10. ビッグマック食べ放題ってないのかな?
→ビッグマック(ハンバーガー)食べ放題をそのまま訳すと、Big Mac buffet. All you can eat hamburgers.(ハンバーガー食べ放題)等になるだろうか。他に考えてみる。I want to eat Big Macs freely without having to pay more. I want to eat a lot of Big Macs here. I want to eat Big Macs endlessly. You can eat a lot of Big Macs. There is no limit. Love Big Macs? You can eat them all. I can eat Big Macs forever. I don’ t want to stop eating Big Macs here. Is there any kind of service where you can eat only Big Macs freely (?)without having to pay extra money?等。
食べ放題。buffet、all you can eat~、as much as you like(したいだけする)等の慣用表現以外の表現方法を考察した。何のために?決まった言い方をしたらいいじゃないか。いや、慣用表現を求めることは、発想を固定化させる。固定した発想からは、表現力は広がらない。英語に熟達するために、ボキャビル(語彙増強)に励む。当然だ。しかし、辞書的な英語の知識は、必ずしも豊富な表現力を約束しない。単語を知っている、ということが、こと表現力に関しては、油断となる。むしろ、あまり英語を知らない人の方が、身振り手振り、声のトーン、顔の表情と、あらゆる非言語的要素をもって、外国人に伝えようとして、全身からほとばしり出る気迫で、英語を知っている人以上にコミュニケートするということは、ままあることである。
とある外国人技術者が来る研修・宿泊施設で勤めていた時、数多く来日する方々の中に、ろうあ者の宿泊者の一行がおられた。耳が聞こえない。せっかく日本に来られた。なんとかコミュニケーションをとりたい。あるイスラム教のベール(ブルカ)をまとった、ろうあ者の女性が、洗濯室で、お困りの様子。手話を知らないので、身振り手振りで無言の会話をした。洗濯機・乾燥機の使い方に始まり、国際郵便の取り扱いや、インターネットのこと、家族のことなど、短時間に、ジェスチャーで表現し得る限りの事を、伝え合った。英語の問題ではない。何としてでも表現しようとする意志だけが、問題なのだ。私はそう思った。ろうあ者の皆様から、表現の何たるかを学んだ気がする。
ビッグマックの食べ放題の話から、えらい脱線をした。我々英語学習者は、ネイティブはどう言うか、という最上の表現を探求する姿勢は当然堅持しつつも、同時に、自分の内に埋もれている表現を、考える(直観及び哲学的思索)ことにより発掘し呼び起こすことを忘れてはならない。単語を知っている。それが、それ以上その事に関して表現する必要性を妨げている。表現力を獲得したければ、知識を捨てること。本当にその事柄を知っているのか、吟味すること。哲学の父、ソクラテスの無知の知である。知っていると思うと、それ以上思考回路は発動しない。その事を知らないと思う(疑う)から、探求(思索)が始まる。
“食べ放題”を簡単に表現するだけで、色々考えてしまう。大した表現も提示できない自分が歯がゆく、不甲斐ない。答えは無い。英語学習者の皆さまも、是非ご自身で考え、自分なりの英語を表現して頂きたい。ただし、正確な英語で。吟味が甘ければ、必ず不自然な英語になる。まず日本語を整理することが大切である。
→ビッグマック(ハンバーガー)食べ放題をそのまま訳すと、Big Mac buffet. All you can eat hamburgers.(ハンバーガー食べ放題)等になるだろうか。他に考えてみる。I want to eat Big Macs freely without having to pay more. I want to eat a lot of Big Macs here. I want to eat Big Macs endlessly. You can eat a lot of Big Macs. There is no limit. Love Big Macs? You can eat them all. I can eat Big Macs forever. I don’ t want to stop eating Big Macs here. Is there any kind of service where you can eat only Big Macs freely (?)without having to pay extra money?等。
食べ放題。buffet、all you can eat~、as much as you like(したいだけする)等の慣用表現以外の表現方法を考察した。何のために?決まった言い方をしたらいいじゃないか。いや、慣用表現を求めることは、発想を固定化させる。固定した発想からは、表現力は広がらない。英語に熟達するために、ボキャビル(語彙増強)に励む。当然だ。しかし、辞書的な英語の知識は、必ずしも豊富な表現力を約束しない。単語を知っている、ということが、こと表現力に関しては、油断となる。むしろ、あまり英語を知らない人の方が、身振り手振り、声のトーン、顔の表情と、あらゆる非言語的要素をもって、外国人に伝えようとして、全身からほとばしり出る気迫で、英語を知っている人以上にコミュニケートするということは、ままあることである。
とある外国人技術者が来る研修・宿泊施設で勤めていた時、数多く来日する方々の中に、ろうあ者の宿泊者の一行がおられた。耳が聞こえない。せっかく日本に来られた。なんとかコミュニケーションをとりたい。あるイスラム教のベール(ブルカ)をまとった、ろうあ者の女性が、洗濯室で、お困りの様子。手話を知らないので、身振り手振りで無言の会話をした。洗濯機・乾燥機の使い方に始まり、国際郵便の取り扱いや、インターネットのこと、家族のことなど、短時間に、ジェスチャーで表現し得る限りの事を、伝え合った。英語の問題ではない。何としてでも表現しようとする意志だけが、問題なのだ。私はそう思った。ろうあ者の皆様から、表現の何たるかを学んだ気がする。
ビッグマックの食べ放題の話から、えらい脱線をした。我々英語学習者は、ネイティブはどう言うか、という最上の表現を探求する姿勢は当然堅持しつつも、同時に、自分の内に埋もれている表現を、考える(直観及び哲学的思索)ことにより発掘し呼び起こすことを忘れてはならない。単語を知っている。それが、それ以上その事に関して表現する必要性を妨げている。表現力を獲得したければ、知識を捨てること。本当にその事柄を知っているのか、吟味すること。哲学の父、ソクラテスの無知の知である。知っていると思うと、それ以上思考回路は発動しない。その事を知らないと思う(疑う)から、探求(思索)が始まる。
“食べ放題”を簡単に表現するだけで、色々考えてしまう。大した表現も提示できない自分が歯がゆく、不甲斐ない。答えは無い。英語学習者の皆さまも、是非ご自身で考え、自分なりの英語を表現して頂きたい。ただし、正確な英語で。吟味が甘ければ、必ず不自然な英語になる。まず日本語を整理することが大切である。