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jucon Solo Exhibitions
 メカ・ワンダーランド
(あなたの知らない海の世界)

過去と現在が繋がった瞬間 part.4

2010-11-15 20:57:06 | Weblog
はたして、ここは30年前に僕が研修を受けた施設だったのか?
その疑問を解くことが出来るのか?



気がつくと、友人の姿が見当たらない・・・







かすかだが、奥の方から話声がした気がした。



僕は声が聞こえた方に足を進めてみた。








つづく








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seiseki sun marcheで

2010-11-14 18:14:21 | Weblog
腰痛が今一つ治りきらず、まだ重たいモノは持つのがこわいです。
この日も、家具は持っていかないことにしようかと思ったんですが、家具屋の端くれでもありますし、少しくらいは持っていかないとなって。


幸い、お手伝いをしてくれる方が見つかって、搬入搬出を手伝ってもらえることになったので、丸テーブルを持って行ったんです。



このテーブル、僕は気に入っているのに、なかなか引き取り先が見つからない。けっして高価でもないと思うんですよね。
以前はあちこち連れまわしたんですが、もううちの子にしちゃってもいいかなって思っていたんです。(笑)


でも、たまには連れて行ってみようと思って連れて行ったら・・・





とっても気に入ってくださる方がいらっしゃって、買っていただいちゃったんです。


こいつを持っていこうか、もうひとつ別のモノを持っていこうか迷ったんですよね~。
こいつを持って行って正解!(笑)


9月にこちらに出させていただいた時も、テーブルが売れちゃってビックリだったんですが今回も。
で、前回出展していたことを憶えていてくださった方もいらっしゃって、たくさんの方から声をかけていただきました!

あと、多摩クラフトフェアで出会ったKさんも来てくれました。


あっ、お手伝いに来てもらったMさんも、とっても働き者で、すごく助かっちゃいました。



そんな感じで、第3回seiseki sun marche、1日楽しく過ごせました。


皆さま、ありがとうございました!






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過去と現在が繋がった瞬間 part.3

2010-11-13 19:02:07 | Weblog
手すりにからみついた草をかき分け、階段を上りきったところで、中の様子が初めて見られた。

目の前に現れた光景は、割れたガラス、突き抜けた天井、山積みにされた木材・・・

かなり広い空間が目の前に現れたのだが、それらはこの建物のほんの一部分に過ぎない。目の前の空間からは、ここがボーリング場だったということを感じることは出来ない。



僕たちはその空間へと足を踏み入れるために、階段から、さらに50cmほどの窓枠を乗り越える・・・

今思えば、階段を上ったったのに、なぜ窓枠を乗り越えるのか?
この階段は本当はここにあったものではない?だれかがここに入るために設置したものなのか?



窓枠を乗り越え、床が抜けないかを確認しながら、その部屋の中央に立った。
グルッと周りを見まわすと、部屋の奥には厨房跡のようなスペースが。


ここは大食堂だったところ?
やはり、ここは僕が新人研修を受けたあの場所?


友人は、どこかにボーリングのレーンがあるのじゃないかと、奥を気にしている。
もし、ここがあの研修所ならレーンはあるはずがない。しかしここがあの研修所という確証はまだない。


僕たちはさらに奥に足を進める。


そこは・・・







朽ち果てたボイラー室。





そして・・・





浴室。

僕の記憶に風呂に入った記憶はないのだが。
しかし、ボーリング場に浴室があったのか?




ボーリング場だったのか、研修所だったのか?
その疑問を解き明かすため、僕たちはさらに奥へと足を進めた。




つづく





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過去と現在が繋がった瞬間 part.2

2010-11-13 12:00:00 | Weblog
ボーリングのピンがないのに、友人はここがボーリン場だとなぜ知っていたのか?

友人が言うには、親から聞いたというようなことを言っていた。そして、ここはもう30年くらい前から廃墟だったという。
ということは、僕が研修を受けた後すぐに使わなくなったということなのだろうか?

ボーリング場が廃墟になったと思っている友人は、中に入ればボーリングのレーンがあるはずだと思っている。
しかしそこが、僕が行ったことのある研修所であるならば、そこにはレーンがあるはずがない。

あるのは大食堂、大広間、あとは憶えていない。


大食堂で、飲めない酒を飲まされ・・・ 今思えばまだ18歳じゃないか。
大卒の先輩は♪岬めぐりを繰り返し唄っていた。フォークソングには興味がない僕は、初めて聞いた曲だった。
あまりにも繰り返し唄うので、頭にこびりついた。今聴けば懐かしい。(笑)







一つだけ開いていた入り口はなぜか1.5mほど階段を上る。
その階段を上がってみなければ、中の様子は見られない。階段の手すりには無数の草がからみつき、僕らの行く手を阻むようだ。


