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法隆寺に行ってきました:その2 夢殿

2019年07月07日 | 伊予松山歴史散策

法隆寺東伽藍のシンボル・夢殿(国宝・奈良時代創建)
西暦601年造営された斑鳩宮跡に、行(ぎょう)信(しん)僧都(そうず)という高僧が聖徳太子の遺徳を偲んで天平11年(739)に建てた伽藍を上宮王院といい、その中心となる建物がこの夢殿で、八角円堂の中央の厨子には、聖徳太子等身の密仏救世観音像(飛鳥時代)を安置し、その周囲には聖観音菩薩(平安時代)、聖徳太子の孝養(こうよう)像(鎌倉時代)乾漆の行信僧都像(奈良時代)、平安時代に夢殿の修理をされた道(どう)詮(せん)律師(りつし)の塑像(平安時代)なども安置している。
この夢殿は中門を改造した礼堂(鎌倉時代)と廻廊に囲まれ、まさに観音の化身と伝える聖徳太子を供養するための夢殿としてふさわしい神秘的な雰囲気を漂わせている。

夢殿本尊特別開扉:春季⇒4月11日~5月18日迄
             秋季⇒10月22日~11月22日迄

文言は:資料・法隆寺畧縁起より引用。

夢殿の屋根、最上部には「露盤宝珠(ろばんほうじゅ)」という、仏舎利(釈迦の遺骨)がつけられている。
露盤とは玉の土台のことで、「仏舎利(釈迦の遺骨)」を収めた入れ物を意味するそうです。
宝珠の下の皿のような部分は「宝傘(ほうさん)」、その下の膨らみは「宝瓶(ほうびょう)」と呼ばれるもので、仏様の保護を意味する傘や、お供え用の香水などを入れる瓶の形なのだそうです。
法隆寺畧縁起より引用。

夢殿正面は、南方向ですが四方から拝めるように扉が設置されている。
昭和5年(1930)の百円札として夢殿が初めて紙幣の図案として採用された。
その後昭和32年(1957)、聖徳太子の肖像は五千円札の表面に採用され、昭和33年(1958)に一万円札の表面に聖徳太子が登場した。
昭和21年(1946)以降のものは今でも使えるようです。

夢殿内部は、撮影禁止でふと軒下に目をやると画像の様に、特に蟇(かえる)股(また)部分に針金が沢山取り付けてあった。

夢殿内部は、撮影禁止で時折関係者が見回り監視をしている。
蟇(かえる)股(また)部分に取り付けてある針金らしきものについて職員に質問すると、よく気が付かれましたね、参拝者は殆ど気が付きません。
これは鳩の飛来防止の為に設置しております・・の答えが返って来た。

写真撮影はよろしいですかと伺うとOKですとの事で許可を得て撮影しました。

鳩の飛来防止については、いろんな事を行いましたが効果が無く(ネットを張ると美観を損ねる)その結果、針金を設置すると効果があり現在に至っていると説明をされた。

蟇(かえる)股(また)部分に取り付けてある鳩の飛来防止の針金。

西伽藍から東伽藍(夢殿)に行く案内表示板。

東伽藍(夢殿)入り口にある掲示板。
掲示板下部に白い四角に塗りつぶした部分がある。
ここには何が記載されていたのか?質問するのを忘れて帰りました。
何が書かれてあったのでしょうか。
他の掲示にも同じような白い四角に塗りつぶした部分があった。

修学旅行か、遠足かで訪れた小学生が、夢殿参拝に入る。

中門から見た西伽藍方向。

中門から見た東伽藍方向で、中門と夢殿間の通路には出店があった。

通路に面して設置してある長い続塀には、落書き注意を促す表示板が掲げてあった。

これからの画像は、道後温泉新湯屋「飛鳥乃湯」の画像です。

日本三古泉の一つ道後温泉に新たな湯屋・道後温泉別館湯屋として「飛鳥乃湯泉」が平成28年12月26日正式開館した。

道後温泉本館耐震補強工事(平成31年1月15日から約9年間の工事期間)の代わりの道後温泉別館湯屋としての「飛鳥乃湯」である。

法隆寺夢殿の屋根の最上部には、露盤宝珠(ろばんほうじゅ)がついているが、道後温泉の飛鳥乃湯屋最上部には、夢殿を模した八角円堂が建造されその上には、道後温泉のシンボルである白鷺がつけられている。そして瓦には湯玉が彫り込まれている。

