最近の交通事故の報道やネットでの反応を見ると昔とは違ってきたのを感じます。
昔はネットなどが発達していませんでしたから、家だと父親、学校なら校長、会社なら社長の意見、鶴の一声が通りました。
それと親に世間体を言われて、抽象的でも従うしかありませんでした。
ところが、最近はネットの意見が見れますから、世間体とかが多くの人に受け入れられているものなのかバレます。
少なくとも鶴の一声は相当人気でもないと威厳が保てません。
なのでテレビがやった記者会見も必ずしもそのまま受け取られずに感情が加わります。
その過程にもネットのラインなどが影響しています。
ラインで友達などが抱いている感情の共有が論理とは別に存在します。
それがたくさん集まれば世論を動かすようなものにまで成長します。
それとは別にユーチューバーのような人が行なった行為が波及する事もあります。
昔は流行の発信をテレビや雑誌が主でしたが、それも崩れたのかと思います。
また、高度経済成長期にファッションの発信地のような原宿とかがあったように
ネットでも流行を発信するようなサイトが存在し、また有名人のブログ、インスタの影響も大きいです。
なのでテレビ制作サイドの思惑が必ずしも受け入れられるとは限りません。
昨日の記者会見の中継は視聴率が高くとも評価が議論されるのかと思います。
以前から書いているように視聴率が高い理由が見たいからだけてはなく、
問題があって注視しても高くなります。ただ、それを印象が良いとは言えません。
それと毎度の如く社会の問題提起を正義かのように繰り返すのも進展が無ければ飽きられます。
または単なる勘違いな輩と変わりなくなってしまいます。
一時期の映画がそうでしたが、人気が下降すると何故か意味不明な事が起きます。
テレビで言えば、雛壇やワイプの多様で意図もなくやるとウザがられます。
おそらく、プロデューサーやディレクターがバーターで頼まれたのを押し込んでいるのかとさえ勘繰ります。
簡単な話、視聴者の意向を汲めば、必要な人だけにして更に必要なカットだけに絞りますよね。
仮に必要な発言等が有ってもビデオで十分ならそれの方が手の込んだ感じになります。
乍ら見をしていると思っているから画面を飾ってしまうのかと思います。
また、制作サイドの思惑通りのキャスティングでその期待通りの反応をされるとお約束なの?と思ってしまいます。
そろそろ、気づいて対応しないと価値観の差から視聴率が上がらないのでしょ。
また、ゲーム、ラインなどで時間を費やす若者が戻ってくるような情報やターゲットにした番組を作らないと
見る見ない以前に必要とされなくなってしまいます。