果たしてそこには、ボーリング場のレーン跡があるのか?それとも・・・



つづく






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過去と現在が繋がった瞬間 part.1

2010-11-12 19:25:03 | Weblog
高校を卒業してすぐに就職したのは、何もやりたいことがなかったから。
大学に行く意味もわからず、やりたい仕事もなかった。ただ家を出たかった。


会社を選んだポイントは寮があるということだけだった。
卒業と同時に、紙袋一つだけ持ってその会社の寮に入った。その会社がどんな会社かもよくわかってなかった。


そんなアホな新人を教育するためだろう。会社に入ってすぐに新人研修が始まった。
1日で終わることもあれば、泊まりがけで行くこともあった。


ある日、河口湖畔にある大きな研修センターに何泊かで行くことになった。
そこは昔ボーリング場だったところを改装して研修所にしたらしい。ボーリング場の跡地だけにかなり大きな建物だ。



当時はまだボーリングのピンが立っていたような気がする。
もうずいぶん前の記憶だから、本当に立っていたかは定かではない。

そして、その研修センターには、その会社のブランドマーク”S”という文字が燦然と輝いていた。これはハッキリと記憶に残っている。



その会社には4年ほど勤めたが、当時入社した大卒の新人と基本給が1000円しか違わなかった。
僕の4年分のキャリアがたった1000円。アホらしくなって会社をやめてしまった。



その後、転職は7~8回と繰り返される。本当にやりたい仕事は見つからない。
仕事は適当に、遊ぶことに夢中になっていた。


遊びに行く途中で、川口湖畔を通ることもあった。
あの研修センターがすでに廃墟と化していることを随分前から知っていた。
それでも、あのSマークはその建物にしがみついていたことを憶えている。



あれから約30年。
僕は河口湖にはわりと近いところに住んでいるのに、その研修センターのことはすっかり忘れてしまっていた。






そんなある日・・・



友人から、「行ってみたい廃墟があるんだ。昔はボーリング場だったらしいんだけど、一緒に行ってみない?」と誘われた。
それって、もしかしたら!

「ボーリングのピンは立ってない?Sマークついてなかった?」

しかし、友人はボーリングのピンは見たことないし、Sマークも気がつかなかったという。



川口湖畔にそんなにたくさんのボーリング場があるとは思えない。
もしかしたら、あの研修所かも?
僕はその廃墟に興味がわいて、その友人と一緒に行ってみることにした。




友人が連れて行ってくれた場所は、確かに以前研修所があった場所のような気がした。
建物の雰囲気も似ている気がする。ただ30年前の記憶だ。本当にそこかどうかはよくわからない。
あると思っていたSマークも見当たらない。


どこかから、中に入れるかなと思ったが、入り口も窓も全て板張りになっていて、中に入れないようになっていた。
友人の話によれば、今年の初めころはこんな風になってなかったという。


建物をぐるっと一周りしてみると、1か所だけ入れる場所が見つかった・・・



つづく





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1週間

2010-11-11 20:41:42 | Weblog
してないですね~、仕事。


今日も町田の接骨院まで行ってきました。
まだ、痛みはあります。特に座っているのがキツイです。2時間弱の運転はけっこうこたえます。


それでも、だいぶ回復して来たようで、歩いている分にはそれほど痛みを感じません。


明日くらいから仕事をしようかなと思うんですが・・・
まだやめておいた方がいいかな?



しかし、仕事も出来ず、遊びにも行けず、体調が悪いっていうのは何にもいいことないです。







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信頼

2010-11-09 20:44:36 | Weblog





僕はやっぱり、町田市にあるこの接骨院です。


片道50キロ以上、2時間弱かかります。正直、運転がつらかった。特に山道の運転は腰にきます。


それでも、すごく丁寧に診察してくれて保険も利きます。
ボキボキ骨をならすこともないし、薬もいっさい出ません。基本的に自然治癒力で治すということです。


けっきょく、ぎっくり腰と症状は同じみたいで、骨盤の矯正をしてもらい、マッサージをしてもらって来ました。

まだけっこう痛みがありますが、もう少し安静にしていたら治るでしょうということでした。



ご心配いただいた皆様、本当にありがとうございました。
今週中には復活出来ればと思ってます。



しかし、腰っていうのは本当に大事ですね。
治ったら、もっと体に気を使う生活をしようと思います。





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記憶の散歩

2010-11-08 18:00:50 | Weblog
幼稚園は東京の三鷹市というところでした。

その幼稚園はクリスチャン系だった記憶があります。しかし、その記憶意外ほとんど憶えていません。


先生の顔も名前も、友達も。
ただ一人だけ、すごく記憶に残っている女の子がいます・・・




卒園まで、あと数カ月というところで、町田市に引っ越しすることになったんです。
両親に町田市で、また幼稚園に入るか?と言われた時に、「もうすぐ小学生になるから行かなくていい」と答えた記憶があります。


