サトウの切り餅事件についての若干の考察(1)
1 事案の概要
原告は、切り餅に関する特許(以下「本件特許」といい、この特許権を「本件特許権」)を有しているところ、被告は、切餅等の製品(以下「被告製品」)を製造、販売及び輸出していました。
原告は、被告が被告製品を製造、販売及び輸出する行為が、本件特許権の侵害に当たると主張して、被告に対し、特許法100条1項、2項に基づき、被告製品の製造、譲渡等の差止め等を求めるとともに、本件特許権侵害の不法行為による損害賠償として14億8500万円の支払を求めました。これに対し、被告は、被告製品は本件発明の技術的範囲に属さず、また、本件特許は特許無効審判により無効にされるべきものであると主張して、これを争いました。
原判決は、被告製品は、本件発明の構成要件Bを充足しないから、本件発明の技術的範囲に属するものとは認められないとして、原告の請求をいずれも棄却しました。これに対し原告は、原判決の取消しを求めて、本件控訴を提起しました。
争点は、構成要件Bの「載置底面又は平坦上面ではなく」という文言が、「載置底面又は平坦上面」に切り込み部等を設けた切り餅を特許請求の範囲から排除する趣旨なのか否かです。
2 地裁判決
地裁判決(東京地裁平成21年(ワ)第7718号)の構成要件Bについての解釈は以下のとおりです。
2-1 本件発明の技術的意義
地裁判決は、まず、本件発明の技術的意義は、「本件発明の特許請求の範囲(請求項1)の記載及び前記(イ)の本件明細書の記載事項を総合すれば、本件発明は、「切り込みの設定によって焼き途中での膨化による噴き出しを制御できると共に、焼いた後の焼き餅の美感も損なわず実用化でき」るようにすることなどを目的とし、切餅の切り込み部等(切り込み部又は溝部)の設定部位を、従来考えられていた餅の平坦上面(平坦頂面)ではなく、「上側表面部の立直側面である側周表面に周方向に形成」する構成を採用したことにより、焼き途中での膨化による噴き出しを制御できると共に、「切り込み部位が焼き上がり時に平坦頂面に形成する場合に比べて見えにくい部位にあるというだけでなく、オーブン天火による火力が弱い位置にあるため、焼き上がった後の切り込み部位が人肌での傷跡のような忌避すべき焼き形状とならない場合が多い」などの作用効果を奏すること」にあると述べた上、本件発明の構成要件Bの「載置底面又は平坦上面ではなくこの小片餅体の上側表面部の立直側面である側周表面に、・・・切り込み部又は溝部を設け」との文言について、切り込み部等を設ける切餅の部位が、「上側表面部の立直側面である側周表面」であることを特定するのみならず、「載置底面又は平坦上面」ではないことをも並列的に述べるもの、すなわち、切餅の「載置底面又は平坦上面」には切り込み部等を設けず、「上側表面部の立直側面である側周表面」に切り込み部等を設けることを意味するものと解するのが相当」である。
2-2 美観の維持について
次に、地裁判決は、原告の「載置底面又は平坦上面に切り込みが存在するか否かは、このような作用効果とは無関係である」との主張に対し、本件発明の作用効果の一つである「焼いた後の焼き餅の美感も損なわず実用化でき」る点については、具体的には、「切り込み部位が焼き上がり時に平坦頂面に形成する場合に比べて見えにくい部位にあるというだけでなく、オーブン天火による火力が弱い位置にあるため忌避すべき焼き形状とならない場合が多く、膨化によってこの切り込みの上側が下側に対して持ち上がり、この切り込み部位はこの持ち上がりによって忌避すべき焼き上がり状態とならないという」作用効果を意味する」と判断し、載置底面又は平坦上面に切り込みが存在するか否かは、本件明細書に記載された本件発明の上記効果と密接に関係することであって、これと無関係であるなどといえないことは明らか」と述べました。
3 高裁判決
これに対し、高裁判決は、結論として、「当裁判所は、構成要件Bにおける「載置底面又は平坦上面ではなく」との記載は、「側周表面」であることを明確にするための記載であり、載置底面又は平坦上面に切り込み部又は溝部(以下「切り込み部等」ということがある。)を設けることを除外するための記載ではない」と判断し、被告の「「載置底面又は平坦上面ではなく」との記載部分は、「この小片餅体の上側表面部の立直側面である側周表面に」との記載部分とは、切り離して意味を理解すべきであって、「載置底面又は平坦上面」には、「一若しくは複数の切れ込み部又は溝部」を設けない、という意味に理解すべきである」との主張に対し、「〈1〉「特許請求の範囲の記載」全体の構文も含めた、通常の文言の解釈、〈2〉本件明細書の発明の詳細な説明の記載、及び〈3〉出願経過等を総合するならば、被告の上記主張は、採用することができない」と述べました。
」
4 地裁判決と高裁判決の判断の分かれ目のポイント
高裁判決の理由のうち、「〈1〉「特許請求の範囲の記載」全体の構文も含めた、通常の文言の解釈」と「〈3〉「出願経過」については、表現等の表層上の相違はともかく、実質的には、地裁判決と高裁判決とで相違はないと思います。地裁判決と高裁判決の判断の分かれ目のポイントは、「〈2〉本件明細書の発明の詳細な説明の記載」の理解であり、特に、本件発明の作用効果の捉え方によると考えます。
4-1 「通常の文言解釈」について
