EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

EEKの呟き・東日本大震災8年が経過

2019年03月12日 | 伊予松山歴史散策

今年もやって来た3・11、東京で開催された東日本大震災犠牲者8周年追悼式。
被災地の復興は計画通りには進んでいない。
復興計画には色々と問題があり地元民には不満があるそうだが、子孫のために安全に生活出来る基礎を造って下さい。・・部外者が活字で書くのは容易い事ですが。

平成23年3月23日、新潟県魚沼市堀之内天満宮神社境内にある、秋山好古揮毫石碑・戦役記念碑の現地取材の計画を立て、航空券、乗車券、宿泊先も予約をしていた。
すると、3月11日TVを見ていると画面に東北地方に大きな地震が発生と活字が出た。
何処の港か現況が写し出された。

すると段々と潮位が上がり岸壁を乗り越え始め、暫くすると黒い海水が怒涛の如く押し寄せ市街地にせり上がり、海上の船が、車は流され、家屋も流れ始めた。
初めて見る光景でこれが津波の恐ろしさを始めて感じ取った。

 3月23日、新潟県魚沼市の秋山好古揮毫石碑・戦役記念碑の現地取材の計画は中止し、その費用を僅かでしたが東北地方太平洋沖地震の義援金として送らせて頂きました。

記念碑の調査は、改めて平成23年6月10日に行きました。

家長が避難する際書いた言葉。自分の心にも書き留めたのでは?

津波の破壊力は凄まじく恐ろしい。

そして福島第一原子力発電所事故、平成23年3月11日の東北地方太平洋沖地震による津波の影響により、東京電力福島第一原子力発電所で発生したメルトダウン等の放射性物質拡散大事故であった。
TVに出演した原子力に知識あるコメンテーター達は、絶対メルトダウンは起こらない世界に誇る原子力対策がしてあるからと説明した。・・が最悪の状態となった。

平成は31年4月30日で終わり、新元号は5月1日から始まる、平成時代は大きな自然災害が多発し住民たちは大変苦労し未だ復興に苦慮している。
地震・台風・風水害の復興には多額な費用とそれに携わる専門職人とボランティアで活動される方々で再建されるが、しかし原発事故は別物で放射能という化け物が余分である。早く元の生活が出来るよう祈願します。

 

現状は、最悪で住民たちは未だ自宅に帰る事が出来ない。
放射性物質の放出、拡散と汚染、除染された廃棄物の量の多さ、これから最終的には何処に持って行くのか?

平成24年1月・福島県立双葉高等学校2年生秋山兄弟生誕地訪問

中村時広愛媛県知事は、東北高校受け入れ事業である被災地修学旅行支援を県教委を通して行っていた。
平成24年1月27日、愛媛県立松山北高校の生徒が福島県立双葉高校2年生を案内して、秋山兄弟生誕地を研修の地の一つとして訪れた。
震災当時、双葉高等学校200名の生徒はサテライト校に通っていてその春、いわき市の大学校舎で再スタートした。

双葉高等学校は、平成24年1月25日来県、3泊4日の日程で体験や松山観光を行い修学旅行の思い出を愛媛で行い、その一環として、秋山兄弟生誕地を訪問した。
生誕地では、研究委員が温かく出迎え、秋山好古・眞之兄弟が育った経緯と二人の生き様を紹介、あれから7年が経つ、当時高校2年生だった生徒さん達は立派な社会人となり福島県復興に活躍されている事でしょう。

画像は、平成24年1月27日、福島県立双葉高校2年生が秋山兄弟生誕地を訪問したその様子です。
註:愛媛県立松山北高校の前身は、秋山好古が校長を務めた松山北豫中学である。

福島県立双葉高校2年生が松山市歩行町二丁目3番地6にある、秋山兄弟生誕地を訪れ研修した。

秋山兄弟生誕地を見学する、福島県立双葉高校2年生。

研修後、福島県立双葉高校2年生を案内した愛媛県立松山北高校生と記念撮影し研修は終了し、そして8年が経過した。
皆さんの今後益々のご活躍を祈念しています。

 

東北地方太平洋沖地震による行方不明者が2,533人も居られる。

東北地方太平洋沖地震により避難生活をされている方が今も5万2千人も居られる。

帰還困難地区が未だこんなにある。
何時になったら解除されるのか?

