かのじょが描いてくれた釈尊の絵姿です。また、新たに撮りなおしてみました。釈尊をこのように美しく描いてくれた画家はいません。
釈尊は、このように、女性かとみまちがえられそうな、美しい姿をなさっています。しかしそのほほえみは、もっとどっしりとして、男性的です。男以外には見えません。美しいが、強い。
試練の天使の言った通り、このはかなげなほほえみは、かのじょのものです。どこかうれいをおびているのは、愛しても、伝わらないことを知っているからです。女性の悲しみそのものだ。
画家と言うものは、愛するものを描いているようで、自分自身をも描いているものです。
レオナルドが、モナリザを描きながら、同時に自分自身をも描いていたように。
時を経て、紙の切り口も丸くなり、絵もやわらかくなってきました。
実物はこれから傷んでくるので、こういう画像は大切なものになってくるでしょう。
思うことがあれば、またこの絵を撮りなおしてみましょう。