>「子どもの頃、うちの家庭の状況を親戚や周囲も知っていたのに、積極的に関わろうとしてくれた人はいなかった。近かった人でもそうなのに、政治家とは育った環境が違いすぎて、私のような人の思いなんて分からないと思う。大人や政治に期待するだけ、無駄だと思ってる」
日本の政治批判の手法の一つにこうした例外的な案件を上げて現政権が如何にも汗水垂らした事のない人達の集団が如く記事にするんですよね。
普通に働いて世帯を抜ける場合もあるのだから、この話はお涙頂戴の選りすぐりのストリーに近いのかと思います。
普通に新聞社と言えど、記事にする時点と事後で対応も違うのかと思います。
記事になるまでは可哀想な主人公であっても、その後はその人にとって良いようにするものです。
ところが、この手の記事を書く記者の多くはそれっきりなのが透けて見えます。
この記者が本音で語れる対処方法ってなんだったのか考えるべきですよね。
実際に政治的に救えるような話にはならないのかと思います。
何故ならしたいのは悲劇で政治解決とは縁遠い話ですから。
仮にこう言う状況の家庭や大学生を調べあげてどう言うパターンなのかを出せば何かが違うのかと思います。
検索してもそれなりの制度は出て来ます。
それについては触れてもいませんよね。
検索してみても
厚生労働省の調査(※1)によると、ひとり親家庭の子どもの大学等進学率は、全世帯53.7%に対して、ひとり親家庭23.9%と全世帯の半分程度となっています。 この背景には経済的事情によるところが大きいでしょう。
と言った具合ではあるもののそれが極端に珍しいくらいに大変な話となっていない感じになります。
無責任な事を書く気にならないのですが、こんな感じなのにどうしてそう言う特定のケースを取り上げて記事にするけど本質的な改善の話に及ばないのです。
政治的に一番良くないのは特定の例で批判しているが、それがどんな点で不公平なのか、何を試してみたがとか、制度的に変えようとしないならなんの為の記事なのかとなります。
記事の主人公について批判しているのではなく、あくまでも記者の政治的な知見です。
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