戦時中とか日本は右向け右の世界で逆らうのが難しいくらいだったと思います。
今でこそ体罰は厳禁ですが、昔は往復ビンタなるものまでありましたから。
なので本来は戦後、真面目にやっているのに更に輪をかけた不謹慎狩りを気にするなら分かります。
検索して異常なバッシングは有るのかと確認しました。
バッシングが自己目的化云々はよくわかりませんが、
本当は無視すればいいだけの話です。
ネットで幾ら書いても騒がれなければただの落書きですから。
それに必ずそう言うのを見て書くライターの存在も問題なのです。
ましてネタが無いと更にそのライターの記事を叩くとかまるで小学生並みの思考回路です。
ただ、普通はお喋りして終わるもので、普通のツイートなら埋もれて終わるのでしょう。
問題なのは個人攻撃に近いようなバッシングは犯罪ですから、違法なら相談なり手続きなりするべきでしょう。
幾らなんでも不当なバッシングは警察や民事で不利です。
先ずはその前に不当なバッシングをサイトにアクセスさせないようなシステムが必要でしょう。
これまでツィッターやフェイスブックは管理されていない面もありました。
ましてユーチューブは尚更で今頃になって広告外しをしているくらいですから。
それと不謹慎と決め付けるのが難しいのもあります。
攻撃する為に本当はボランティアや有名なのを利用した支援の手助けなのに非難するとか不謹慎とかでなく不利益も無いのに因縁をつけている町のチンピラとかわりありません。
ただ、ここで取り上げられている太宰治が反面教師で何故文学だとするのかさえ疑わしい。
つまり、不謹慎の定義というか世間体が本当に世論調査の通りならそれも従う人が多いと言う話です。
太宰治のような事にはなりたくありませんから。
戦後の焼け野原はアメリカがやった事ですよね。
そしてこの前のリーマンショックも。
仮に日本が失われた15年を悔いるとして、アメリカの市場は更に安い中国製へと移っていただけですよね。
為替にしてもそれから中国への移行にしても日本でどうにかなったのか疑問です。
つまり、荒んでいる心は環境の悪化もありますが、それで不当に他人を非難するほど単純ではありません。
匿名性が有ると思い込んで書き込み、その後に問題になると反省するような話ですよね。
それで本来気にするべき不謹慎狩りはむしろ、関係があるものの本人がメインでも無いものにまで文句を付ける事のはずです。
また、自粛ムードの過熱や自己に損害の無いクレームとか行き過ぎると危険です。
自己に損害も無いのに何か恩恵を受けると恐喝のような犯罪にカウントされますから。
元々社会学者でもなく、法律のうえで考えてもいないので
曖昧さがあり芸術、文学の世界観で心理的に話されても負け犬の論理のようにしか映りません。
スマホ中毒、ゲーム中毒みたいなデジタル孤立で確かにリアルで会話すれば多少は気が紛れるのでしょう。
それとターゲットばかり意識しないで自分を省みると攻撃よりも自己の尊厳が大事かなと思います。
言ってはいけないのかもしれませんが、芸能人などを相手にするよりも楽しい状況の方がいいでしょう。