両親としては、小学生になった時に友達が誰もいないのではと思ったのかもしれません。
でも、幼稚園に行っても数カ月です。幼稚園で新しく友達を作るのも、小学校で新しく作るのも同じでは?
と、思ったかどうかはわかりませんが、僕は幼稚園中退という道を選んだんです。(笑)


小学校に入学したら、当然のように知らない人ばかり・・・
と、思ったら三鷹の幼稚園にいた女の子が同じクラスにいたんです!
今思えば、すごい偶然。こんなことは滅多にないでしょう。


当時、僕が引っ越してきた町田市に巨大団地が出来たんです。
たくさんの人があちこちから集まってきていて、その中にその女の子もいたんでしょう。




同じクラスに唯一知っている子がいたら、まずその子と友達になるのではと思うんですが、そうではなかったんです。

その子はとってもおとなしい子でした。
幼稚園の時も、同じクラスになってからも、一度も話した記憶がありません。


そして、僕は誰も友達がいなくて寂しかったという思い出もないんです。きっとすぐに友達が出来ちゃったのかもしれません。
今思えば、みんなもあちこちから引っ越してきたばかりで、友達がいなかったのかもしれないです。


そんな感じで、その女の子の存在はすぐに忘れてしまった気がします。





しかし、ある日、彼女が僕の記憶に焼きつくことになる事件が起こりました。





彼女はわりと僕の近くの席に座っていたと思います。

授業中、その子の周りだけ、水浸しになっていたんです。
そうなんです。彼女はお漏らしをしてしまった。
とてもおとなしい女の子だったので、きっと授業中にトイレに行きたいと言えなかったんでしょう。

その日から、僕はその子がお漏らしをした女の子という印象が強く記憶に残ってしまったんです。
だからと言って、そのことでいじめたりした覚えもありませんし、僕が知る限りでは、みんなからもいじめられていた気配はなかったと思います。


その子とはけっきょく高校まで一緒だったんですが、ほとんど会話をした記憶がありません。
小学生のころから可愛い感じで、高校ではかなり美人になっていましたから、けっこうモテていたかもしれません。


彼女との接点はほとんどなかった。唯一あの事件を見てしまったことで、彼女は僕の記憶に残る女性になってしまったんです。


今お会いしたら、ちょっとは話が出来るのでしょうか?
三鷹市から町田市に引っ越してきて、同じ学校の同じクラスになったなんて、そうとう盛り上がりそうでもありますが。

いや、その前に彼女の方に、僕の記憶が残っていないかもしれません。(笑)





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腰痛対策?

2010-11-08 15:23:25 | Weblog
まさに寝たきり状態で3日目を迎えました。


体が動かせないだけで、気持ちは元気?(笑)
やることが何もないのは、かなりの苦痛。



そこで僕は、自分の記憶を振り返ることにしてみました。
よっぽどヒマな時にしか出来ない作業です。(笑)



最初は、現時点で一番古い記憶からお話しましょう。



多分、1歳か2歳のころじゃないかと思います。

僕は昼寝をしてました。
ふと目が覚めると、周りには誰もいません。

まだ、しゃべることが出来ない僕は大声で泣きました。
泣けば、母親が飛んで来ると思ったのでしょう。

しかし、母親は現れません。


ん?なぜ来ない?
さらに泣き声をヒートアップしてみました。

それでも母親は現れません。


そこで僕は母親が留守ということに気がついたのです。



留守。
いないなら、いくら泣いても来るわけがありません。




やめた!


泣いても意味がないと思い、そこで泣くのをやめました。

本当にこんなことを考えてたのか?
今になってはよくわかりません。

これが本当の記憶かどうかも定かではありませんが、僕の記憶の中では最古のものとして残されているものです。


子供って本当に純粋無垢なんでしょうか?
本当は、かなりしたたか?こんなの僕だけ?(笑)


皆さんの最も古い記憶って何ですか?






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どこに行ったらいいですかね?

