かのじょが描いた月の王は、こちらの世界でのかのじょの姿を写したものですが、これは霊的世界でのかのじょの姿をモデルにしています。
おわかりになると思いますが、わたしたちはみな、このようにオーソドックスで古風な顔をしています。しかしかのじょのこの風貌は実に個性的です。他にはめったにありません。
実は、わたしたちにも、コンプレックスはあります。かのじょは、この美しい顔が、自分ではあまり好きではありません。
本当は、かのじょは、もっと男らしくなりたいと思っているんですよ。おかしいでしょう。
天使はみな、美しいですが、完璧な美を持っているものなどいません。それぞれに激しい個性があり、その個性が絶妙のバランスをもって表現されている。それぞれの顔がある。
それそのものだという顔は、その人の欠点をも大きく表している。どんなにがんばっても、他のだれにもなれない自分がその顔に現れている。
それが一種のコンプレックスになって、自分の中に現れることもあるのです。
もちろん、わたしたちは、コンプレックスの活用の仕方も知っています。
感情と言うものは、自分の中で飼いならしている鳥のようなものだ。時に自分を悩ませたり、騒がせたりしますが、その美しい様子と声はわたしたちを楽しませもする。
わたしは、かのじょのコンプレックスがかわいい。
かのじょはかのじょで、自分のコンプレックスを愛に変換して、あらゆるものに尽くそうとするのです。
自分の中の、生意気な感情や、馬鹿みたいな感情も、ときに見つめ直し、愛を注いでみましょう。
自分の心の世界が、豊かになっていくことでしょう。