四国でも、何時発生してもおかしくないと言われている南海地震、被害規模は東北地方太平洋沖地震よりも甚大となると予測されている。
南海地震は記録に残るものとして、6回発生している。
直近では、昭和21年12月21日、昭和南海地震(1946年)M8,0、被害は中部地方以西の日本各地にわたり、死者1,330名、家屋全壊11,591戸、半壊23,487戸、流失1,451戸、焼失2,598戸。津波が静岡県より九州にいたる海岸に来襲し、高知・三重・徳島沿岸で6m に達したとある。

この時、日本最古の温泉道後温泉の湯が出なくなった。
昭和南海地震の前は、嘉永7年11月5、安政南海地震(1854年)M8,4、紀伊・土佐で11mの津波で大被害と記録がある。

平成14年4月17日、北海道支笏湖にてアマチュア無線マイクロウエーブ北海道支笏湖大会に出席するため、名古屋港から太平洋フェリー「きたみ」13,694トンで苫小牧港まで乗船した。

その時、船上から福島第一原子力発電所を双眼鏡で見た。
海岸すれすれに原発が見えた時素人が感じた事は、こんな低い所に原発施設があって台風襲来時の波濤被害は大丈夫かと感じた。(津波の事は頭になかった)

 

私が乗船したフェリー・きたみと同型船・いしかりで、船体の後方に見える所が福島原発あたりである。

日を改めて、平成23年6月10日、新潟県魚沼市の秋山好古揮毫石碑取材に行った。
6月10日、松山空港上空は、雨雲に覆われ霧が発生し着陸が危ぶまれたが無事羽田から松山空港に着陸、予定時間10時35分発が10分遅れで離陸、雨雲を突きぬけ上空は画像の様な快晴で予定より遅れて羽田に着いた。
東京駅発:16時12分 新幹線Maxとき333号 新潟駅着 18時17分、北方文化博物館に着いた。

平成23年6月10日、東京モノレールの窓越しに撮った東京タワー、東北大地震で曲がったアンテナが目に入った。
アンテナは、修復したそうだが未だ曲がっていた。・・これ以上修復困難との事。
現在は新しいアンテナと交換してある。

平成23年6月10日、新潟市北方文化博物館で一泊して、翌11日神田勝郎・北方文化博物館長の案内で、魚沼市堀之内竜光にある天満宮神社境内の秋山好古揮毫石碑取材に行った。
魚沼市は、平成16年10月23日午後5時56分に、新潟中越地方を震源とした震度7の激震があった所である。

秋山好古揮毫石碑は倒壊し平成20年8月に全国から頂いた義援金の一部で再建立され保存されていた。
福島原発事故で避難勧告が出され避難先は新潟に来られて方が一番多く、魚沼市の方々も新潟中越大地震の時、大変な苦労を経験されているので受け入れ方が違い、優しい気持ちが嬉しいと言っておられた。

新潟以外に避難生活をされている方は、人間関係が上手くいかず精神的に苦労があると言われる。
愛媛県伊予市にも福島県の方が生活されているが、精神的な苦慮は大丈夫なのか心配である。

 画像は、秋山好古揮毫石碑取材に行った時地元の方が集まって頂いた皆さん。
この中には、魚沼市役所職員さん、魚沼市ケーブルテレビさん、新潟日報新聞記者さんも取材に来て頂いた。

魚沼市堀之内竜光にある天満宮神社境内の秋山好古揮毫石碑。
秋山好古揮毫石碑で新潟中越地方を震源とした震度7の激震で石碑は倒壊したが平成20年8月に全国から頂いた義援金の一部で再建立され保存されていた。

魚沼市堀之内竜光にある天満宮神社境内には幟の鉄柱に画像の銘板が取り付けてあった。

天満宮神社境内には、復興に感動 支援をありがとうの幟が掲げられていた。

境内の一角に画像の石柱が建立されていた。

 

コメント
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