戦前は沖合の島であった釜岩が硫黄島の隆起で地続きとなりました。私たちは、その釜岩の地続きになった部分に上陸します。小笠原丸は、沈船群と釜岩とが湾状になった場所に停泊します。この写真は地続きになった部分の付け根のあたりで、前回の投稿の硫黄島島民平和祈念墓地公園も同じ方角に見えます。
これは硫黄島の沈船群のあたりから釜岩の岬の根本のあたりにかけてです。沈船群の沈船も硫黄島の隆起でどんどんと浜の上に上がってきましたし、
釜岩の岬も、戦前は、沖合の島であった釜岩と硫黄島とが隆起で地続きになったものです。
釜岩の岬も、戦前は、沖合の島であった釜岩と硫黄島とが隆起で地続きになったものです。
この硫黄島の沈船群は、戦後に米軍によってこの場所に運ばれてきて、そのまま放置されたものだそうです。米軍はこの場所に港の設備を作ろうと考えて埋め立てや桟橋などに利用しようと考えてこの場所にコンクリート船を持ってきたらしいですが、潮流が速い、隆起があるなどの理由から、港には適さなないと断念をしてそのままにしたと聞いています。
Wikipediaなどで調べたところでは、コンクリート船というのはあったそうで、鉄が無い場合に作るもので、動くには動いたそうです。
Wikipediaなどで調べたところでは、コンクリート船というのはあったそうで、鉄が無い場合に作るもので、動くには動いたそうです。
硫黄島の釜岩沖の湾内に、小笠原丸が停泊しますが、その場所から正面のあたりには、沈船群が広がっています。小笠原丸から近いこともあって、この沈船群の写真を紹介することは多くなります。
また、沈船群の向こうには、白煙が噴出している場所があります。
また、沈船群の向こうには、白煙が噴出している場所があります。