摺鉢山の山頂の米軍の記念碑の前には、二本の棒が立っていて、そこにはこの記念碑を訪問した米軍の人たちが訪ねた証を残すためにドッグタグと呼ばれる認識票を残しているのがかけられています。
現役の軍人であらばドッグタグ(認識票)は必要なはずですので、何か本物ではないレプリカのようなものをかけていっているのかもしれませんし、あるいは退役して不要になった人だけがかけていくのかもしれません。
硫黄島は、私たち住民や子孫以外に、多くの戦死者を出した日本兵のご遺族にとっても大事なメモリアルの地ですし、加えて米軍にとっても重要な聖地であるということも、戦前の住民が帰って住むことができないままである、大きな理由の一つであるとも考えられています
現役の軍人であらばドッグタグ(認識票)は必要なはずですので、何か本物ではないレプリカのようなものをかけていっているのかもしれませんし、あるいは退役して不要になった人だけがかけていくのかもしれません。
硫黄島は、私たち住民や子孫以外に、多くの戦死者を出した日本兵のご遺族にとっても大事なメモリアルの地ですし、加えて米軍にとっても重要な聖地であるということも、戦前の住民が帰って住むことができないままである、大きな理由の一つであるとも考えられています
硫黄島の摺鉢山の山頂にある、第一御楯特別攻撃隊と第二御楯特別攻撃隊の碑です。日米の非常に激しい上陸戦が展開されて日本軍が玉砕したことでは知られている硫黄島ですが、特攻隊が出撃した基地でもあったことは、あまり知られていないのが残念です。
鎮魂の丘で、Niconのデジカメの電池が切れたので、もう一つのPentaxのデジカメに切り換えたので、ここからは写真のサイズが変わります。時間も少し経過して、ここからは摺鉢山の山頂の写真になります。摺鉢山山頂からの海の写真です。
今年の硫黄島では、二日目の午後に、この鎮魂の丘を訪れていた時に、デジカメの電源がゼロになってしまって、ブーゲンビリアの写真は取れましたが、鎮魂の碑や、折口信夫(釈迢空)(養子にした折口春洋が硫黄島で戦死)の碑、鎮魂の丘からの摺鉢山などの写真を撮ることができませんでした。
硫黄島滞在の二日目の午後、釜場の次に行ったのは鎮魂の丘という慰霊碑のある場所です。この場所にも毎年来ています。鎮魂の丘の下には粟津壕という壕があります。
この鎮魂の丘にも、お花を用意してもらっていて、参加者全員が献花をします。
鎮魂の丘の入り口から上がったところには、この写真の弾痕が残っている碑があります。
この鎮魂の丘にも、お花を用意してもらっていて、参加者全員が献花をします。
鎮魂の丘の入り口から上がったところには、この写真の弾痕が残っている碑があります。
硫黄島の釜場のまわりにはかなり大きなオオタニワタリが生育しています。戦前の硫黄島では、このオオタニワタリを牛のえさにしていたそうです。人間も食べることができるようで、葉の中に何かを入れて包むようにするそうです。私はまだ食べたことはないのですが、肉厚な葉はアロエなどのような多肉植物のような味がするのかもしれません。小さなものを持ち帰って自宅でも栽培しています。