道後温泉は、傷ついた白鷺が飛来し、湧き出る湯に傷口を癒し元気になり飛び立った。鳥に効能があるのであれば人にもいいのでなないかとの事が開湯の始まりで本館正面最上階、振鷺閣上に正面を向けて白鷺を設置している。

画像は、法隆寺夢殿の屋根の上にある球状の立派な飾り。
法隆寺・夢殿の屋根の上に、球状の立派な飾りがついている。
この飾りは「露盤宝珠(ろばんほうじゅ)」といい、露盤とは玉の土台のことで、「仏舎利(釈迦の遺骨)」を収めた入れ物を意味するそうです。
道後温泉の飛鳥乃湯屋最上部には、夢殿を模した八角円堂が建造されている。その上には、露盤宝珠でなく、白鷺がつけられている。

夢殿の屋根の宝珠に刺さっている無数の針のようなものは「光芒(こうぼう)」と呼ばれる光の筋だそうです。
宝珠の下の皿のような部分は「宝傘(ほうさん)」、その下の膨らみは「宝瓶(ほうびょう)」と呼ばれるもので、仏様の保護を意味する傘や、お供え用の香水などを入れる瓶の形なのだそうです。

道後温泉飛鳥乃湯の中庭に建立された「聖徳太子の碑」。
石碑の現物は亡失して無いが、『伊予風土記』逸文には、推古4年(596年)聖徳太子(厩戸皇子)と思われる人物が伊予(現在の愛媛県)の道後温泉に高麗の僧・慧慈と大和の豪族葛城臣なる人物を伴って赴きその時、湯岡の側にこの旅を記念して「碑」を建て、その碑文が記されていたとされている。

その碑文(原文)は

「法興六年十月 歳在丙辰 我法王大王与慧慈法師及葛城臣 道遙夷予村正観神井 歎世妙験 欲叙意 聊作碑文一首  惟夫 日月照於上而不私 神井出於下無不給 万機所以妙応 百姓所以潜扇 若乃照給無偏私 何異干(天の誤りか)寿国 随華台而開合 沐神井而?(癒)疹 ?(言巨)舛于落花池而化弱 窺望山岳之巌?(愕) 反冀子平之能往 椿樹相?(蔭)而穹窿実想五百之張蓋臨朝啼鳥而戯?(峠の山が口) 何暁乱音之聒耳 丹花巻葉而映照 玉菓弥葩以垂井 経過其下 可以優遊 豈悟洪灌霄霄庭 意与才拙実慚七歩 後之君子 幸無蚩咲也」(「法隆寺ハンドブック」より)

飛鳥乃湯中庭に建立された聖徳太子の碑の説明版。

飛鳥乃湯の玄関。

飛鳥乃湯の入浴料金表で管理運営は松山市である。

画像は道後温泉本館で、現在仮設の大屋根建設中、大屋根が完成すると本格的な耐震補強工事がはじまる。
現在は1階のみで営業、入口は明治27年改築当時の二の湯入口に変更している。

 

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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (omachi)
2019-09-23 23:02:44
お腹がくちくなったら、眠り薬にどうぞ。
歴史探偵の気分になれるウェブ小説を知ってますか。 グーグルやスマホで「北円堂の秘密」とネット検索するとヒットし、小一時間で読めます。北円堂は古都奈良・興福寺の八角円堂です。 その1からラストまで無料です。夢殿と同じ八角形の北円堂を知らない人が多いですね。順に読めば歴史の扉が開き感動に包まれます。重複、 既読ならご免なさい。お仕事のリフレッシュや脳トレにも最適です。物語が観光地に絡むと興味が倍増します。平城京遷都を主導した聖武天皇の外祖父が登場します。古代の政治家の小説です。気が向いたらお読み下さいませ。(奈良のはじまりの歴史は面白いです。日本史の要ですね。)

読み通すには一頑張りが必要かも。
読めば日本史の盲点に気付くでしょう。
ネット小説も面白いです。
返信する
Unknown (法隆寺)
2021-11-01 04:55:02
法隆寺
返信する
Unknown (正面健司)
2021-11-01 04:56:17
塚本啓祥
返信する

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