊する祈念館や大阪山砲台、壁画、多くの壕があるロランタワーあたりだと思います。少し高くなっている一帯が大阪山と呼ばれれているあたりかもしれません。
これも硫黄ヶ丘の船見岩からの写真です。手前の白い硫黄の大地から、緑も森に入る手前側の芝生になっているところが、マイクロバスが入ってきて私たちを降ろしてくれる硫黄ヶ丘の現在の入口です。森のあたりは戦前の元山集落にかかっていたと思います。その向こう側が現在の飛行場から、昔の南集落、現在の厚生館があるあたりへと続きます。
硫黄ヶ丘の船見岩からは360度の眺望が開けていますが、これは、東からやや北向きの方角だと思いますが、それほど離れていない天山慰霊碑を望んだ写真です。しばらく前に行った会には、巡回しているマイクロバスを待たずに、村職員の方ともう一人の元山集落への里帰り参加の方と一緒に三人で硫黄ヶ丘から天山慰霊碑まで歩いたこともありました。
毎年、硫黄島に行く度に一度は硫黄ヶ丘の船見岩に登ります。船見岩の周りは硫黄の大地と周辺の森と近くの飛行場でここより高い場所がありませんので360度の眺望が開けます。この写真は船見岩の上からの摺鉢山です。ズームして撮ったものです。
戦前の元山集落から近い場所にある硫黄ヶ丘から、元の学校のグランド跡だったと教えてもらったことがある森に入るところにある木に咲いていた花です。一緒に元山集落への里帰り班で行った方たちから名前を教えてもらいましたが、忘れてしまいました。その方たちによると父島、母島にもあるそうですが、ここの花は大きくて立派だということでした。
船見岩というのは硫黄ヶ丘の中央付近にあるこのあたりで一番高い岩です。戦前は、この岩の上に竿のようなものを立てて定期船が西の港と東の港のどちらに入るのかを見て、島民し知らせていたことから、船見岩という名前がついたと聞いています。どちらの港に船が入るかを知ると、島の子供たちも船を迎えて何らかの手伝いもあったらしく一斉に港に向かったそうです。硫黄の地面の真ん中にそびえています。
硫黄島に上陸してすぐの午前中の硫黄島島民平和祈念公園での慰霊式典が終わると、そこから近い宿泊場所である祈念館に移動してそこで昼食になります。小笠原丸で作ってもらって運ばれたお弁当を、私たち宿泊者は館内の各部屋で食べます。そこから午後は戦前に住んでいた集落別の班に分かれての里帰りになります。私は母(故人)の出身で祖父母が商店を開いていた戦前の硫黄島の中心で役場や学校、商店があった元山集落への里帰りとなります。元山集落の中心で母が生まれた家があったあたりは今では飛行場になってしまっていますので、そこから近い硫黄ヶ丘に、毎年、行っています。写真は硫黄ヶ丘の硫黄の噴出孔です。盛んに硫黄が噴出しています。