2010-11-07 18:18:28 | Weblog
腰痛の件、コメント、お見舞いメールいただいた皆様、ありがとうございました。


おかげさまで・・・
と言いたいところですが、ほとんど良くなってないです。


今までこんなことなかったので、どう対処したらいいのか、よくわかりません。


とりあえず、今日も1日寝ていたんですが、寝過ぎても腰が痛くなるような気がして。(笑)







しかし、寝ているだけなのに、お腹は減るもんで、食事を作るのがまた一苦労。
本当に何にもしたくない気分です。


やっぱり、腰って大事なんですね~。
腰が痛いと、何にも出来ないし、する気もおきません。




明日、病院に行こうかな?
近所にいい病院ないんですよね。行くなら車で1時間半。町田市にかかりつけの接骨院があるんですが、運転出来るかな?座っているのが一番辛いんですよね。

当然、一日で治るわけもないし、通院となると、けっこうキツイです。


どなたか、富士吉田、都留に良い病院を知っていらっしゃる方がいらっしゃったら、教えてください。







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腰痛で的様

2010-11-05 18:36:45 | Weblog
「おまかせ!」




あれ?今日は普通にランチメニューが出てきた。(笑)






なんだか、急に腰が痛くなって来て、午前中で作業を中止。

郵便局に行く用事があったので、ついでに例のレストランと、温泉に行きました。



先日、静岡に行っている時に、ゆむたファームの高木さんから卵を送ってくれるという連絡があったので、「僕は留守にするから、例のレストランに送っておいてって」って頼んだんです。

卵、たぶん100個くらい送ってきてたのかな?
僕は20個だけいただいて、あとは例のレストランに置いて来ようと思って。

そしたら、先日そのレストランでケーキをおすそわけしてくれた宮崎美子似の美女がいらっしゃったので、「お嬢さん、卵はいかがですか?」って言ったら、喜んで受け取ってくれました。(笑)

「ゆむたファームの卵はね・・・」って、ちょっと説明して、富士山登った時の話なんかを聞いたりして。
そんなこんなで、15時くらいまで例のレストランにいて、さて温泉にでも行こうかと思ったんですが、かなり腰が痛い。


これって、今日歩いてないからか?って思って、じゃあ、また的様(まとさま)まで歩いてみようって思ったんです。
前回は肝心の的を見てこなかったので、今回はバッチリ写真におさめよう!


で、撮った写真がコレ!





おう~、本当に川の中に的があるじゃないですか!
この的のすぐ先が滝になっているんです。







小さいけど水量もあって、いい感じです。



写真も撮ったし、温泉に入って腰でも温めようと、じっくりお湯に浸かって来たんですが、まだけっこう痛みます。
こういう時は、やっぱり安静なのでしょうか?歩いたの失敗?

でも、なんで急に痛くなっちゃったんだろう?







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ついていけてるのか?

2010-11-04 22:44:28 | Weblog
僕が音楽をちゃんと聴き始めたころは、レコードとカセットが主流でした。


しばらくすると、CDが出来て、MDが出来て・・・
まだこのくらいまではついて行けました。


音源をデジタル化して、パソコンで管理するという頃になってから、だんだん難しなくって来たんです。
ミュージックプレイヤーも多種多様になり、記録謀体も複数出てきて、どれを選んだらいいのかよくわからない。


基本的にはダウンロードで音楽を入手するのは嫌なんです。
やっぱり形として手元に持っていたい。CDがいいんです。そしてジャケットも。


でも、外出先でいろんな音楽を聴くには、やっぱりミュージックプレイヤーが必要です。



パソコンが苦手な僕は、正直かなり出遅れました。
もうついて行けないと思っていました。


でも、ふとしたことから先日、i-potが手に入りました。やはりミュージックプレイヤーの中でも、i-potが一番メジャーではないでしょうか。
しかし、こいつはパソコンと連動して使わないと意味がない。というか使えない?
i-tunesの使い方がよくわからなくて、パソコンで音楽聴く時はウィンドウズメディアプレイヤーを使っていたんです。
でも、i-potを手に入れてしまったからには、i-tunesを使わなくてはいけない。



で、ようやくi-potに好きな音楽を取り込むことが出来るようになりました!





これでなんとか、現代の音楽文化について行けてるか?ギリギリ間に合った感じです。(笑)



新しいものに臆病になれば、それはどんどん進化していって、ますます手の届かないところに行ってしまう気がします。
自分の生活や仕事に必要ないものならいいかもしれませんが、密接しているものなら、何とか食いついていかないといけないのかも。


家具を作る仕事なんて、とってもアナログな感じですが、それをいざ売ろうとする時は、ネットの力が威力をハッキリしたり、情報収集が大事だったり、デジタルな部分も必要だなって思います。
伝統的な部分と最新の部分を駆使してこそ、今の時代を生き残れるのか?




もうひとつ気になっているツイッターは、一応アカウントはあるんですが、全然やっていません。
こっちも、うまく使いこなせば、とても役に立つツールなのかもしれません。


今、時代についていけるか、いけないかの瀬戸際にいるような。
ただのオッサンになっちゃうか、ちょっとイケてるオヤジか。(笑)



でも、そんな時代にレコードをじっくり聴くなんて余裕があるオヤジが、本当にカッコいいのかもしれませんね。





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