確かに、切込み等の設置位置については、「小片餅体の上側表面部の立直側面である側周表面」と記載すれば特定としては十分であり、これに加えて、「載置底面又は平坦上面ではなく」とあえて記載していることを重視すれば、構成要件Bの「載置底面又は平坦上面ではなく」という文言が、「載置底面又は平坦上面」に切り込み部等を設けた切り餅を特許請求の範囲から排除する趣旨と理解することもできます。これに対して、「載置底面又は平坦上面ではなく」の後に句読点がないという文章の構造に着目すれば、「載置底面又は平坦上面ではなく」との記載は、「側周表面」であることを明確にするための記載にすぎず、構成要件Bの「載置底面又は平坦上面ではなく」という文言が、「載置底面又は平坦上面」に切り込み部等を設けた切り餅を特許請求の範囲から排除していないという解釈も十分に成り立つところです。
文言解釈としては、いずれも成り立つところですが、知財高裁が、特許請求の範囲の文言であっても、それがクレームを限定しないことがあり得ることを示した点は一定の意義があると思われます。
4-2 「出願経過」について
クレーム解釈に際しては、出願経過における特許権者の陳述等が参酌されて限定解釈がなされることがあります。本件について見ると、本件特許に係る出願過程において、原告は、拒絶理由を解消しようとして、一度は、手続補正書を提出し、同補正に係る発明の内容に即して、切餅の上下面である載置底面又は平坦上面ではなく、切餅の側周表面のみに切り込みが設けられる発明である旨の意見を述べたが、審査官から、新規事項の追加に当たるとの判断が示されたため、再度補正書を提出して、前記の意見も撤回するに至っています。このように、「切餅の側周表面のみに切り込みが設けられる発明である旨の意見」は撤回されているので、この点のみから、クレームが、「切餅の側周表面のみに切り込みが設けられる」ことを要件としているとの解釈を導くことはできないと思われます。
4-3 「本件明細書の発明の詳細な説明の記載」
(1)このように、「通常の文言解釈」も「出願経過」も、文言解釈の決め手になるものではなく、結論を左右したのは、本件明細書の発明の詳細な説明の記載」の理解であり、特に、本件発明の作用効果の捉え方であると解されます。
(2)この点、地裁判決は、①「切り込みの設定によって焼き途中での膨化による噴き出しを制御すること」と②「焼いた後の焼き餅の美感を維持できること」を並列に捉えた上、切り込み等を「載置底面又は平坦上面」に設けた場合には、「美観の維持」という効果を奏さない場合があり得ることを理由として、構成要件Bの「載置底面又は平坦上面ではなく」という文言が、「載置底面又は平坦上面」に切り込み部等を設けた切り餅を特許請求の範囲から排除する趣旨であると判断しました。
(3)これに対し高裁判決は、本件発明の作用効果として、「〈1〉加熱時の突発的な膨化による噴き出しの抑制、〈2〉切り込み部位の忌避すべき焼き上がり防止(美感の維持)、〈3〉均一な焼き上がり、〈4〉食べ易く、美味しい焼き上がり、が挙げられている。そして、本件発明は、切餅の立直側面である側周表面に切り込み部等を形成し、焼き上がり時に、上側が持ち上がることにより、上記〈1〉ないし〈4〉の作用効果が生ずるものと理解することができる。これに対して、発明の詳細な説明欄において、側周表面に切り込み部等を設け、更に、載置底面又は平坦上面に切り込み部等を形成すると、上記作用効果が生じないなどとの説明がされた部分はない。本件明細書の記載及び図面を考慮しても、構成要件Bにおける「載置底面又は平坦上面ではなく」との記載は、通常は、最も広い面を載置底面として焼き上げるのが一般的であるが、そのような態様で載置しない場合もあり得ることから、載置状態との関係を示すため、「側周表面」を、より明確にする趣旨で付加された記載と理解することができ、載置底面又は平坦上面に切り込み部等を設けることを排除する趣旨を読み取ることはできない」と述べた上、膨化による噴き出しを抑制する効果があるということを利用した発明であり、焼いた後の焼き餅の美感も損なわず実用化できるという効果は、これに伴う当然の結果であるといえる。載置底面又は平坦上面に切り込み部を設けたために、美観を損なう場合が生じ得るからといって、そのことから直ちに、構成要件Bにおいて、載置底面又は平坦上面に切り込み部を設けることが、排除されると解することは相当でない」と判断しました。
高裁判決は、本件発明の作用効果について、「加熱時の突発的な膨化による噴き出しの抑制」が本質的部分であり、「美観の維持」については、その付随的効果にすぎないため、美観を損なう場合が生じ得るからといって、それは、構成要件Bにおいて、載置底面又は平坦上面に切り込み部を設けることが、排除されると解する決め手にはならないと判断したものと思われます。
5 まとめ
以上のとおり、地裁判決と高裁判決の判断の分かれ目のポイントは、「本件明細書の発明の詳細な説明の記載」の理解であり、特に、本件発明の作用効果の捉え方であるとの結論に到達しました。高裁判決のように、明細書中の作用効果の記載について並列的ではなく、垂直的あるいは立体的に捉えることは重要であると思います。なお、本稿においては、検討の便宜上、①特許請求の範囲の記載の通常の文言解釈、②本件明細書の詳細な説明、③出願経過を分けて論じましたが、クレーム解釈においては、この3点を含めた諸要素の総合解釈によることを忘れてはなりません。
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